2015-10-08
日枝神社(清瀬)
東京都淸瀨市淸戶に鎭坐してをり、日枝神社と水天宮社が同じ境內に鎭坐してゐる。元は日枝神社のみであつたが、明治に入り水天宮を勸請したやうだ。日枝神社の創建は室町末期頃のやうで三猿の石燈籠は市の有形文化財に指定されてゐる。
創建は比較的新しいお社であるが、當社には古代の言ひ傳へがある。東征中の日本武尊が當地にお立ち寄りになられ、柊の木の下でお休みになられ「こゝは淸らかな土だ」とおつしやられたことから、當地を「淸土」と呼ぶやうになり、やがて淸戶となつたとのこと。日本武尊がお休みになれれた柊の木は枯れてしまつたやうだが、その枯れた木から再び蘖の柊が生えて來たさうで、現在も蘖の柊が植ゑられてゐる。現在は住宅が立ち竝ぶ風景であるが、かつては木々が淸らかに蔽ひ茂る涼やかな風の吹く景色であつたのだらうか。
▼日枝神社、水天宮、御嶽神社、三つ竝んでゐる。
▼トロ「龍さん、こんにちは。猫のトロですニャ」
▼日枝神社の拜殿
▼水天宮の拜殿
▼山岳信仰を色濃く反映してゐるのだらう、こちらは御嶽神社拜殿
▼見ざる、言はざる、聞かざる
創建は比較的新しいお社であるが、當社には古代の言ひ傳へがある。東征中の日本武尊が當地にお立ち寄りになられ、柊の木の下でお休みになられ「こゝは淸らかな土だ」とおつしやられたことから、當地を「淸土」と呼ぶやうになり、やがて淸戶となつたとのこと。日本武尊がお休みになれれた柊の木は枯れてしまつたやうだが、その枯れた木から再び蘖の柊が生えて來たさうで、現在も蘖の柊が植ゑられてゐる。現在は住宅が立ち竝ぶ風景であるが、かつては木々が淸らかに蔽ひ茂る涼やかな風の吹く景色であつたのだらうか。
▼日枝神社、水天宮、御嶽神社、三つ竝んでゐる。
▼トロ「龍さん、こんにちは。猫のトロですニャ」
▼日枝神社の拜殿
▼水天宮の拜殿
▼山岳信仰を色濃く反映してゐるのだらう、こちらは御嶽神社拜殿
▼見ざる、言はざる、聞かざる
スポンサーサイト