2016-12-31

一年ありがたうございました。

一年、ご訪問下さりありがたうございました。全く讀む方の事を考へず、だら/\と文を書いてゐるだけのブログですみません。
今年は、坂東武者を巡る旅を昨年末から始め、直近のほんの一週間前まで續けて來ましたので、ほゞ一年、坂東武者を追ひかける旅をした一年でした。これがまた樂しかつた。今は、少々、目的が見えてない感じですが、氣負はずゆるりとブログを續けてまゐります。來年もよろしくお願ひ致します。

雪降りて年の暮れぬる時にこそ つひにもみぢぬ松も見えけれ(古今340冬歌:讀み人智らず)

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2016-12-30

天覧山と多峯主山

能仁寺をお參りした後に、目的である天覽山から多峯主山を登つてみた。二山を登つたと言つても標高二百米程度の低山なので決心すれば二山でも登れなくはない。
さて/\、能仁寺の境內から裏手に廻ると天覽山の入り口がある。この天覽山は愛宕權現がお祀りされてゐたので愛宕山と言はれてゐたが、明治天皇陛下がこの山の山頂で近衞兵の春季小演習を統監されたことに因んで「天覽」山と呼ばれるやうになつた。
天覽山と多峯主山は隣接してゐるので、天覽山から西方に登山(ハイキング)道を降りてから多峯主山を登つた。このルートだと、多峯主山の登山(ハイキング)の入り口がちやうど「見返り坂」から登ることになる。この見返り坂は、源義經の母の常盤御前があまりの景色の良さに振返つたとされ、その爲「見返り」坂と呼ばれてゐる。周邊の開發より常盤御前が登つた時とは景色が變はつたやうで、橘右が振返つてみたら木々が覆ひ茂るのみで、景色はまあでした。見返り坂から更に登ると「雨乞い池」と呼ばれる池や黑田直邦の墓があり、更に登ると山頂にでる。黑田直邦の墓から山頂邊りの道にトレランのコースであることを示す標が括りつけられてゐた。橘右が登つた翌週かその次の週邊りに「FunTrails 100km&50km」が行はれたやうだ。トレランは興味があるが、橘右の實力では山の智識や技術が追ひつかない。なので、今のところトレランを始めるつもりはない。最近トレランする人とハイキング・登山する人との間で摩擦も多くなりつゝあるやうだ。ハイキングや登山する人からすると、こんなところをぶつ飛んで走つてこられたら恐怖を感じるのは無理ないなと思ふ。登山(ハイキング)道は決して廣くない。だから、共存はたぶん無理だと思ふ。
トレランの話はさておき、山頂に到着するとよく晴れて景色が綺麗だつた。標高は二百七十米とのこと。なか/\の高さだ。流石に疲れた。が、景色が綺麗なのでやつぱり山頂まで來ると氣持ち良いものだ。

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▼十分もしないうちに平らな場所に。もう山頂かと思ひきや、人生そんな甘くない。
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▼漸く山頂に到着。
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▼天覧山の山頂を後にして、暫く降ると見返り坂に到着する。
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▼振り返つてみました。あれ。
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▼FunTrailsはコースの試走中で滑落死があつたさうで、雁坂峠秩父往還は登山道をぶつ毀してしまつたさうだ。最近、トレランはトラブルが増えて來てゐる。
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▼常盤御前は杖を突いてそれが竹に、畠山重忠は念じたら竹が真直ぐ伸びた。竹ではないが源範賴が突いた杖は蒲櫻になつた。
真直ぐな氣持ちが植物になると言ふ願望はなんとなく解るな。
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▼寫眞では解りづらいですが、確かに竹が生えてゐた。
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▼雨乞ひ池に到着。
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▼雨が降つては困るので雨乞ひはしませんでした。
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▼山頂に到着。
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▼これだけ登ると景色は綺麗だ。
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2016-12-29

能仁寺

曹洞宗に屬し、山號を武陽山、寺號を能仁寺と稱す。ご本尊は毘盧遮那佛。文龜元年(一五〇一年)頃に開山したさうだ。開山は斧屋文達と言ふ人。
幕末に飯能戰爭(戊辰戰爭の一部)の舞臺となり延燒、昭和一一年に再建された。飯能戰爭を指揮した賊軍は澁澤成一郞を首領する彰義隊から脫退者で、振武隊と名乘つた。振武隊は官軍に攻められ、澁澤成一郞は被彈負傷し伊香保に逃亡、その他は能仁寺を退却して、顏振峠を越えて先にご紹介した桂木觀音の近くの黑山と言ふ聚落まで落ち、その場で潰滅した。
本堂の裏手に池泉廻遊式の庭園があつた。すみません、京都の庭園を數多くみて來たものでして、感動が薄くてあまり印象がありません。寫眞も撮つてゐなかつたやうで、手元にこれと言つたものがなかつたが、本堂前の楓は綺麗に紅葉してゐて綺麗だつた。

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2016-12-28

名栗湖

埼玉縣飯能市にあるダム湖。埼玉のダム一號のやうで、こゝは多目的ダムとのこと。大きさは小ぶりであつたが、ダムと言ふのはなんか面白い。山の中に水が溜まつてゐるのがミスマッチだからかな、なんと表現したら良いか難しいが景色としては雄大と言つたところだらうか。鳥居觀音は紅葉の見頃であつたが、名栗湖はまだ早い感じだつた。距離にして五キロとない筈であるが、自然は纖細ですな。

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2016-12-27

鳥居観音

山號を白雲山と號す。埼玉銀行初代頭取の平沼彌太郞が母の遺言に從つて建立した。創建は新しいものの、ご本堂に安置されてゐる七觀世音菩薩や大黑は平沼自身が彫刻したさうで、平沼の信仰の篤さが窺へる。
名栗にあり埼玉百選に選ばれるほどの名勝となつてゐる。紅葉の季節は山一面が赤く色づき埼玉百選に選ばれるだけある綺麗な景色が廣がる。橘右が痛めた足首のリハビリがてら訪れたときはちやうど紅葉の頃で、燃えるやうな山と目新しいお堂の白さが絕妙な綺麗な景色が廣がつてゐた。
橘右の表現力では言葉は却つて美しい景色を損なつてしまふ。決して上手い譯ではないですが、寫眞で綺麗な景色をお樂しみ下さい。

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▼ご本堂。近代的な雰圍氣がするお堂だ。
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▼仁王門。
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▼平和觀音。
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▼大鐘楼
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▼三藏像。正面からだと逆光になつてしまふので、横から撮影。
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▼救世觀音。この觀音様の胎内に入ることが出來、ちやうど冠の邊りが展望臺になつてゐる。
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▼山茶花の季節ですね。
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▼いやはや、とても急な坂でした。
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▼玉華門。
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2016-12-26

桂木観音と虚空藏菩薩

桂木觀音は奧武藏グリーンラインでゆけるが越生町にあるゆうパークおごせの裏からハイキング道を通つてゆくのが一番の近道。標高は恐らく200m程度であるが、越生町、毛呂山町からみて一番近い山頂であることから關東平野がよく見える。走てゐるときは餘裕がないから關東平野を眺めるやうなことはしたことがなかつたが、今囘、ハイキングで步いたのは初めての眺めである。少々ガスが出てゐるのかな視界良好ではないが、冬の良く晴れた日は綺麗だらうな。あつ、夜景と言ふ手もあるな。
なほ、桂木觀音の「桂木」の由來は、行基が東國行脚をした時に大和の葛城山に似てゐることから「かつらぎ」と名付けたとされる。この近くは柚子が山の斜面いつぱいに大きな實を附けてゐた。柚子の產地のやうだ。

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▼「ゆうパークおごせ」の全容。
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▼せて、ハイキング道へと進みませう。
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▼桂木觀音近く。景色が綺麗だ。
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▼では桂木觀音へとまゐりませう。
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▼お次へまゐりせう。次は虛空藏菩薩。
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▼山犬?橘右にはカメレオンに見えるが・・・。
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2016-12-25

鎌北湖~奥武蔵グリーンラインの入口~

さて、一昨日はウルトラマラソンへの挑戰日記「走ること。限界を見つめる。」を始めることにしたと言ふことと、取り敢へず50km走つてみたと言ふことを書いてみた。
今日は、これまでにフルの練習として走つたことのある奧武藏グリーンラインの入口にある鐮北湖に立ち寄つたので、そこでの記念寫眞を少々。
奧武藏グリーンラインとは外秩父山地の中を走る鋪裝林道の總稱である。埼玉の毛呂山町、越生町、日高市から上がるルートが複數あり、そのうち鐮北湖は毛呂山町から上がるルートである。この鐮北湖(たぶん農業用のダム湖)から北向地藏、スカリ山、越上山を經由して顏振峠、黑山展望臺へと進み、途中、このブログでも紹介した高山不動尊の脇を通る。更に住むと分岐があり、一方は野末見晴臺を經由して黑山三瀧で一旦平地にでてから更に山を登り桂木觀音を越えて毛呂山町の驛近くに出る。もう一方は更に奧に進みぶな峠、刈場坂峠、埼玉縣縣民の森を更に進み秩父へと出る。このルートではスカリ山付近で標高400M、越上山600m、黑山展望臺600m、ぶな峠で800m、縣民の森が900mくらいと山が幾重に連なるなか/\に辛いルートである。因みに、こゝは吉田香織選手も練習してゐるやうだ。逢つたことはない。まあ、逢つたとしてもあつと言ふ間に拔かれて見えなくなると思ふけど。

鐮北湖。寫眞の頃は紅葉の始まりの頃。まだ少し早いかなと言ふころでしたが、湖面に映る木々が美しかつた。走つてゐるときは湖面に映る木々を樂しむことなんかできなかつたが、綺麗な景色だと思つた。今度走る時は、景色をみて心に餘裕を持たせたいな。

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▼こちらは北向地藏。鎌北湖からこゝまでは斜度がきつく辛い。が、樂しい。
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▼多分、この邊りがスカリ山。お社があつた。
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▼傘杉峠。奥武藏グリーンラインはまだ/\續く。
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2016-12-24

これだけは言ひたい。

今日はクリスマスですが、クリスマスは僕にはあまり關係のない話で、今日は極々個人的な事を徒然に書きたいと思ひます。はつきり言つて今日の話はつまらないと思ひますが、ブログですから偶にはかう言ふのも有りとさせて下さい。

昨日、RED VOLTAGE前で寫眞を撮つたと書いた。これとサブ4も達成してゐないのにウルトラを目指すことに關聯して、是非とも言ひたいことがあります。すみません、個人的なこと過ぎます。だから面白くはないですので、どうぞスルーして頂いて結構ですが、僕は言ひたい、今年はほんたうに我慢がならない。
ビックタイトルを摑んだあと、吾々は夢を追ひかけ過ぎてバラ/\になつてしまつた。勝ち進んでゐるときは少々異見があつても雰圍氣がそれを許してゐた。が、タイトルを無樣に逃すとそんな譯にはゆかない。吾々は失望と渾沌の中にゐた。そんな時に外部からどか/\とチャラいやつらがやつて來た。初めは監督だけだつた。その後、每年、廣島から選手が移籍してきた。はつきり言ひたい。我々は「浦和」だ。こんなんぢや「廣島」ぢやないか。しかも、來るやつはみなチャラい。そして、こんな奴がスターティングラインナップに名を連ね、直輝、峻希等浦和で育つた選手が使はれず移籍する。今や、關根と宇賀神だけぢやないか。俺たちはいつの間にか「サンフレッズ」になつてしまつた。
そして、サンフレッズな俺たちは何を手にしたのか?手にしたのは、「初めは强いが後半に失速してタイトルを逃す負犬」「笑ふくらゐ勝負弱いから、タイトルがかゝつた試合で當たるとラッキー」などと言ふ嘲笑ばかりである。そして2016年でもそれは餘すことろなく發揮された。しかし、浦和の男はこんなんぢやなかつたのだ。高校や實業團は、サッカーが强い埼玉縣の中心として數々のタイトルを手にしてきた。浦和の男は、いつも眞劍で敗ける事が大嫌いな熱血漢だつたのだ。敗けることはある。いや、浦和レッズはJリーグが始まつたばかりの頃に「Jのお荷物」と呼ばれ負けてばかりゐた。が、たとへ敵はないとしても全力で戰ひ續けるのが浦和の男だ。實力差があり過ぎて敗けるのは解つてゐても、それでも勝つために死力を盡くすのだ。だから、負けたら悔しい。敗けてヘラ/\するやうなやつは浦和の男ぢやない。だが今は廣島から特別チャラいやつを監督が呼んでゐるから、負けてもいつかう平氣な奴らばかりだ。散々タイトルを逃し續けても口先だけで中身はヘラ/\してゐるだけだら、一向に進步がない。實に嘆かはしいが、これが現實だ。歎いても仕方がない。
でも、僕は浦和の男だ。だから僕はウルトラマラソン完走を目指す。まだサブ4.5程度の實力しかない、だけど、僕はくじけない。負けない。あいつらとは違ふ。足が折れても構はない。先日の50km走、足首が折れさうくらゐに痛かつたがバスに乘らず自分の足で浦和の驛まで戾り、さらにそこからゴールまで自分の足で走破した。勿論、翌日以降にそのつけが廻つて來て、足甲の靭帶を痛めたが、それはもがきながらも負犬には成り下がりたくないと言ふ執念の結晶だ。愚かだと言はれるやうなことかもしれないが、負け犬は嫌だ。負け犬サンフレッズには成り下がりたくない。自分の限界は自分しか超えらない。だから、自分の限界を自分の足で踏み越える!何處までも。越えられなかつたら憤死してしまふほど、勝負にこだはる。それが浦和の男だ。だから目指す、ウルトラを!

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2016-12-23

走ること。限界を見つめる。

實は、ブログを書くことに燃え盡き氣味なんです。
と言ふのは、こゝ一年、坂東武者の面影を追ひ武藏國、相模國を始め京や奧六郡まで足を運び、それが終はつてしまふとなんとなしに次へ進む氣が起きなくなりつゝある。それだけ樂しかつたんだと思ふ、坂東武者を負ふ旅は。
てなことで、つひに記事のストックも底をつき始めました。さて、これからどうして行かうか。ブログ辭めようかなと考へたりしましたが、まあ、トロとクロとのお出掛けは今後も續く譯でして、今まで通り取り留めもなく徒然にトロクロ寫眞の整理的に續けて行かうと思ひます。また、橘右は3年內にウルトラマラソンの完走を目指さうとしてをります。時々、モチベーションアップの爲に、練習風景やウルトラに纏はる話も挾んで行かうと思ひます。
さて橘右はほんたうに100kmを死ぬまでに一囘でも完走できるのか?そんなことを過去のマラソンの記事と合はせて、まあ、素人の奮戰記みたいなものを「走ること。限界を見つめる。」と言ふ題で書いてみようと思ひます。
ところで、「ウルトラマラソン」つてなんだらう?
どうやら42.195kmを超える距離を走ることがウルトラマラソンとなるやうです。少し調べますと、サロマ湖100kmウルトラマラソン(100km/50km、六月下旬開催、制限時間:一三時間(100km))、四萬十川ウルトラマラソン(100km/60km、十月中旬、制限時間:一四時間(100km))、白山白川鄕100kmウルトラマラソン(100kn/50km、九月中旬開催、制限時間:一五時間)、柴又100K~東京⇔埼玉⇔茨城の道~(100km/60km、六月上旬開催、制限時間:一四時間(100km))、OSAKA淀川ウルトラマラソン(100km/70km/50km、三月下旬開催、制限時間:一三時間半(100km))などが有名どころのやうである。
なかには山口萩往還マラニックのやうに250 km(制限時間:四八時間)のやうな大會もあるが、多くは100kmの距離である。隨つて、ウルトラマラソンと言へば、100kmを十三時間以內で走らなければならないと言う競技である。また、河川敷を走る柴又、淀川を除き、都心での開催はない。而も、制限時間が一四時間と言ふことはスタート時間は五時とかになることが多い。家の近くで大會が開催されないかぎり前泊しなければならいのもウルトラマラソンの特徵である。
因みに、橘右は、柴又100K、伊豆大島ウルトラランニング(100km/58km、制限時間:一四時間)、三浦半島みちくさウルトラマラソン(100km/60km、制限時間:一四時間)、OSAKA淀川ウルトラマラソンと歷史街道丹後100kmウルトラマラソン(100km/60km、制限時間:一四時間)にも出走したいと野望を持つてゐる。が、今の實力はフルマラソンをサブ4.5出來るか出來ないか程度。ウルトラに挑戰など無謀と言へば無謀である。たゞ、來年の淀川に出ようとかそんなんぢやない。三年以內に出走、完走だ。ちやんと努力を重ねれば出來ないことはない。
てな譯で、第一囘目は半分の50kmを走ると言ふことはどんなことなのか?と言う體驗をしようと思ひ立ち、埼玉にある彩湖と言う一周大凡4.6kmの飮料用貯水湖を周廻してみた時のお話を少々。
まづ、念頭におかなければならないことは、一四時間で100kmと言ふことは1km當りの平均時間は八分二三秒で走ればよいと言うことである。フルマラソンをサブ4.5する場合は大凡六分半/km。速度は全然違ひ、やつぱりウルトラのはうが遲い。それを念頭において、今囘は七分一五秒/km~七分半/kmを目安として走つてみた。まあ、初めは樂勝と言ふか、「このペース遲くてなんかイライラするな」と言ふのが正直なところである。が、そんなことでペースを上げると後半で自爆するのは目に見えてゐる、自重しなければならない。さうして20kmほどになつた時に我慢がならず、「氣分を變えよう、埼スタまで行つてみよう」と彩湖を出て浦和經由で埼スタへと足を踏み出した。彩湖を出て國道一七號線を越えたあたりでなんか妙に疲れだした。をかしい。をかし過ぎる。と言ふのもまだ25km程度である。フルマラソンを大凡六分半/kmで步かずに完走してゐるにも拘わらず、七分一五秒/kmと出力を落として走つて25km程度で疲れてしまふなんて、なぜ? とてつもない自己嫌惡に苛まれた。餘りにも情けない、これぢや負け犬サンフレッズと同じだ。たゞの負け犬ぢやないか。
こゝで引き下がるわけにはいかない。更に進んで、RED VOLTAGEに到着。相變はらず繁昌してゐるな。RED VOLTAGEの前で寫眞を撮つてからさらに進み駒場スタジアムに到着。まだ駒場か。折れそうな氣持を奮ひ立たせ、駒場を出發。途中、新見沼大橋の料金所まで來た時にランニングウォッチを見たら大凡35km。これはダメだ。埼スタまで行くと埼スタで40km。出發點まで戾るとさらに20km。合計すると60kmになつてしまふ。體が出來てもないのに無理をしたら怪我するだけだ。折り返すのは負けに等しいが、これ以上は止めるべきだ。仕方が無い。と言ふ譯で料金所で引き返した。
往路は大變だつたな。途中で足首が痛くなつた。走つては痛くなり步き、步くと少しましになり再び走るを繰り返して、無事スタート地點に戾る事ができた。時間はちやうど七時間。七時間か。これでは100kmを一四時間で走る事は出來ない。う~ん、やはりウルトラマラソンは甘くないと言ふことである。
今囘の試みでは、50kmは走れた。ウルトラに出走するには脚力が足りないと言ふことも骨身にしみた。あと、七分一五秒/kmで走るのはなか/\にしんどい。この邊りも克服しなければならないと言ふ收穫を得た。

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▼走りながら撮つたので、ブレ/\ですね。てか、眞面目に走れ。
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▼何周も廻るとやはり飽きる。
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▼こちらは別所沼。別所沼を走るランナーは多い。
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▼この三人は良い。特に関根選手は橘右の心を擽る選手だ。
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▼駒場に到着。
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▼料金所。こゝでやむなく折り返した。負け犬には成り下がりたくないが、無理や焦りは怪我を誘發するだけだ。まだ/\先は長い。
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2016-12-22

武蔵に到着

昨年の十二月十九日に坂東武者の足跡を辿る旅を始め、八月の終りに京都へと足を延ばし保元、平治、治承・壽永の亂の舞臺を足を延ばし、勢ひに乘じて源氏執念の土地を目指し、奧六郡を旅して廻つた。こゝ奧六郡には武藏武者の名を間近に感じられる譯ではないが、武藏武者はしかとこの地で源氏に隨ひ、もがき苦しみ勝利を手にしたのである。源氏も初めは淸原に、續いて藤原淸衡に奧六郡から遠ざけられてしまふが、賴朝の代になり始めて奧六郡を手にすることが出來た。が、その賴朝の三代を待たず歷史の舞臺からその血脈が杜絕える。まさに「夏草や兵どもの夢のあと」である。
藤原氏最後の泰衡は平泉の寺院に火をかけることはなかつた。その後に平泉に入つた賴朝もさうである。賴朝は、憎しとて江ノ島で調伏呪詛した藤原秀衡の眠る中尊寺の金色堂を毀しはしなかつたのである。然し、殘念な事に奧州藤原氏と言ふ財力のある檀家を失つた平泉の寺院はやがて荒廢し、今は草生した地面にその痕を殘すのみである。
平泉を後にして、武藏に到着してしまつた。樂しかつた旅は終つてしまつた。今日は一二月二二日。旅を始めて今日でまる一年が經つ。一年、あつと言ふ間にこゝまで來てしまつた。始まつた頃は、これから旅する目的地がどうなつてゐるのか行く前から期待と好奇心で胸躍り氣持が抑へられない有樣であつたが、それも今は昔。遠い過去のことやうだ。今は、旅が終り達成感よりも終つてしまふことの寂しさが勝つてゐる。が、物事、始まりがあれば必ず終りがあるのものである。正に平家物語の冒頭の一節にあるとほり。

たゞ春の夜の夢の如し。

▼歷史の小路を步るくでご紹介した場所の地圖。
プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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