2016-09-30

御所八幡宮

應神天皇。神功皇后、比賣神をお祀りするお社。足利高氏が邸宅內の鎭護として勸請したことに始まる。元々は御池堺町に鎭坐してゐたが、大東亞戰爭の頃にこちらに遷坐したとのこと。

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2016-09-29

堀野記念館

京都伏見の銘酒「キンシ正宗」の發祥地で、堀野家本宅が保存展示されてゐる。キンシ正宗は、堀野久兵衞が天明元年(一七八一年)に若狹から上京し酒造りを始め明治十三年(一八八〇年)に更なる名水を求め伏見に移轉した。明治二九年(一八九六年)に金鵄勳章を受賞。その後、平成三年に名前を「キンシ正宗」と改めた。早くから近代的な設備を導入し大量生產化を圖るなど大衆向けの酒藏としての顏と、傳統的な製法に拘はると言ふ面の二つの顏を持つてゐる酒藏である。その爲、低價格な商品から手間暇かけて丹念に作つた商品まで幅廣く取り揃へてゐる。
さて、館內は、堀野家の奧坐敷や客間の保存展示、酒藏で使用してゐた道具の展示、利き酒などが見學、體驗できる。お酒も賣つてゐる。どれも旨いので買う時に迷つてしまふ。庭に出ると井戶があり、今でも涸れることなく湧いてゐる。この水は染井の水と同じ水脈のやうで、堀野久兵衞が酒を造る時に使つてゐた水ださうだ。桃の木の下に井戶があるので「桃の井」と呼ばれてゐる。
堀野記念館は二條堺町上ガルにあるので、行き易い場所にあると思ふので、機會があれば是非どうぞ。

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▼突然雨がひどく降つた。寫眞に雨が筋となつて映つてゐる。
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▼館内の樣子。寫眞撮影可であつた。
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▼こちらが名水「桃の井」
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▼醸造に使つてゐた道具の數々。
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▼キンシ正宗はオレっちの好物ミャ。
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2016-09-28

二条富小路御所址

後醍醐天皇の里內裏で、元弘の亂の砌に六條殿で卽位した光嚴天皇が遷坐され內裏となつた場所。光嚴天皇は、元弘の亂で北條氏が破れ、後醍醐天皇が復位したときに、卽位を否認された。足利高氏が鐮倉幕府を裏切つて六波羅探題を攻めた時に、幕府の六波羅勢が東國への遷坐を企てるが、途中で佐々木道譽などに阻まれ、京都にお戾りになられた。恐らく、土御門東洞院殿におはしたのだと思はれる。因みに土御門東洞院殿は現在の京都御所である。
さて、二條富小路御所は、足利高氏が叛亂を起した延元の亂の時に燒失。現在は碑が建つのみとなつてゐる。

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2016-09-27

桂の宮

詞書:かつらのみや
秋くれば月の桂の實やはなる 光を花と散らすばかりを(古今463物名:源惠)

この歌は物名なので、歌の中に詞書に書かれた文字が詠み込まれてゐる。「かつらのみや」とは宇多上皇の皇女である孚子內親王の住まひと思はれる。
孚子內親王は、大和物語で敦慶親王などと關係があつたと描かれてゐる。敦慶親王は「好色無雙の美人」と言はれ、光源氏の實在モデルのうちの一人。
因みに詠み手の源惠は生年不詳で歿年が九三一年とされる人物。孚子內親王は生年不詳で薨去は九五八年であり、かぶつてゐると言へばかぶつてゐるが、特になにか孚子內親王と關聯があつたかは解らない。偶々題として「桂の宮」を撰んだのだらうか。

孚子內親王がお住まひになられた桂宮は旣になくなつてをり、現在は大凡の場所が傳はるだけで、建物の遺構などは失はれてゐる。先に紹介した左女牛の若宮八幡と六條判官館址の眞ん中くらゐの場所にあるので、寄り道をして寫眞撮影を少々。

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2016-09-26

長講堂

淨土宗に屬し、阿彌陀如來をご本尊とするお寺で、後白河天皇所緣の地。後白河天皇が六條殿に持佛を安置する持佛殿を建立したことに始まる。文治四年(一一八八年)に燒失したが、すぐさま再建され、建久二年(一一九二年)に法皇から全國四二國の八九箇所の莊園の寄進をうけた。この莊園はその後、紆餘曲折があつたが、後嵯峨天皇が相續した。この後、伏見天皇が相續し、以後は持明院統が代々相續し、財政の基盤となつた。
さて、當寺であるが、元々は六條殿に建てられたもので、現在の場所とは別の處に建立されたが、度重なる火災などで移轉を繰り返し足利義滿の頃に現在の場所に落ち着いたやうである。
現在、境內は拜觀謝絕となつてゐるが、每年四月十三日の後白河法皇忌法要の時のみ公開される。

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2016-09-25

若宮八幡宮(清水五条)

應神天皇、仲哀天皇、神功皇后をお祀りするお社。左女牛八幡宮とも呼ばれる。當社は源義義の頃、左女牛の館に石淸水八幡宮を勸請したことに始まり、豐臣秀吉により、現在の鎭坐地へ遷坐した。源氏の館があつた左女牛に鎭坐してゐたことから、歷代の源氏や足利、新田氏の後裔を稱する德川氏などから篤い崇敬を受け樣々な寄進を受けてゐた。

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▼境内が發祥地と言ふ譯ではなく、この邊りに窯元が多くあつたことに由來する。
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▼孝明天皇の御胞衣塚。
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▼ハートの形をしてゐる。天然?人造?
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★はゝ、は~い、やつてまゐりました、御待ちかねオレっちの地酒コーミャー♪。
今回は、オレっちの大好物、伏見の銘酒の數々をご紹介するミャ。あゝ、よだれ、とまらんミャ。
まづは、「月桂冠」。最近ではパックやカップの印象が強いが、寛永十四年(一六三七年)創業と酒藏の中でも老舗中の老舗。
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▼山本本家さんの銘酒、「神聖」。すつきりした飲み口が特徴ミャ。
藏元自らが「鳥せい」と言ふ居酒屋を運營してゐるさうだ。こんど行つてみようかミャ。
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▼齋藤酒造さんの「英勲」。全國新酒鑑評會を十四年も連續して金賞受賞したさうだ。
オレっちはまだ呑んだことがないので、これは呑みたい!!呑ませろ、早く!
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2016-09-24

定家京極館址

詞書:百首歌たてまつりし時
ひとり寢る山鳥の尾のしだり尾に 霜置きまよふ床の月影(藤原定家朝臣:新古今487秋歌)

こちらの歌は、言ふまでもなく人麻呂の有名な一首「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の 長々し夜をひとりかも寢む」の「本歌取り」である。「本歌取り」とは有名な古歌の一句或いは二句を取り入れて詠むこと。有名な例を擧げると伊勢物語の初段(初冠)で若き在五中將がふるさとで出逢つた姉妹に河原左大臣の有名な歌を本歌取りして「春日野の若紫のすりごろも しのぶの亂れかぎり知られず」と詠んだ歌などがある。この本歌取りは、今樣に言ふなら「朴李」、あつ、失禮しました「パクリ」と言へるかもしれない。藤原淸輔は批判的だつたやうだが、藤原俊成は表現に厚みを加へるとして肯定的だつたと言はれてゐる。
今日、ご紹介の場所は藤原定家の京極館があつたとされる場所です。現在は、寫眞のとほり碑があるのみで、遺構などはない。今日は九月ですので、陰曆では凡そ八月。陰曆の八月は秋になります(一月から三月までが春、四月から六月までが夏、七月から九月が秋)。定家の父は藤原俊成。千載和歌集の撰者で、平忠度が都落ちをする時に俊成の舘を訪ね、いくつかの歌を殘して行つた。この件は平家物語にしるされてゐる。その俊成の歌の才を受け繼いだのが、この人、藤原定家。「さだいへ」だが普通「テイカ」と發音される。
因みに、定家は應保二年(一一六二年)から仁治二年(一二四一年)に生きたさうなので、平治の亂(一一六〇年)の二年後に產れ、承久の亂は承久三年(一二二一年)に發生してゐるので、承久の亂の二十年後に歿した。
當時から歌人のとしての名聲が高く、天皇陛下を始め、樣々な人物と交流のあつた人脈の廣い人物であつた。吾妻鏡には源實朝が定家の元に和歌を送り指南してもらつてゐることがいくつかの條にでてくる。
次の歌は後白河院が栖霞寺(現淸凉寺)におはしました時に詠んだことが詞書から讀める。

詞書:後白河院、栖霞寺におはしましけるに、駒引きの引分けの使にてまゐりけるに
嵯峨の山千代の古道あとゝめて また露分くる望月の駒(定家朝臣:新古今1646雜歌中)

時代は、武士が弓矢を以て驅け拔けた頃だが、定家は歌を以て時代を驅け拔けた人物だ。歌だけでなく數々の寫本も殘してゐる。この人が我が國の國文學に與へた影響は計り知れない程尊い。

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2016-09-23

賀茂斎院址(櫟谷七野神社)

詞書:齋院に侍りける時、神館にて
忘れめや葵を草に引き結び 假寢の野邊の露のあけぼの(式子內親王:新古今182夏哥)

船岡山の東に櫟谷七野神社が鎭坐してゐる。このお社は、賀茂齋院の址に鎭坐してゐるさうだ。賀茂齋院とは、兩賀茂社に奉仕した皇女(齋院)の御所。伊勢神宮の場合は「齋宮」と呼ぶ。齋院は葵祭の主役である。齋院は大凡、嵯峨天皇の御宇に始まつたとされ、承久の變頃に杜絕した。
齋院は式子內親王も勤められた。こちらは、百人一首に入撰してゐる歌。

玉の緖よ絕えなば絕えねながらへば 忍ることのよわりもぞする(式子內親王:新古今1034戀哥壹)

もう一首。
生きてよもあすまで人もつらからじ この夕暮れを問はば問へかし
(式子內親王:新古今1329戀哥四)

式子內親王と藤原定家は非常に緊密な關係であつたらしい。この歌は式子內親王が定家に贈つたとされる歌。

最後にもう一首。
うたゝたねの朝けの袖にかはるなり ならず扇の秋の初風
(式子內親王:新古今1034秋哥上)

陰曆ではもう晚秋。現代では秋の訪れを漸く感じられるやうになつた。やはり、地球溫暖化は進んでゐるのかもしれない。

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▼當社は染殿后がご懐妊の際、その安産を祈願して大和國三笠山から春日大神を勧請したことに始まる。
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2016-09-22

石像寺

淨土宗に屬し、山號を家隆山、寺號を光明遍照院石像寺と稱す。ご本尊は、地藏菩薩。開基は空海で創建は弘仁十年(八一九年)だとされてゐる。空海の開基であることから當初は眞言宗であつた。鐮倉期に改宗したさうだ。
當寺は、「石像寺」と言ふよりも千本通りの「釘拔き地藏」と言ふはうが通つてゐる。釘拔き地藏と呼ばれることになつた說話が今に傳はつてゐる。
紀ノ國屋道林と言ふ商人が手の痛みに苦しんでをり、縋る思ひで當寺のお地藏さんにお祈りした。ある日、道林の夢枕にお地藏さんが現れ、「前世で人を恨んで呪ひの人形を作つてその手に八寸釘を打ちつけたことが現世に於いて兩手の激痛を招いてゐる。」と言つたさうだ。お地藏さんはさらに、人形から八寸釘を拔いて道林に見せた。道林が目覺めると兩手の痛みが全く消えてをり、お禮の爲に石像寺をお參りしたところ、お地藏さんの前に八寸釘が置かれてゐたさうだ。以降、當寺のご本尊のお地藏さんは苦しみを拔いて下さるありがたいお地藏さんとして人々から篤い崇敬を受け續けてゐる。
御朱印を戴く際に、年の數だけ本堂を廻るやうに言はれたので、年の數本堂を廻つた。目が囘つたが、かやうなことをしたことがなかつたので、なんと言へば良いのかな、樂しかつたと言ふか、興味深かつたといふか。もし、お時間があれば、やつてみるのもよいでせう。

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▼これを持つて廻ります。年の數だけ持ち、一囘廻る毎にこちら返します。
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2016-09-21

引接寺

眞言宗に屬し、山號を光明山、寺號を歡喜院引接寺と稱す。ご本尊は閻魔法王。その爲、千本ゑんま堂とも呼ばれてゐる。開基は小野篁だとされてゐるが、寬仁元年(一〇一七年)に定覺上人が開山したと言はれてゐる。
ご本尊の閻魔樣は大きな坐像で一見すると威壓感がある。が、ご尊顏を拜見してゐるうちに、閻魔樣のご尊顏は意外と言ふかなぜか優しい微笑みを浮かべてゐるやうに見えた。閻魔樣と言へば地獄の沙汰と言ふ事で大變恐ろしい印象を持つが、閻魔樣はお地藏樣の化身である。
生前に行つた大罪はそれ相應の償ひをしなければならない。人と人とが共同で暮らすとき、自分の利益や權利のみを主張し、相手の權利や利益を認めない人間ばかりであれば共同生活は成り立たない。また、人は長い歷史のなかで、共同生活が潤滑に行へるやうに樣々な仕來りや規則、道德を構築して來た。それを破る事は他者に迷惑を及ぼし、共同生活を成り立たせなくなる。そのやうな人間はやはり罰せられなくてはならない。それは人として集團で生活する上での必要な決まり規則を破つたからに他ならないからだ。閻魔樣は人を社會の規則、道德から反した行爲を積み重ねたものを罰すると言ふ汚れ役を進んで引き受けてゐるのである。
閻魔樣の慈悲を示す說話がある。當寺の境內には紫式部の供養塔がある。紫式部は生前に愛憎にまみれた官能小說を書き人々を邪淫に導いたと言ふ罪で地獄の沙汰を受けたさうだ。愛憎にまみれた官能小說とは「源氏物語」である。閻魔樣の眷屬の司錄と司命の傍で仕へてゐた小野篁が「源氏物語」は官能小說ではなく、美しい言葉で綴られた本邦の國風文化に大きな好影響を及ぼした文學作品であり、評價されてしかるべきであり、責められる謂れはないと閻魔樣に進言したさうだ。この話を聽いた閻魔樣は、式部を淨土へ送つたとされる。
當寺は、改めて人は人として全うに生きなければならないと言ふことを考へさせて吳れるお寺であつた。

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▼地獄でも火の用心は大切です。
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▼式部の供養塔
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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