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2016-10-09

鹿島神宮

武甕槌大神をお祀りするお社で、創建は神武天皇元年と言はれてゐる。武甕槌大神と經津主大神は二柱で國讓りの交涉をしていらつしやるので、經津主大神をお祀りする香取神宮と當社は古來より緣があるお社であつたやうだ。香取神宮も軍神として勝負ごとに御利益があるとされてゐるのと同樣に當社も勝負每の御利益があると言はれ、鹿嶋をホームタウンにする鹿嶋アントラーズが每年お參りしてゐたと思ふ。
當社の近くに昨日ご紹介した鐮足神社が鎭坐してをり、當社と藤原鐮足との關聯で藤氏からの崇敬も篤いと言はれてゐる。それゆゑ春日大社との緣も深く、春日大社は鹿島神宮から武甕槌命を御蓋山山頂浮雲峰に勸請した事に始まるとされてゐる。因みに、當社の鎭坐してゐる場所は三笠山とも言はれるさうだ。當社と藤氏、春日大社との緣を深く感じる。
現在の社殿は江戶に入つてからの造營とされてゐる。さう言へば、確か新撰組局長の芹澤鴨が當社をお參りした際に、拜殿の太鼓が大きすぎて目障りだとして毀したと言ふ事があつたやうな記憶がある。なんとも罰當たりな奴である。
お參りした時は、下の寫眞のやうに所用がありゆつくりとお參りできなかつた。いつか今度はゆつくりと當社の境內を隈なくお參りしたいと思ふ。

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▼拜殿。
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▼ご本殿。
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▼舊拜殿。
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▼奥宮。
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▼細石。
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▼香取神宮にもあつた「要石」
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▼軍神にお參りもすませたので、さてサッカー觀戰とまゐりませう。
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▼アウェイ側に建つ鹿嶋のレジェンドのジーコの像。
アウェイ側にあるので、時々惡戲されてしまふ。このクラブのサポーターは特にさうだ。
その爲、柵がしてあり警備員がゐる。
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▼「TOTOビック」ならぬ「鹿ビック」。思はず吹いてしまつた。
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▼今囘はひつそりと「オレっちの地酒コーミャー♪」
愛友酒造さんの「神の池」。こちらの藏元は鹿島神宮の御神酒を醸す藏元さんである。
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2016-10-08

鎌足神社

藤原鐮足をお祀りするお社。境內の案內板によるとこゝに中臣鐮足の舘があつたさうだ。藤氏家傳によると大和國高市郡藤原が出身地だとされてゐるが、大鏡には常陸國鹿島、さうこゝであると記されてゐる。當社の創建はいつの頃か不明ださうだが江戶期の文獻には當社が見えると現地の案內板に書いてあつた。

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2016-10-07

香取神宮

經津主大神をお祀りするお社で、創建は神武天皇一八年と傳はる。經津主大神とは、日本書記に登場する神樣で、伊弉諾尊が軻遇突智を斬つたときに十束劍から滴る血が固まつてお產まれになられた。天照大御神が天津彥彥火瓊瓊杵尊に葦原中國を治めるやうに命じ、天津彥彥火瓊瓊杵尊が降る前の準備として、天穗日命を、續いて天穉彥を先んじて降し給ふが、いづれの神もお戾りになられないどころか大國主命と誼を通じたので、高皇產靈尊は經津主神と武甕槌神を葦原中國へ降し給ふことを決め、二柱の神は高皇產靈尊の命を受けて葦原中國へ降り立つた。葦原中國へ降り立たれた二柱の神は稻佐の小汀で大國主命と國讓りの談判を行つた。十束剱を拔いて逆さに突き立てた二柱の神の神威に恐れをなした大國主命は國讓りを決斷したと日本書記は記す。そのやうなことから、當社は四方拜で遙拜される一社だと言はれてゐる。
國讓りでは十束剱を逆さに突き立てて武威を示したことから、經津主大神と武甕槌神は軍神としても崇敬を受けた。その爲、勝負ごとに御利益があるさうだ。
ご本殿はかつて二十年に一度の遷宮式があつたやうだが室町末期には杜絕した。現在のご本殿は元祿一三年(一七〇〇年)に德川氏の支援を得て造營されたものとのこと。
少々都心からは遠いですが、一度はお參りしたかつたお社なので、お參り出來て滿足なお社であつた。

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▼威風堂々とした楼門である。
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▼拜殿
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▼舊拜殿ださうです。
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▼お待たせしましたみャ!大好評、オレっちの地酒コーミャー♪ドンドン、パフパフ♪
今回のご紹介は香取神社に奉納されたお酒ですみャ。まづは寺田本家さんの「香取」
寺田本家さんは延寶年間(一六七三年~一六八一年)に近江國)から移住して當地で酒造を營まれるやうになつたとのこと。香取の他に「五人娘」と言ふ銘柄があるさうだ。オレっちは呑んだことがないがかなり評価が高いお酒みャ。呑みたいみャ!!
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▼續いて東薫酒造さんの「東薫」。これも呑んだことがないが、日本酒度などを見ると淡麗で辛口のやうだ。辛口はオレっちゾーンど眞中みャ。呑ませろみャ。
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▼お次は鍋店さんの「仁勇」。まだ呑んでゐないが、以前に成田不動尊に行つた時に賣つた「不動」と言ふ銘柄も鍋店さんの銘酒みャ。
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▼飯田本家さんの「大姫」。大姫とは泣かせる名前みャ。義高と大姫の悲愛を偲び泪を肴に杯を重ねてしまひさうだ。
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▼飯沼本家さんの「甲子」。これも呑んだことがないみャ。すつきりとした淡麗な呑み口のやうだ。
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▼馬場本店酒造さんの「佐原ばやし」。この邊りの地酒はあまり呑んだことがないので、こちらも呑んだことがないみゃ。やゝ辛口との評判だみャ。日本酒は辛口に限るみャ。
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2015-11-29

貫前神社

經津主神と姬大神をお祀りする上州一之宮。物部姓磯部氏による創建とと傳はる。安閑天皇元年(五三一年)年には旣に建立されてゐたとか。姬大神については、正確な神名も由緖も失はれてしまひ、どのやうな神樣か解らない。
長い坂を上がると鳥居があり、その先の坂を更に上がると總門が見えて來る。總門を潛ると、今度は急な石段を下ることになる。石段を下りきつた處に樓門があり、その奧に社殿があると言ふ、登つて降りての珍しい境內である。
社殿は朱塗りも鮮やかで拜殿の彩色も綺麗であつた。今囘の旅でお參りしたお社は社殿の彫刻や彩色が綺麗な所が多かつたやうに思ふ。
橘右の駄文はこれまでにして、そほふる雨に彩色が映える社殿の寫眞とまゐりませう。

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▼末社の月讀神社
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▼こちらがその蛙の木
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2015-11-28

荒舩神社(下仁田)

莖も葉もみな綠なる深芹は あらふねのみやしろく見ゆらむ(輔相:拾遺384物名)

この歌は、物名歌と言ひ、物の名前を歌や句に關係なく詠みこむと言ふもの。「あらふねのみやしろ」ですから荒船神社が詠みこまれてゐる。
物名歌は例へば、紀友則の歌で古今集440に收錄されてゐる「秋ちかう野はなりにけり白露の おける草葉も色かはりゆく」で詞書が「きちかうの花」となつてゐる歌がある。「きちかう」は今の桔梗のこと。發音「キキョウ」に囚はれると難しいが「あきちかう(發音:アキチコウ)」と見れば解り易いと思ふ。同じ紀氏の紀貫之は「をみなへし(女郞花)」を夫々の句の頭にもつて來て「をぐら山 峰たちならし 鳴く鹿の へにけむ秋を 知る人ぞなき」と詠んでゐる。流石は貫之。
さて、冒頭の歌の荒船神社は、群馬縣甘樂郡下仁田町にあるお社で、山頂付近が切り立つた岩がまるで船のやうに見える獨特な形をしてゐる荒船山に鎭坐してゐる。物騷な話ですが「クレヨンしんちゃん」の作者が轉落死されたのはこの山です。登山の心構へも裝備も無い橘右は、こんなところは行つてはいけない。遭難して、自衞隊か消防隊の方に迷惑をかけるのがおちだ。やめたはうがよい。
なほ、群馬縣の下仁田と長野の佐久には里の宮がある。なので、下仁田のはうの里の宮にお參りした。お參りした時は、朝から雨が降つてをり、山々に雲や霧がかゝり、荒船山がどれかよく解らず殘念であつた。長い階段を上がるとコンクリートで造られた社殿が建つてゐた。この社殿のもう少し上に新道が通つてゐるので、もしかしたら遷坐したのかもしれない。こゝから富岡方面に向かふと中に鳥居があつた。扁額に「荒船神社」と書いてあるので、立ち寄つてみると、鳥居だけしかなかつた。方角的には荒船山の方だと思ふ。もしかしたら遙拜所なのかもしれない。
奧宮へ行つてみたいけど、迷惑かけるのがおちだし、諦めるしかないよな・・・。

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▼夫婦大杉
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▼方角的には、たぶん、荒船山かな。でももしかしたら物語山かもしれない。
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▼ちよつと蛙に似てゐるやうな。
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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