2015-08-02
江戸城址
德川幕府の政廳となつた城。太田道灌が築いた平城を德川家康が改修し、その以降も幾度か手が加へられた。明曆の大火(明曆三年:一六五七年)で天守臺を含む城廓の多くが燒失、再建されたものの天守臺は再建されなかつたりと、規模は縮小されたやうである。明治に入り官軍に明け渡され、明治天皇陛下の遷坐があり現在に至る。因みに現在の皇居は本丸ではなく江戶城の西の丸である。本丸は皇居東外苑として一般公開されてをり、江戶城の遺構が見學できるやうになつてゐる。
將軍の居城であつたことから、繩張りは嚴重で流石だなと思ふ造りであつた。それから、石垣。大阪城も凄いと思つてゐたが、江戶城はほんたうに藝術の域に入るほど美しい。これほどまで石を切り出すのは相當な時間と技術と資金が要つただらうな。
▼大手門は現在修理中です。
▼大手門を入つて直ぐの処にある「同心番所」。城の奥の番所ほど、役人としての地位が高くなるさうだ。こゝ、同心が詰めて登城する大名のお供を監視してゐたとのこと。
▼百人番所。鉄炮百人組と呼ばれた伊賀組、甲賀組、根来組、二十五騎組が交代で番をしてゐた。
▼大番所。現存してゐる建物の中で最も奥に位置してゐる。与力や位の高い同心が番をしてゐたとのこと。
▼中雀門址
▼この黑い処は火事で燃えた煤が附着してゐると言ふことなのか。
▼さすがは江戸城、本丸御殿がでかい。
▼天主閣址
▼これ以降は平川門
將軍の居城であつたことから、繩張りは嚴重で流石だなと思ふ造りであつた。それから、石垣。大阪城も凄いと思つてゐたが、江戶城はほんたうに藝術の域に入るほど美しい。これほどまで石を切り出すのは相當な時間と技術と資金が要つただらうな。
▼大手門は現在修理中です。
▼大手門を入つて直ぐの処にある「同心番所」。城の奥の番所ほど、役人としての地位が高くなるさうだ。こゝ、同心が詰めて登城する大名のお供を監視してゐたとのこと。
▼百人番所。鉄炮百人組と呼ばれた伊賀組、甲賀組、根来組、二十五騎組が交代で番をしてゐた。
▼大番所。現存してゐる建物の中で最も奥に位置してゐる。与力や位の高い同心が番をしてゐたとのこと。
▼中雀門址
▼この黑い処は火事で燃えた煤が附着してゐると言ふことなのか。
▼さすがは江戸城、本丸御殿がでかい。
▼天主閣址
▼これ以降は平川門
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