2017-01-31

吉良邸址

東京都墨田區兩國にある區立公園で吉良義央の邸宅があつたとされる。赤穗義士による仇討後、吉良邸は幕府により沒收された。時が流れて、昭和九年に地元の有志の方々により、吉良邸があつた場所を購入し、公園化して自治體へ寄附した。
公園と言うよりかは白壁に圍まれ、中には吉良義央の坐像があつたり、お稻荷さんがあつたりとするので、先の勝海舟の生誕地よりは雰圍氣が多少ある。かう言ふ地元の方の篤い思ひは頭が下がる思ひです。後世に殘してゆきたい史蹟である。

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▼吉良邸の圖面。かなり大きな屋敷だつたやうだ。
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▼吉良義央の首級を洗つたとされる井戸。
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▼忠臣藏の影響で惡い人と言ふ印象を持たれてゐる吉良義央だが、領地があつた三河國幡豆郡で治水事業を推進し農業の發展に寄與するなどして、地元では名君として稱讚されてゐる。
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▼吉良邸前のお社。
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▼吉良邸正門址
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▼中島伊勢は葛飾北斎の養父と言はれてゐる。
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▼圍碁の名家の屋敷があつたとのこと。
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2017-01-30

勝海舟誕生の地

海舟と號す勝安房守こと勝安芳の生家があつた所。現在は、公園になつてゐる。勝海舟或いは勝安房とは、幕末に生きて時代を動かした幕臣として有名で、ご存じの方も多いでせう。勝海舟の父、小吉は御家人の男谷の三男に產れ、旗本の勝家に養子に出されたさうだ。勝海舟は小吉の實家の男谷家で生まれ、七歲までこゝで過ごしてゐたとのこと。

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2017-01-29

前原伊助宅址

前原伊助宗房が住んでゐた邸宅の址。前原宗房とは、赤穗義士の一人で吉良邸付近に居を構へてゐた人物。初めは大石良雄らに同調してゐなかつたやうだが、後に同調し盟約を結んだ。江戶城の刃傷沙汰から、義擧の推移、不義家臣のことなどを漢文で綴つた「赤城盟傳」の著者。吉良邸付近で「米屋五兵衞」と名乘りながら米屋を營み、吉良邸の動向を探つてゐた。討ち入り時は裏門隊に屬してゐた。

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2017-01-28

一之橋

兩國橋東詰で休息をとりながら上杉家の襲擊に備へてゐた義士は、上杉家が來る氣配もないし、いつまでも兩國橋東詰に居る譯にも行かないので、泉嶽寺に向かひ始めた。その初めに渡つた橋は、堅川に架かるこの橋である。その爲、現在では「一之橋」と呼ばれてゐる。

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2017-01-27

大高源吾の句碑

大高源吾忠雄は、赤穗義士の一人。吉良邸の動向を探る目的だつたのだらう、吉良家出入りの茶人山田宗偏に入門した。この入門が討ち入りの日を決める重要な情報源となつた。
大高は俳人との交遊があつたやうで、。討ち入りの前夜、煤拂竹賣に變裝して吉良屋敷をうろついてゐた大高は兩國橋で俳人の寳井其角と出逢つた。この時、大高は其角に西國へ行くと別れの挨拶をしたところ、其角が♪年の瀨や水の流れと人の身は♪と句をと詠んだ。大高は「あした待たるゝその寳船」と句を返したとされる。
その大高忠雄は討ち入り後、♪日の恩やたちまちくだく厚氷♪と句を詠んださうで、その句が兩國橋のたもとに句碑となつて建つてゐる。

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▼猪は喰つたことがない。
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2017-01-26

兩國橋

廻向院に拒絕された義士一行は、泉嶽寺に向かふことにした。が討ち入り後である。疲れもある。さらに上杉の追手が來るかもしれない。討ち取つた敵の首級は、なんとしても舊主の墓前に供へ菩提を弔はなければならないので、上杉がやつて來て首級を奪はれる譯にはいかない。かう言ふ狀況なので、義士一行は、兩國橋の東で休息と追手の襲擊に備へた。この場所がこの邊りである。
因みに、赤穗義士は吉良義央の敵をとらうと上杉家が兵を出してくるかもしれないと考へたかと言ふと、吉良義央の實子が上杉家の養子となり藩主となつてゐたからである。しかし、上杉綱憲は兵を出さなかつた。なぜなら、幕府から出兵を止める命が出たからである。因みに、この邊りの事情を知るすべのない庶民は、「謙信公以來の武門の名家なのに命を惜しんだ腰拔けだ」とバカにしたやうである。餘談ですが、上杉綱憲は、敎學振興、風俗統制、役職整備、歷史編纂などを行ひ、良き政治を行つたやうだが、その一方で豪遊して藩の財政を疲弊させた。
さて、上杉家の話はこれくらゐにして話を元に戾さう。隅田川には千住大橋と兩國橋のふたつしか架かつてゐなかつたさうだ。その爲、人の往來の激しい賑はつた橋だつたさうだ。明治三七年(一九〇四年)に鐵橋に架け替へられて、さらに昭和五年に改修されて現在に至る。

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2017-01-25

回向院

淨土宗に屬し、山號を諸宗山、寺號を廻向院無緣寺と稱す。無緣の寺號のとほり、當寺は明曆3年の大火事(明曆の大火:一六五七年)で燒死した方約十萬人を弔ふ爲に建立された。後に刑死者なども葬られるやうになつた。ご本尊は阿彌陀如來。因みに南千住にも寺號が同じお寺があり、そちらは當寺の別院で、小塚原刑場での刑死者を供養するために建立された。南千住廻向院には安政の大獄で刑死した橋本左內・吉田松陰・賴三樹三郞らが葬られてゐる。
さて、兩國にある廻向院(本所廻向院)と赤穗事件の關はりであるが、本懷を遂げ赤穗の義士たちが再集合と休息の爲に當時の門を叩いたが、血に染まつた義士たちを見た僧たちが關はりを恐れ敷居を跨がせなかつたと言う事があつた。その爲義士たちは舊主の墓所がある泉嶽寺へと向かつたのであつた。
まあ、全身に血を浴びた浪士を見て、而も大名屋敷の近くときたら、關はり合ひを恐れるのは佛の道云々はあるかもしれないが、人の子だから恐れるのは解るやうな氣もする。

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▼相撲は神事であつたこともあり、廻向院の敷地で行はれてゐたものが發展して廻向院の敷地内に國技館が建てられた。大東亞戰爭後は進駐軍に接収され、程なく毀された。
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▼鼠小僧の墓がある。
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▼なんでも鼠小僧の墓を削つて身に附けると御利益があるらしい。墓石を削られるのは困るので、現在は御前立があり、こちらを削ることになつてゐる。
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▼可愛がつてゐた猫が主人の魚屋の窮乏を救ひ命を落としたと言ふ話が元になつてゐる「猫塚」
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▼廻向院の正門址。現在は幼稚園が建つてゐる。
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▼江戸前發祥の華屋與兵衞の與兵衞壽司があつた場所。因みに、和食チェーンの「華屋与兵衛」とこの與兵衞壽司はなんら關係がない。
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2017-01-24

両国。赤穂事件が発生した地を歩く

歷史の小路を步くの新しいお話です。今囘は、お相撲で有名な兩國界隈をトロとクロを伴つて步きます。
兩國と言へば、國技館がありお相撲と言ふ印象がありますが、こゝは忠臣藏で有名な元赤穗藩士が討ち入つた吉良義央の屋敷があつた赤穗事件が發生した場所です。事件の後、吉良義央の屋敷は幕府が沒收したやうだ。沒收後はどう言ふ經緯を辿つたのか不明であるが、現在では住宅が立ち竝んでゐる。昭和九年に地元の勇士が義央の頸を洗つたとされる「吉良の首洗い井戶」を中心にして土地を購入し公園化した。
吉良邸を始め江戶時代の町竝みの面影は旣にないが、義士達への同情が彼等の所緣の地の場所を言ひ傳へ、それを墨田區が案內板を建てて後世に傳へてゐる。また、この界隈には江川太郞左衞門、葛飾北齋、勝海舟、芥川龍之介の所緣の地もある。今囘の旅はこれらの場所を廻る街步きです。
史蹟を巡る前に、赤穗事件を少々。
赤穗事件とは、元赤穗藩士四十七名が元祿十五年(一七〇二年)十二月十四日に赤穗藩主淺野長矩の仇を討つとして吉良義央の屋敷に押し入り、義央を討ち取つた事件。なぜ、大石良雄以下四十七名の浪人衆が吉良義央を討ち取つたのかと言ふと、淺野長矩が江戶城松之大廊下で吉良義央を斬り付けると言ふ刃傷沙汰をおこした事に端を發し、淺野長矩は切腹、赤穗淺野家が御家取り潰しになつたことを恨みんだことによる。淺野が刃傷沙汰をおこしたのかは諸說あり定說が定まつてゐないやうだが、吉良は淺野を怒らせる何かをしたのだらう。然し、どのやうな理由にせよ刃傷沙汰をおこし、しかもそれが江戶城內であることは當然の如く大罪であり、嚴罰が降るのは當たり前な話なのだが、この時に德川幕府は吉良に偏る不公平な裁定を下した。本來、喧嘩は兩成敗なのだ。然し、德川綱吉の吉良に對する好意が幕府に惡影響を與へ、恣意的な裁定となつた。こんな事をするもんだから當然歪みが出て來る。まあ、生類憐れみの令などと言ふ愚も附かぬことをしてゐる將軍である、愚かな裁定を下すのは當然と言へば當然だ。將軍の愚かな裁定に納得する筈がない赤穗藩士たちは地下に潛り、吉良邸に討ち入り主君の仇を取らうと刃を硏いだ。
時が來たのは元祿十五年(一七〇二年)十二月十四日。遂に大石良雄ら四十七名の義士が本所松坂にある吉良義央の隱居地に亂入、臺所の物置に隱れる義央を發見、間光興が初槍をつけ、武林隆重が斬り捨てた。なお、首は間光興が落した。みごとに本懷を遂げた義士達は主君淺野長矩の墓がある泉嶽寺へ向かひ、長矩の墓前に吉良の首級を供へた。
元祿十六年(一七〇三年)二月四日、吉良邸に討ち入つた義士四十六名は夫々が預けられてゐた大名屋敷にて切腹した。かやうに、主君への篤い忠節と德川の道理を曲げる振る舞ひに身を賭して抗議したことが讚へられ、後世に義士四十七名の名が歷史に刻まれた。
最近の風潮では「忠節」と言ふ事が輕んじれてゐるやうに感じて仕方が無い。橘右は「忠節」を盡くすと言ふことは尊いことだと思ふ。かつて、浦和に居たロブソン・ポンテはクラブに對して高い忠誠心溢れるプレーでレッズのサポーターを魅了した。ロビーは最後の挨拶で「忠誠心(Loyalty)」と言ふ言葉を實際に使つてゐる。ロビーのプレーはその卓越した技術だけではなかつた。クラブに對する高い「忠誠心」がプレーに滲み出てゐるから、サポーターが湧いたのだ。だから、彼は常にサポータから愛され「ロビーと共に」と言はれ、今でも彼を慕ふサポーターは多い。それに引き替へ、廣島からチャラ/\とやつて來た奴らはどうか。クラブに對する忠誠心の缺片もない。その中で、那須大亮や興梠愼三は違ふクラブから來たが、レッズへの高い忠誠心をプレーで示したから、彼等はサポーターから愛されてゐる。特に興梠愼三はレッズサポーターが最も嫌ふ二大クラブの內の一つである鹿嶋アントラーズから移籍して來た。興梠は育ててくれた鹿嶋への感謝の念を隱さない。浦和サポの大嫌いな鹿嶋への愛情だ。一見するとサポに嫌はれさうなのだが、彼はその一方でレッズへの忠誠心を高く持ち、それを口ではなくプレーで示すからサポに好かれるのだ。それは、興梠の所屬したクラブへの忠誠心の現れではないか。組織の中に居る譯でそのクラブの爲に行動を起こす。クラブの爲に最善を盡くす。これこそが忠誠心であり、クラブのサポーターを熱狂させる要因だ。さう言ふことがすべてではないが、忠誠心は尊いものだと橘右は思ふ。日本國への忠誠心と言ふと「右翼、軍國主義」とか言ふ風潮は大嫌いだ。
赤穗事件は現代に住む日本人が忘れてしまつた大事な事が詰まつてゐる出來事だ。

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2017-01-23

エントリ開始!

今年も參加します! 
明日二十四日〇時から第二三囘所澤8時間耐久レース+3種走/フルマラソン(開催日:七月二日)の出走受付が始まります。昨年もこの大會に出走して、自分の限界を超えて走る事の樂しさを知つた忘れられない、僕にとつて重要な大會です。
この大會は、所澤航空公園內の一周約3.246kmのコースを八時間以內で何周出來るかを競ふ。それ以外に、前日に5kmと42.195kmを夫々走り、合計の順位を競ふ3種走と言ふ通常では考へられない過酷な競技も同時開催されてゐる。3種は化け物だよな。5km+フルマラソンだけなら完走の自信はある。8耐は何周するかなので、1周すれば完走扱ひだ。さう言ふ意味では出走することは可能だ。だが、この性格が前日に5km+42.195km走つたにせよ8耐を五周(約16km)や六周(約20km)で滿足する譯はない。橘右の性格上、出走する限り8耐を限界まで走らうとし、42.195km(約十三周)以上走れないと憤死しさうだから、3種はね、參加したいが今年は止めておかう。このまゝでは憤死するのが目に見えてゐる。

因みに昨年の記錄は十五周(48.69km)。屁垂れてもう一周出來たのに止めてしまつた負け犬だ。悔しくて夜も眠れない日々が續いた。彩湖+駒場ランで50km/7時間は走れたので、十六周(約52km)なんて目標は負け犬だ。十七周(約55km)もやれなくはないだらう。だから目標としては低い。なので今年は十九周(約61km)を目標にする。8時間で61kmだとすると、14時間まで殘り6時間で40kmだ。フルマラソンの大會の制限時間くらゐ。こんなんぢやウルトラマラソンの完走もおぼつかないが、今の實力だからそれを超える爲にも十九周は越えたい。
大會は七月二日(日曜日)。まだ時間があるなんて思つてゐるとあつと言ふ間にやつて來る。焦らず、それでゐて密度の濃い練習を積んで本番に臨み必ず目標を達成したい。

「第23回所沢8時間耐久レース+3種走/フルマラソン」の詳細はこちらからぞうぞ。
「スポーツエイドジャパン」さんの大會は、工夫が凝らしてありとても樂しい。
http://sportsaid-japan.org/NEW/guide/17taikyu-site.pdf

航空公園は以前にご紹介しました。
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▼昨年の8耐
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▼昨年の參加賞のTシャツのデザイン。過酷な大會なのにそれを出さず飄々とした感じが良いと思ふ。
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▼今年も仕方がないから應援してやるミャ
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2017-01-22

城山公園(桶川)

埼玉縣桶川市にある公園で、公園の名が示すとほりかつては城があつたさうだ。このお城は「三ツ木城」と呼ばれてゐたさうで、鐮倉時代には築城されてゐたと思はれる。城主は足立遠元や石井丹後守などと推測されてゐるが、決め手に缺け城主が誰か判明してゐない。
池があり、その池の周りに石垣に使はれさうな石が置いてあつたりしてゐるが、城跡を意識して公園を造つた譯ではなささうである。但し、土壘のやうな盛り土もあり、城跡のやうな感じもしなくない造りであつた。因みに、三ツ木城跡は公園內と言うよりは公園の西側に隣接と言ふ感じで、現在、立ち入り禁止のやうだ。公園內に發掘調査してゐると言ふ案內が書かれてゐたので、恐らく發掘調査をしてゐるのだらう。發掘の結果、城主が分かり足立遠元の館跡とかだつたらなとか期待が膨らむ公園であつた。

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▼菊がまだ咲いてゐた。
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▼城址はこの中。現在は立入禁止である。
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▼矢印の先にあつた土塊。古墳に見えなくもないのが困つたものだ(笑)
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▼多分、この先にあるのだと思ふ。
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▼もう騙されません(笑)これは富士塚ではない。
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▼これらは土壘址だと思ふ。
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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