2017-09-16

井伊氏について

抑々、井伊氏とはどのやうな氏族なのか。井伊氏が文獻に初めて見えるのは、建治元年(一二七五)に京都若宮八幡宮社の再建に當たり御家人に費用の捻出が求められ、それに對して三貫文の費用を提供したと書かれてたことである。治承壽永の內亂の頃には鐮倉の御家人となり井伊谷を領してゐたことになる。なほ、井伊家傳記では初代の井伊共保は井戶に捨てられてゐたさうだ。その捨て子を當時遠江の國司であつた藤原共資と言ふ人が拾ひ養子としたとのこと。
時間が進み南北朝時代には宗良親王を奉じて北朝方と戰つた。明德の媾和の後、駿河遠江の守護今川氏の支配下に置かれるが、今川氏と井伊氏の關係が良好ではなかつたと言ふのは想像に難くない。なんせ今川氏は足利氏の嫡流に近いところにゐる家である。吉野朝の井伊氏を快く思はなくても當然であらう。井伊氏は今川氏の內亂である花倉の亂や河東の亂で今川義元に反對する側についてゐたさうだ。ドラマの中で尾上松也が扮する今川氏眞が井伊を目の敵にするのは多少の演出で大げさな部分はあれど、まあ、あんな感じで氏眞は井伊を快く思つてはゐなかつただらう。
井伊谷にある龍潭寺のすぐ近くに井伊共保が捨てられてゐたとされる井戶が殘つてゐる。

iitomoyasu01.jpg

iitomoyasu02.jpg

iitomoyasu03.jpg

iitomoyasu04.jpg

▼ドラマにも出てきてゐますね、この井戸。
たゞ、ドラマのセットと實物はかなり違ひます。
iitomoyasu05.jpg

▼右から 「八幡宮 井伊氏祖備中守藤原共保出生之井 御手洗」と彫られてゐる。
八幡宮とあるのは、共保は井伊谷八幡の御手洗の井戸で出生したとされるからである。
なほ、井伊谷八幡であるが渭伊神社に合祀されたさうだ。
iitomoyasu06.jpg

iitomoyasu07.jpg

2017-09-14

新たなる旅の始まり

今年は例年になくNHKの大河ドラマを見てゐる。今年はあまり視聽率がよくないらしいが、これまで歴史ドラマを見てきたなかで最高かもしれない。特に第三三囘の最後の場面は、「えゝつ、さう來るか・・・(絶句)」となり、あまりにも衝擊的だつた。「炎立つ」では安倍館を落ち延びる貞任と追ひかける義家が出逢ふ一首坂のシーンでがつかりしたが、「嫌われ政次の一生」の囘の最後は想像だにしなかつた展開で、史實とは違ふだらうが、いや、これが史實かもと思はせるやうな場面だつた。
かう言ふ次第ですので、今年の夏の旅行は何處に行かうかと考へた時、もう一擇しかない。「さうだ井伊谷、行かう」と言ふことで「おんな城主直虎」ゆかりの地を巡る旅に行つてまゐりました。ですので、明日から數日間は、新たなる「歴史の小路を步く」の新篇「直虎に思ひを馳せる」として、次郞法師が苦惱した時代の井伊谷に思ひを廻らせながらトロとクロの旅が始まります。

naotora01.jpg

▼井伊谷へは舘山寺温泉が一番近い。
naotora02.jpg

▼舘山寺温泉は昭和三三年に開湯されたので井伊氏との關聯はないが、直虎一色であつた。
naotora03.jpg

naotora04.jpg

naotora05.jpg

▼今囘も酒をいつぱい呑んだみャ。
naotora06.jpg

▼迷つて時間をロスしない爲にも豫習は必要です。
naotora07.jpg

▼準備はばつちりだみャ。
naotora08.jpg

▼靜岡と言へば「さわやか」。
naotora09.jpg

naotora10.jpg

naotora11.jpg

naotora12.jpg

▼殿がお出迎へしてくれたみャ。
naotora13.jpg

▼九重さんは老舗の旅館。
naotora14.jpg

▼いつぱい歩いたから疲れました二ャ。
naotora15.jpg

▼朝早く起きて、走つてみました。
naotora16.jpg

naotora17.jpg

naotora18.jpg

naotora19.jpg

naotora20.jpg

▼富士山が綺麗ですニャ。
naotora21.jpg

▼直虎の旅が終はつてしまひましたニャ。
naotora22.jpg

2017-09-12

柊塚古墳

「新河岸川の川面に映る河岸場の記憶」のこぼれ話です。驛から新河岸川終點石標まで行く途中に古墳があると地圖にあつたので行つて來た。六世紀前半の前方後圓墳で、被葬者は不明。この邊りは根岸古墳群と呼ばれ古墳が數基あつたさうだが、宅地化が進み墳丘を殘してゐるのはこゝだけのやうだ。柊塚古墳も方墳の所が缺けてゐる。が、まあ綺麗に殘つてゐるはうだと思ふ。
こちらの古墳は公園になつてをり駐車場があつた。駐車場附きの古墳は珍しい。で、その駐車場に可愛らしい猫ちやん達がひなたぼつこをしてゐた。

hiiragiduka01.jpg

hiiragiduka02.jpg

▼駐車場がある古墳なんて高槻の今城塚古墳か行田の埼玉古墳くらゐで、普通は無い。が、こゝには駐車場がある、・・・、あつ、こんにちは。
hiiragiduka03.jpg

hiiragiduka04.jpg

hiiragiduka05.jpg

▼さて古墳へとまゐりませう。えつ、この階段上がるの??
hiiragiduka06.jpg

hiiragiduka07.jpg

hiiragiduka08.jpg

hiiragiduka09.jpg

hiiragiduka10.jpg

hiiragiduka11.jpg

▼えつ、トイレぢやねーかよ(怒)せめて扉を閉めろみャ。
hiiragiduka12.jpg

2017-09-10

新河岸川終点石標

新河岸川の川面に映る河岸場の記憶の最後は新河岸川の終点を示す石標のご紹介です。
東上線朝霞駅から歩く事三十分以上、かなり遠いところに新河岸川が荒川に合流するところがある。この合流点の土手に終点を示す石標がある。前回の引又から終点へと随分と端折つてゐるやうな感じだが、志木より下流には河岸場跡がすつかり失はれてゐるやうで、めぼしい場所がなかつた。
この辺りは荒川を止めて造つた彩湖があり水面と緑が豊富な良い景色が広がる場所であつた。が、逆に言ふと川と土手と田圃以外はなにもない。
新河岸川の川面に映る河岸場の記憶の最後はなんか締まらない風になつてしまひましたが、これにてお終いでございます。

shingashishyuten01.jpg

shingashisyuten02.jpg

shingashisyuten03.jpg

▼なんとも平凡と言ふは締らない感じの寫眞になつてしまつたな。
晴れてゐれば多少は違つたかな。
shingashisyuten04.jpg

2017-09-08

美女神社

朝霞市內の新河岸川の河岸場はあつたやうだが現在はその址が確認できる場所が殘つてゐないやうだ。なので、引又河岸から飛んで新河岸川の終點附近まで步みを進めます。その前に、東武東上線の朝霞臺驛から新河岸川終點石標のある所までの間の場所に面白い名前のお社があつた。その名は「美女神社」。
美女神社は、市杵島姬命をお祀りするお社。新河岸川の畔に鎭坐してゐる。元は宇津久志の宮と呼ばれてゐたさうだ。市杵島姬命をお祀りしてゐるので、嚴島から宇津久志(うつくし)になり「うつくし」だら美しいとなつて美女神社になつたのだらう。

bijojinja01.jpg

bijojinja02.jpg

bijojinja03.jpg

bijojinja04.jpg

▼もう九月ですね。撮影は八月後半で百日紅の花が綺麗に咲いてゐました。
bijojinja05.jpg
プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
淡々と百人一首
    フリーエリア
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR
    御訪問ありがたうございます