2018-04-09

塙保己一記念館

塙保己一、澁澤榮一、荻野吟子と言へば埼玉三偉人とのことです。澁澤榮一は日本の產業の父として有名ですが、塙保己一と荻野吟子は他縣育ちの僕は不案內でした。然し乍、保己一は紛れもない埼玉を代表する偉人であらう。
塙姓を名乘る前は荻野姓だつたさうで記念館の揭示によると小野篁を祖に持つ橫山氏から分家したとあつたので、元々は橫山黨だつたのだらう。記念館のある場所は本庄市兒玉町なので兒玉黨の本據附近だつたと思はれるが、いつの頃か移住して來たのだらうか。
さて、保己一ですが七歲で失明し、十五歲で江戶に出て盲人一坐の雨富須賀一の弟子となつた。その後、荻原宗固や賀茂眞淵などからも敎へを受けた。賀茂眞淵の弟子と言ふ事で古事記硏究で有名な本居宣長と兄弟弟子と言ふことである。
保己一の功績は、「群書類從」を編纂したことと、「和學講談所」を開設したことである。この事により我が國の國學の發展に大きく寄與した。「群書類從」とは、一二七三種五三〇卷六六六册からなり我が國の古書を蒐集・編纂したもの。我が國の書き物がこゝで一つに纏められたと言つてもよいだらう。
保己一のおかけで我々は貴重な書物が散佚せずに濟んだ。正に埼玉が誇るべき偉人である。

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2018-04-07

飯玉神社

宇迦之御魂神をお祀りしてゐる。兒玉の千本櫻のある川沿ひすぐ近くに鎭坐してゐた。宇迦之御魂神をお祀りしてゐることや玉が魂と考へられ飯の魂と言ふことで稻魂をお祀りしてゐたされる。また、この邊りは古墳が多くあり鎭坐地近くでも埴輪を始め樣々なものが出土してゐるさうで、古墳との關聯も考へられるとのこと。鳥居を潛り眞直ぐ進むと拜殿があり、おそらくこちらがご本殿だと思はれるが、その隣に少し盛り土がしてあるやうな場所にもお社があつた。こちらはどちらかのお社を合祀したものなのか、盛り土の上に鎭坐してゐるので盛り土が古墳でその上に昔から鎭坐してゐたのか、現地の案內板だけでは判らない。
社殿は享保年間(一七一六年~一七三六年)に再興されてゐるが古くからこちらに鎭坐してゐるやうで、地元の方々の篤い崇敬が感じられるお社であつた。

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▼古墳か?頂になんかある。
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▼遥拝所とのこと。伊勢神宮?
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▼この後に塙保己一記念館に行きました。その途中で通つたお寺の門。
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▼櫻が綺麗。
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▼この椿は色合ひがとても綺麗。
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2018-04-05

児玉千本桜

ことならば咲かずやはあらぬ櫻花 見る我さへにしづ心なし(古今集82春歌下:貫之)

いや、こちらかな。

世の中に絶えて櫻のなかりせば 春の心はのどけからまし(古今集53春歌上:在原業平)

綾瀨千早風にまゐりませうか。

久方の光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ(古今集84:春歌下:紀友則)(小倉百人一首33番)

今年は忙しない。なんか急に暖かくなつたかと思つたら、あつと言ふまに咲いてしまひました。大急ぎですよ。
何処へ行くかもまゝならず、取り急ぎ目黒川や三渓園へまゐりましたが、やはり埼玉の櫻は外せない。と言ふ譯で今年は兒玉の千本櫻を見ようと東上線から八高線を乘り繼いで兒玉までまゐりました。

千本櫻、綺麗でした。

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▼千本櫻~♪ 夜二紛レ♪ 君ノ聲モ届カナイヨ♪ こゝは宴♪鋼の檻♪その斷頭臺で見下ろして♪
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▼野良も散步する穏やかな春の日でした。
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2018-04-03

第10回ハセツネ30k

4/1に開催されました「ハセツネ30k」に出走しました。「ハセツネ30k」とは、日本山嶽耐久レースとも呼ばれ故人の登山家長谷川恆男氏の名を冠する國內屈指のトレランのレースである「ハセツネCUP」の豫選的位置づけの大會。開催日が四月一日であるのでランニングシーズンの始まりに相應しい。本選となるハセツネCUPは72kmを制限時間24時間內で走る。累積標高差4,582mで平均傾斜が6.4%と言ふ大會ですから、それは苛酷そのもの。その豫選となる「ハセツネ30k」はトレイル率が少ないのでその分高速なレース展開となり苦しい。初めの10kmまでは標高550m程度をロードで一氣に驅け上がる。奧武藏で例へるなら毛呂山町の綜合運動公園から顏振峠までをグリーンラインで走るやうなものだ。顏振峠までとは、もうその時點で體力殘り數%と言ふ感じだ。そこからトレイルで更に3kmで400mは登り、一旦下りまた2kmで250mほど登る。顏振峠から關八州見晴臺經由飯盛山くらゐまでか。飯盛山から野末張見晴臺を經て越生のうめその梅の驛(越生町自然休暇村センター)まで降りてから再び大高山から桂木觀音まで登り、その後は里に下り毛呂山運動公園まで戾るやうな感じです。
直前にゆうパークから桂木觀音經由で大高山に至り、そこから自然休暇村センターに出てロードを山猫軒方面を走り途中でトレイルに入つて野末張見晴臺で折り返して同じ道を走つてみました。いやはや、無理。このルートだけならまだなんとかなりますが、その前にゆうパークから顏振峠まで走ると言ふのは無理。どうしよう、完走できるかと不安になりました。
で、結果ですが散々な結果に終りました。本線優先權が獲得できる千位以內は夢のまた夢。全然駄目でした。完走はなんとか出來ただけと言ふ感じですね。敗因は色々ありますが、一因として途中で補給のためのエネルギージェルを落としてしまひ、後半に全くエネルギーチャージが出來ずハンガーノック寸前までになつたことでせうか。それにしてもコカコーラの糖分の多さと疲勞忘却力には驚かされます。20km附近でエネルギージェルを落とした事に氣が付きエネルギーを補給出來ないと知つてから、頭がくら/\しさうになるとコーラを口に含んでなんとか足を前に出す感じでしたが、コーラがあればこそ出來た、逆に言ひますとこんなのを運動してゐない時に飮んだら絕對に體に惡いと思ひます。それほど、效果のある正に命の水でした。
あと、下りですね。傾斜がきつくなるとお尻が引けてスピードは死ぬし足への負擔も大きくなる。まだ恐怖心があります。種々、改善と練習を積まなければならないと改めて思つたほろ苦いトレラン・デビューとなりました。



▼受付前のスタート地點。受付は7:00開始で、始發に乘つて漸く7:30過ぎに到着しましたが、既にこんな感じ。
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▼最後尾と言つて良いでせう。
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▼大凡9km地點での寫眞。この列によりトレイルに入るまでの大凡1kmを三十分費やしました。
まあ、休憩にはなりましたが、こんな狀態ならもつとロード區間を飛ばせばよかつたと反省です。
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▼トレイル區間は大渋滞。
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▼このまゝ、入山峠から醍醐丸まで行くのかと思ひましたが、違ひました。このあと、程なく渋滞がなくなりました。
なんでなのかな。仕組みが解りませんが渋滞がなくなつたのは嬉しかつたです。
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▼本大會は32kmですが、25km附近の寫眞です。赤の矢印に沿つて登りました。寫眞では解りづらいですが、矢印に沿つて人が登る姿が見えました。
思はず絶句し、氣を取り直しましたが、寫眞を撮るのが精一杯で心が折れた一幕です。
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▼ゴーーーーール!!實際は、ゴール後で着替えも済ました後の寫眞。ゴール時の瞬間は寫眞など撮る餘裕は無し。FINISHに向かい頭から倒れこむやうな感じでゴールしました。
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▼橘右、まだ/\だな。オレっちの足元にも及ばんみャ。
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▼ハセツネ30k完走Tシャツ。
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2018-04-01

三溪園

本日、四月一日はなんの日でせうか。「エイプリルフール」ではなくて、ハセツネ30kが開催される日です。橘右はハセツネ30kに出走しました。(※この記事を書いてゐる日はその前です)
すみません。餘りにも疲れ果ててゐると思はれます。いつもご訪問下さつてありがたうございます。本日は、恐らくお邪魔出來ないほど疲勞困憊だと思はれます。すみません。

で、今日の投稿は掃部山公園にまゐりましたので、少し足を延ばして三渓園までまゐりました。
大變失禮な話ですが、「原富太郞、生絲でボロ儲けしたんだな」と言ふのが最初の印象。と言ふのは秀吉とか德川賴宣とか春日局とか伊藤博文とかの名がポン/\と出過ぎで、豐富な資金で各地の名建築を買ひ漁つたと言ふ風な事が浮かんだからです。特に寺院のお堂の移築が多くあり金に言はせて卷き上げたのかと。と言ふのも建築物はその建物の中でなにかしらの役割があつた譯で、その一部を拔き取つて寄せ集めたら建物の機能面が毀損するのではと思つたからです。
たゞ、三溪園の地形を上手く利用して建物を移築したなとも思ひました。もとあつた場所の庭や地形まで拔き取つて來たのかも。廢寺から持つて來たお堂は廢佛毀釋の中、こちらに移築したからこそ毀されずに濟んだのだらう。廢寺なら尙更だ。德川家の邸宅は明治政府に接收され取り壞される運命だつたのかもしれない。さう言ふ建物がこちらに集められ、今日まで姿を保つことが出來たのは金持ちの道樂と言ふだけは片付けられない。文化財保護に對する貢獻度は極めて高い。建物だけぢやくて四季折々の花も樂しめる。櫻だけとか牡丹だけとと言ふ一點に特化してはゐないので年中何かしらの花を樂しむ事が出來る。まるで勸修寺のやうだ。
三溪園。また來たいと思つた。

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▼聴秋閣。二條城内にあつた建物。德川家光が上洛するときに利用。その後春日局に渡る。
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▼馬酔木ですね。春だな。
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▼射干も咲いてゐた。早いなまだ三月なのに。
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▼秀吉から藤堂高虎に渡つた手水鉢。
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▼千利休が襲はれた時に身代はりとなつたとのこと。
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▼「初音」にすぐ反應するんだから。
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▼毀れた建物もあります。こちらは松風閣があつたところ。關東大震災で倒潰した。
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▼横笛庵。横笛は滝口入道と横笛の悲愛の横笛。この庵の中に横笛の像があつたさうだが、空襲で毀れた。戰爭犯罪とはまさにこの無差別爆撃の事だ。
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▼嵯峨野には「滝口寺」と言ふ滝口入道所縁のお寺があります。そのお寺の隣は祇王寺。苔が綺麗なお寺です。
そしてこの寫眞は三渓園。こちらの苔も良い感じですね。
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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