2017-04-07

三條大橋

鴨川の三條邊りは東下りする時に出發點となる。三條河原を出發して粟田口に入り粟田神社で旅の無事をお願ひしつゝ、

よそにのみ聞かましものを音羽川 渡るとなしに見なれそめけむ(藤原兼輔:古今749戀哥伍)

と音羽川の川邊で歌を詠み、山科越えて音羽山と逢坂山の合間を通り

音羽山音に聞きつゝあふ坂の 關のこなたに年をふるかな(在原元方:古今473戀哥壹)

と關を超えながら歌を詠み、

近江なる打出の濱の打出でつゝ うらみやせまし人の心を(よみ人しらず:拾遺982戀哥伍)

逢坂から鳰の海に出でゝ打出の濱で歌を詠み、その後鳰の海を東に進んで橋を超え、

眞木の板も苔むすばかりなりにけり 幾代經ぬらむ瀨田の長橋(前中納言匡房:新古今1656雜哥中)

瀨田の唐橋を振り返り歌を詠む。

あゝ、きりがないからこの邊で止めませう。三條大橋は豐臣秀吉が石柱の橋に替へさせたと記錄されてゐるので、少なくともそのころには橋が架かつてゐた。また、こゝの河原は刑場であり、石川五右衞門や豐臣秀次などが首を斬られたり首を晒されたりしてゐた。また、直ぐ近くに池田屋があり、現在でも擬寳珠に刀疵が殘つてゐる。この地は京への玄關口となつてゐたことから昔から榮えてゐて、現在でも京阪電車の驛があつたり京都市役所があつたりと依然として京都の中心地である。

▼彌次さん、喜多さん
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▼橋のたもとと言ふことは、この邊りが刑場だつと言ふことなのか??
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▼刑場や高札場があつて人が集まつて來るところだつたのだらう。
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

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