2015-05-31

玉川神社

伊弉諸尊、伊弉再尊、天照皇大神をお祀りする社。元々は、熊野神社と呼ばれてゐたさうだ。文龜年間(一五〇一年~一五〇四年)に世田谷城主吉良賴康により勸請されたとのこと。
明治になつて、周邊の社を合祀して社號を玉川神社に改めたと傳はる。
目黑通り沿ひに鎭坐してゐるが、境內は落ち着いて靜かなお社だつた。

tamagawa01.jpg

▼躑躅が綺麗ですにャ
tamagawa02.jpg

tamagawa03.jpg

▼すみません、見づらいですが、この狛犬さんならぬ狛獅子さんは、子供を谷に突き落としてゐる圖を現してゐるさうです。虎は子を谷に落として鍛へると言ふことださうです。
tamagawa04.jpg

▼鳥居の裏に道路標識があつた。なんか妙な感じ・・・。
tamagawa05.jpg

続きを読む

2015-05-30

等々力溪谷と橫穴墓群

世田谷區を流れる谷澤川沿ひで、湧水が浸蝕して出來た溪谷。都會の眞ん中にあるので、すこし不思議な感じのする場所である。この溪谷の中に三基の橫穴墓がある。二基は旣に壞れてゐるやうで址が殘るのみとなつてゐるが三號基は、石で塞いであるが保存されてゐた。築造は古墳時代後期といふから七世紀頃のやうで、三體の遺體が埋葬されてゐたとのこと。今は無き二號墳には主に奈良で利用されてゐた土師器が出土したさうで、埋葬された人物は大和に出て何かの職について故鄕に戾り埋葬されたのかもしれない。埼玉古墳の金錯銘鐵劍の持ち主と同じやうな感じなのかな。七世紀頃に當地と大和の繫がりが確認できる古墳であつた。

todorokikekoku02.jpg

▼幹線道路が脇を通る都會のど眞ん中とは思へない綠深い渓谷である。
todorokikekoku03.jpg

todorokikekoku04.jpg

todorokikekoku05.jpg

todorokikekoku06.jpg

▼こちらが三号墳です。
todorokikekoku07.jpg

2015-05-29

等々力不動尊

眞言宗智山派に屬する致航山滿願寺(本尊は金剛界大日如來)の別院で、山號を瀧轟山、寺號を明王院を稱す。本尊は、不動明王。開基は興敎大師で大凡八百年前に夢を見て、武藏國に不動明王像を安置する場所を探してゐる時に豐富な水量を流す當地の瀧を見て、この地に不動堂を創建したのが始まりと社傳が傳へる。
境內は目黑通り沿ひで本堂のある場所とそこから坂を下り等々力溪谷內に辯天堂などのお堂が建つてゐる。溪谷の靑々とした木々の深綠と瀧の音も涼やかな境內であつた。

todorokifudo01.jpg

todorokifudo02.jpg

▼五月連休だけに參拜に訪れる人々も多い。
todorokifudo03.jpg

▼境内の模型。
todorokifudo04.jpg

▼本堂
todorokifudo05.jpg

▼寺務所の脇の階段を下ると等々力渓谷内にある境内へと通ずる。
todorokifudo06.jpg

▼綠が眩しい
todorokifudo07.jpg

▼石組の間を割つて筍が芽吹いてゐた。
todorokifudo08.jpg

▼蜜柑の甘い香りが漂つてゐたので、どなたかの香水かと思いきや、蜜柑の花が咲いてゐた。
todorokifudo09.jpg

2015-05-28

御岳山古墳

五世紀中頃に築造されたと思はれる、帆立貝形の古墳。鐵製短甲二領や鐵製武器、埴輪等が出土してゐるさうだ。現在は、立ち入り禁止となつてゐる。隨つて、全容が摑めなかつた。栅の奧のはうに石佛なのか石の板のやうな物があつたのは見えたが木々が蔽ひ墳頂までは見えない。少し調べた限りでは、小さなお社が建つてゐるらしい。

mitakeyama01.jpg

▼かやうに門が閉まつてゐます。
mitakeyama02.jpg

▼住宅地に接してゐるので、全容を窺う事は出來ない。
mitakeyama03.jpg

▼木が蔽ひ茂つてゐるので、これまた、古墳がどのやうなのか把握出來ない。
mitakeyama04.jpg

2015-05-27

野毛大塚古墳

五世紀中頃に築造された帆立貝式の古墳。先の御嶽山古墳とは違ひ、野毛公園內にあることから、墳丘の形狀が良く見える。帆立貝式と言へば、前方の部分が四角ではくて臺形のやうなので帆立貝のやうな形になつてゐるものだが、この古墳は圓墳に造出が二つあるやうな感じであつた。なので、現地に到着して圓墳だと思つてしまつた。葺石がしてあつたやうで、四基の棺の外、武具などが副葬品として出土したさうだ。
世田谷の街中にある古墳なので、アクセスの良い古墳だと思ふ。

▼野毛大塚古墳は世田谷の玉川野毛公園内にあります。
nogeotsuka01.jpg

nogeotsuka02.jpg

▼円墳に見える。が、帆立貝式である。
nogeotsuka03.jpg

▼前方墳と造出
nogeotsuka04.jpg

nogeotsuka05.jpg

nogeotsuka06.jpg

▼墳頂はなんと鋪装されてゐる。これまた珍しい。
nogeotsuka07.jpg

nogeotsuka08.jpg

▼この欠け工合は意圖的か、それとも長年の風雨によるものか?微妙な感じ。
nogeotsuka09.jpg

▼花弁の弁元から筋が出てゐるのと葉が細く主脈が目立つてゐないので、これはあやめだ。
nogeotsuka10.jpg

2015-05-26

目赤不動尊

天台宗に屬し山號を大聖山、寺號を東朝院南谷寺と稱す。本尊は、阿彌陀如來。こちらのお寺は東京の五色不動尊のなかの赤、すなはち、目赤不動尊である。
本堂は公開されてゐないやうでしまつてゐた。不動堂に目赤不動が鎭坐してゐるが、不動堂はガラス越しに不動尊のお姿を拜むことが出來る。
不動明王とは、明王の一尊で大日如來の化身とも呼ばれたりする。「お不動さん」として親しまれ、庶民からの信仰も篤い。三鈷劍を右手に羂索を左手にもち、右眼を見開き左眼を眇めるか右眼で天、左眼で地を睨む「天地眼」と右の牙を上に左の牙を下に出す牙上下出の表情してゐる姿が一般的であり、坐像、立像どちらもある。
東京にある五色不動の一つであり、ありがたい不動明王をお參りできるお寺である。

meaka01.jpg

meaka02.jpg

▼こちらは本堂です。
meaka03.jpg

meaka04.jpg

▼こちらは不動堂です。
meaka05.jpg

2015-05-25

北野神社(中野區)

新井藥師の傍にある社で、菅原道眞公と保食神をお祀りする。創建はいつだつたのか詳しく解らないとのことで、沙門行春が建立したとも、それ以前よりこの地の鎭守社であつたとも言はれてゐます。境內に「新井」の地名の由來となつた井戶があつたさうだが、どれだつたのだらうか?
境內には、稻荷神社と大鳥神社の二つの攝社がある。大鳥神社は日本武尊をお祀りしてゐる。日本武尊をお祀りするお社は、關東に多いやうに思へる。
菅原道眞公をお祀りしてゐるお社なので、やはり撫で牛があつた。梅と撫で牛は定番ですね。
橘右がお參りしたのは新井藥師をお參りした日と同じ、櫻の咲き始めた穩やかな春の日。境內に咲く「プリンセス・雅」が綺麗な花を咲かせてゐた。

araitenjin01.jpg

araitenjin02.jpg

araitenjin03.jpg

▼こちらは大鳥神社。
araitenjin04.jpg

araitenjin05.jpg

▼大中臣能宣の歌碑「梅の花匂ふあたりの夕ぐれは あやなく人にあやまたれつゝ」。
大中臣能宣は、梨壺の五人のうちの一人。
araitenjin06.jpg

araitenjin07.jpg

araitenjin08.jpg

2015-05-24

前鳥神社

莵道穉郞子命、大山咋命、日本武尊をお祀りする社。「前鳥」と書いて「さきとり」と讀む。宇治には莵道穉郞子命をお祀りする社があるし、また、その關聯も解るが當社と莵道穉郞子命との關聯は不思議である。
創建は相當古いやうで、延喜式神名帳にも揭載されてゐるさうだ。建久三年(一一九二年)、さうですね、良い國作らう鐮倉幕府の年に源賴朝と北條政子が安產祈願にあたり神馬の奉納があつたと傳はつてゐる。
當社は、每年五月五日に神奈川の西部で行はれてゐる「國府祭」の五社のうちの一つ。「國府祭」とは吾妻鑑にも載つてゐる古いお祭りで、神揃山に五社の御輿があつまるところから始まり「坐問答」と呼ばれる神事などを行ふもので大變珍しいお祭りのやうです。
一宮が寒川神社、二宮は川勾神社、三宮が比々多神社、四宮が當社で五宮が平塚八幡宮と言ふことで、三から五までお參り出來た。いづれは一宮、二宮もお參りしたいし、國府祭も見てみたいと思ふ。

sakitori01.jpg

sakitori02.jpg

sakitori03.jpg

sakitori04.jpg

sakitori05.jpg

▼第三段「オレっちの地酒コーミャー」。今囘は黃金井酒造さんの「盛升」。
地產地消の考へから黃金井酒造さんの地元厚木の「キヌヒカリ」と言ふ品種のお米を使つてゐるさうだ。
この「キヌヒカリ」は酒造好適米ではないやうで、コシヒカリに似た食感のあるお米とのこと。
sakitori06.jpg

2015-05-23

平塚八幡宮

應神天皇、神功皇后、武內宿禰命をお祀りする社で、その昔は鶴峯山八幡宮と呼ばれてゐたさうだ。社殿によると當地を含むこの付近が大地震に襲はれ多數の被害出したときに、仁德天皇の敕願により應神天皇を祭神として創建されたと傳はる。また、別に傳はるところでは、神龜年間(七二四年~七二九年)に宇佐神宮から勸請を受けとも言はれてゐるさうだ。但し、武田信玄が北條氏康を攻めた時に當社が陣屋とされてしまひ、社殿や舊記、古緣起などが戰禍に掛かり燒失したとのこと。江戶期に德川家康の參拜を機に、社殿の再建や御朱印地の寄進等があり再興がはかられた。
橘右の記憶では、當社の裏の公園に恐ろし程兇暴な鷄が大量にゐたやうな氣がする。鷄なのに木の上にとまつてゐたし、步いてゐると攻擊されたりもしたのだが、現在はゐなくなつたやうだ。代はりに、當社の池に多くの家鴨が泳いでゐた。ちなみに、この裏の公園は現在立ち入り禁止のやうです。

hiratsukahachiman01.jpg

hiratsukahachiman02.jpg

▼この後、この家鴨のどちらか一方が、やや茶色の家鴨を攻擊した。
茶色の家鴨の首に嚙みつき、その家鴨の首に大きな傷が出來てしまつた。
昔ゐた鶏同樣、兇暴だつた。
hiratsukahachiman03.jpg

hiratsukahachiman04.jpg

hiratsukahachiman05.jpg

hiratsukahachiman06.jpg

▼橘右の好きな靑もみぢの季節がやつて參りましたね。
hiratsukahachiman07.jpg

2015-05-22

比々多神社

豐國主尊、天明玉命、雅日女尊、日本武尊をお祀りする社。創建は神武天皇の御代とのこと。相當古いお社である。當社が鎭坐してゐる場所の住所は「三ノ宮」が示すとほり相模國三宮である。
豐國主尊とは、天地開闢し程ない時にお見えになられた神で古事記では國之常立神の次にお產れになられた。古事記の表記は「豐雲野神」となつてゐる。天明玉命は古事記に登場する神樣で、岩戶隱れの際に八尺瓊勾玉をお造りになられたとされてゐる。玉造部の祖である。雅日女尊は、日本書紀にあり古事記では特に御名前が見えない神樣であるが、須佐之男命の亂暴狼藉でお亡くなりになられたとされてゐる。
元曆元年(一一八四年)に源賴朝が大規模な社殿再建を行つたり、その後北條政子が安產祈願したりと鐮倉武士からの篤い崇敬を受けてゐた。
伊勢原の山のはうに鎭坐してをり、社殿はさう古くなささうであるが、古式ゆかしい趣を感じる社であつた。

hibita01.jpg

hibita02.jpg

▼目と口が赤くて妙に怖い顔をした狛犬さん。
hibita03.jpg

hibita05.jpg

▼御輿がしまつてありました。
hibita06.jpg

▼狛犬ならぬ狛羊さん。毎年、干支に合せるのかな。
hibita07.jpg

▼あれ、そつぽ向かれてしまつたみャ
hibita08.jpg

▼第二段、「オレっちの地酒コーミャー」。今囘は比々多神社に奉納されてゐる「菊勇」。
「菊勇」と言へば出羽のお酒が有名ですが、あちらは「きくいさみ」で、こちらは「きくゆう」。伊勢原にある吉川釀造さんの地酒。
なんでも、「蓋麴法」と言ふ今は手間が掛かりあまりされない麴造りで造られてゐるさうだ。流通經路が限定的なやうで、手に入れることができなかつたみゃ、殘念無念。
hibita09.jpg
プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
淡々と百人一首
    フリーエリア
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR
    御訪問ありがたうございます