2015-03-31

六道珍皇寺ふたゝび

こちらも「第49囘 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 ~祕められた京の美をたづねて~」の對象寺院である。まづ初めにおさらひを。
臨濟宗建仁寺派に屬する建仁寺の境外塔頭で、山號を大椿山と稱す。本尊は藥師如來坐像。建立當時の藥師如來は現在、本堂ではなく入つてすぐの收藏庫に安置されてゐる。本堂では防火對策がいまひとつださうだ。當寺は、野宰相と呼ばれた小野篁卿所緣のお寺であり、境內に「冥土通ひの井戶」「黃泉歸りの井戶」がある。
今囘、通常非公開のこの兩井戶が公開された。井戶の公開もさることながら、本堂內部も通常公開されてゐない。今囘、初めて內部を拜見したのだが、中にある「熊野觀心十界圖」は大變感慨深かつた。
人間惡いことをしてはいかん、常日頃より、他人を尊重して接してゐれば、滅多な事で地獄には落ちないと言ふことを考へさせてくれる繪だと思ふ。かやうに偉さうなことを言ふ橘右だが、人が亡くなつた後にその遺骸が犬に食はれてゐる、ある意味地獄の樣よりもシリアスな部分が印象に殘つた。また、繪の上部が人生を右から左へ坂を上がり頂點を經てやがて下り一生を終へると言ふ構圖になつてゐる。その坂の頂上、すなわち人生の頂上がぼかされてゐて、どこだが解らなくなつてゐる。これは、人の人生の頂上とは解りづらいものだからださうだ。深いなあと思つた。
さて、兩井戶であるが、「冥土通ひの井戶」のはうは、蔦で內部が覆はれてゐて良く見えなかつたが、「黃泉歸りの井戶」のはうはこん/\と水が湧き出てゐた。
井戶を見ながら「かつて紫式部が助かつたやうに橘右も助けて下さい」とお願ひをした。橘右が地獄の沙汰を受けてゐるときに篁卿は助けてくれるだらうか。

▼お堂のお庭。さう廣くはないものゝ、なか/\佇まひだと思ふ。
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▼正面にて
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▼本堂
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▼お庭の椿。まだ咲いてゐなかつた。
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▼お堂から見た冥土通ひの井戸
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▼お堂を降りると撮影禁止とのことでしたので、失礼ながらお堂からアップで撮つてしまひました。
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▼紫野にある小野篁卿と紫式部のお墓。傳説によると、源氏物語で愛慾を描いた紫式部は「源氏物語といふ色戀を書いて人々の心を惑はした」と言ふ咎で地獄の沙汰をうけてゐたときに、閻魔様の傍にゐる篁卿が執成して、地獄へ行かずに済んだとのこと。その縁でお墓が隣合はせになつてゐるさうだ。
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▼右が篁卿で、左が式部。因みに、この二人の年代はあつてゐない。篁卿は嵯峨天皇の御代の人。紫式部は一條天皇の御代。これが、歴史の面白さだと思ふ。
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2015-03-30

靈源院

臨濟宗建仁寺派に屬するお寺で、建仁寺の塔頭。本尊は藥師如來。今囘の旅の目的の一つである「第49囘 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 ~祕められた京の美をたづねて~」にて院內が特別に公開されてゐるので、お參りをした。
本尊前に安置されてゐる中巖圓月坐像は、ほゞ實物大であるが一本木造りとのこと。一本の木で造られたと言ふのも驚きであるが、寫實性がみごとであつた。そして、その脇に毘沙門天立像がガラスケースに收められて展示されてゐる。これが、すごい。この毘沙門天は、中嚴圓月坐像の胎內に收められてゐた胎內佛である。胎內佛であるが、その大きさにも吃驚した。二十糎程度はありませうか。胎內に收められてゐたとはとても思へないほどの大きさであつた。右手に持つ寳塔が水晶になつてゐるのも珍しいと思ふ。胎內佛であつたから、日光に當たらず褪色もない綺麗な佛樣である。
京の冬の旅は四九囘を迎へるさうだ。昨年は寺町阿彌陀寺で信長公の木像を拜見した。今囘も珍しい毘沙門天を拜むことができた。この催しはほんたうに良いと思ふ。

▼トロの後ろの寫眞が、中巖圓月坐像の胎內佛の毘沙門天。
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2015-03-29

東五條第址

伊勢物語の舞臺。物語中に東五條の大后と言ふ人物が住んでゐる場所として登場する。東五條の大后とは、藤原順子のこと。順子の父は藤原冬嗣。冬嗣は天皇家と藤原氏の外戚關係に基づく政治(攝關政治)の礎を作つた人物。冬嗣の邸宅は閑院(京都市中京區古城町)が有名であるが、それ以外にこゝに邸宅もあつた。

人智れぬ我がかよひぢの關守は よひ/\ごとにうちも寢なゝむ(在原業平:古今632戀哥參)

この歌は、業平卿が想ひを寄せる藤原高子の元に夜な/\忍び通つてゐることが家の主にばれて、門番を置かれてしまつたことを嘆く歌である。「人に隱してゐる我が通ひ路の關守は、每夜/\、さつさと寢て慾しいものだな」と言ふ感じかな。もどかしい胸の内が手に取るやうに解る秀歌である。

月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして(在原業平:古今747戀哥伍)

こちらは、高子が淸和天皇の元に入內した爲に、これまで通つた東五條の西の對に住む人がゐなくなつたことを嘆く歌である。大まかに譯すると「月は違ふ、春も昔の春とは違ふ、私だけは(去年と)同じもとのまゝであるが」と言ふ感じでせうか。寂しさがにじみでる秀歌である。

東五條第は現在の京都恆和ビルを含む周邊一帶にあつたと言はれてゐる。こゝは冬嗣から順子の手に渡り、のちに良房、基經、忠平と代々藤原北家の氏の長者に傳へられた。今はビルが立ち竝び往年を偲ぶことは出來ないが、かつては平安の雅な女流文學の中心であり、現在は京都の商業の中心と街の活氣は今へと續いてゐる

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※四條通り側です。

2015-03-28

神明神社

四條烏丸から東洞院を南に下がつたところにある天照大御神と菅原道眞公をお祀りする社。近衞天皇の里內裏があつたとされる地に鎭坐してゐる。當社の社傳によると、近衞天皇の御世に源三位が鵺を弓で退治し、その際に使つた鏃が奉納されてゐるとのこと。
四條通りのビル群の裏手の家や小さなビルが立ち竝ぶ場所に鎭坐してゐることもあり、境內の面積は狹く周邊の景色も雜然としてゐる。前の細い路地にも車が頻繁に通り落ち着いた雰圍氣ではない。が、境內に入ると綺麗に淸掃され嚴かな雰圍氣を保つてゐる。
鎭坐地は四條烏丸と言ふ好條件で、社傳は源三位と鵺との關はりがあつたりして觀光に適した材料があるが、あまり廣く知られてゐないのだらうか。
小さい境內だが落ち着いた佇まいの社であつた。

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▼鵺ではなくゴリラがゐた。
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2015-03-27

久しぶりの京都旅

久しぶりに京都を旅する機會に惠まれた。凡そ、半年ぶりである。
京の街竝みは、これまでに幾度となく步いて來た場所だ。その京の街竝みは、步くたびに、同じ所でもその季節によつて樣々な顏を顯す。實相院の瀧の間はまさにその好例であらう。春には、梅や椿、櫻が匂ふが如く咲き亂れる艷やかな色彩と生命の息吹を感じる新綠の香りがある。初夏にして旣に茹だるやうな暑さの京に降る雨。雨が熱氣を洗い流すと共に、綠が眩しい楓の葉に雨の贈り物とも言へる白玉が光り輝く情景は寳石箱のやうで美しい。桔梗に萩、芙蓉に菊と多種多樣な花が饗宴する初秋、山が紅葉で燃えるやうになる晚秋と秋は二つの顏を持つてゐる。どちらも彩りが鮮やかな秋の顏だ。雪が積もり始めた方丈から見える枯山水も良い。白砂に描かれた模樣にうつすらと雪が積もるお庭は寒さを忘れるほど幽玄で美しい。白砂が濡れて黑色を帶びる情景に降る白い雪は、まるで水墨畫のやうな淡い色彩の顏を見せる。今囘の旅は、また一つ京都の新しい顏を發見できるかと期待して、街を練り步くことにした。
橘右が旅をしたのは三月の初めだつたから、梅と椿が咲いてゐるかと思いきや、一振りの枝に花がひとつふたつと咲いてゐる程度で、あとは蕾のまゝであつた。京の町が椿と梅の赤色の濃淡と花の甘い香りに包まれてゐると期待したのだが、甘かつた。折角だつたのに殘念であるが、凍てつく朝六時に鳴る六角堂の鐘の音、豆餠の甘さと穩やかな日の光が心地よい晝下がりの賀茂の河原、そほふる雨の音が淑やかな妙心寺の境內など、また新しい京の顏を見ることが出來た。
やはり、京の町は樣々な顏を持ち何度訪れても飽きない町であつた。

▼知恩院の三門。只今工事中にて候ふ。
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▼ホテルオークラ前の木戶孝允像。こゝは長州藩京都藩邸址である。
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▼伊右衞門カフェで卵かけご飯を食す。む~ん、卵が旨かつたが卵かけご飯は卵かけご飯であつた。
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▼賀茂の河原にて。大文字がよく見えた。
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▼知恩院前の良正院の碑。唱歌「戰友」の作詞者である眞下飛泉が寄宿してゐた緣でこの碑が建つてゐるとのこと。この歌の悲しい歌なんだよな、哭けてくる。
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▼烏丸御池「Apollo+」さんで戴く「醉鯨」。土佐を代表する辛口の銘酒だ。日本酒だけでなく料理も旨いお勸めのお店である。店員さんも良い人だつた。
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▼明日に備へて寢るとするみャ
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2015-03-26

傳統と共に生きるといふこと

生まれて初めて本のレビューを書いてみようと思つた。レビューと言ふよりは小學生の讀書感想文のはうがましなものに仕上がりさうだが、まあ、それはそれとして・・・。

『保守とは何か』(福田 恆存 (著)|浜崎 洋介 (編)、文藝春秋 ISBN:978-4-16-813002-1)
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本書は、さう簡單に讀めるやうな本ではなかつた。久々に讀み應へのあると言ふか色々考へさせて吳れる本である。因みに、この本の題名「保守とは何か」であるが、この本を讀んで「保守派なら○○には贊成だ、反對だ」とかを期待しても無駄である。
この本は、著者である福田恆存氏が存命中に多數の媒體に數多く寄稿してゐた文を篇者の浜崎氏が集めて一册の本にしたものである。從つて福田恆存氏の書き下ろしではない。なので、構成などに多少は浜崎氏の思ひか入れがあるとは思ふが、著者の考へに觸れることのできる良書であると感じた。

さて、前置きはこれくらゐにして、先に進みませう。
著者は、この本の中で、「自分の考への基本は保守であるが、自分を保守主義とは考へない」と述べられてゐる。「保守派は無智といはれようが頑冥と言はれようが正直でありさへすればよい」とも語られてゐる。さらには、「保守派はその態度によつて人を納得させるべきであり、イデオロギーによつて承服させるべきではない」とおつしやつてゐる。(「」內は『保守とは何か』(福田 恆存 (著)|浜崎 洋介 (編)、文藝春秋 ISBN:978-4-16-813002-1の引用です)
といふ次第なので、上記に書いたやうにこの本には「國防の○○について保守ならかう言ふ意見を持つべきだ」とかの答はない。

大まかな內容であるが、まづ、明治以降、我が國は混亂の中にある。その混亂はどこから來るのか。その問ひに著者は「我が國の近代化」と答へてゐる。何故、我が國の近代化が國民に混亂を齎してゐるのか。そこから、本書は始まる。Ⅰ章の『「私」の限界』で社會全體と個人主義について、ルカの福音書の話(「九十九疋の羊を護るか一疋の羊を最優先にするか」と言ふやうなこと)や政治と文學の反撥などを交へながら語られてゐる。
その後、その個人主義の限界を、お葬式の時に笑ひさうになる心理や快樂主義(エピキュリアニズム)などの話を交へ語られる。歐州の近代化は中世を乘り越える時に樣々な葛藤を經て中世を內包して進步したと記されてゐた。
さらに、話が歐州から日本に移るが、先にみたやうに歐州は中世を乘り越え近代に移行するときに中世を繼承したが、日本はさうではない。維新で江戶已前の文化を捨てゝしまい、なんの精神も持たぬまゝ異文化を無批判無自覺に流入させて敗戰を迎へた。この混亂の中、また、すべて捨て去り國外の文化を流入しやうとしてゐる(著者は敗戰後すぐに文壇に登場した人であるので、この邊りの事は戰後すぐの事である)とし、その愚を說かれてゐる。已上、まだ讀書中と言ふか讀み返しては考へまた讀んでは考へしてゐる途中であるので、上手く書けてはゐないと思ふが、大體かやうなことが書かれてゐると思ふ。

「アメリカではかうで、かうで、だからこれが良いんだ」と會社で最もらしく言ふ人は多い。とある講演會で、肩書きがご立派な講師が「ドイツを見習へ」と熱辯を奮つてゐたこともあつた。日經新聞はなにかと「サムスンに學べ、サムスンを見習へ、さうでないと日本は取り殘される」など提燈記事を書いてゐた。何かと言ふと日本は駄目なやうな論調は極めて多いが、橘右はそのたびに「この人はどこの國の人?自國に誇りを持てないなぞ、寂しい人生だな」「ところで、貴方は、日本と言ふ國をどこまで知つてゐるの?」と思つてゐた。
本書を讀んで、その思ひが正しい、または間違ひだとか言ふ事を語るまでには至つてゐない。あるひは、本書の始めのはうで述べられてゐる「今日の混亂は決着がつかないことを無理に決着しよう、決着がつかない問題を決濟可能な場で考へるが原因」と言ふことを考へると、「正しい、間違ひ」と考へること自體が無意味と言ふことなのかもしれない。論爭は常に正邪、または適不適に終始するもので、二つの物が二律背反であつても成立することもあると言ふやうなことも書かれてゐた。無理に結論づける必要がないのかもしれない。

この本の投げかけて來るものは大きい。その投げかけに對して何か答へを持ちたいと思ふ。その答へ探し、まだ/\本書を讀んでゐる途中。橘右の讀書は續くだらう。

2015-03-25

富士淺間神社(川越)

川越市富士見町に鎭坐する社。その名が示す通り、木花咲耶姬を祭神としてゐる。創建は平安期と推測されてゐるやうだが、何年とかまでは解らない模樣。一說によると前九年の役に際して源賴義が京の愛宕神社を勸請して創建されたと言はれてゐる。
當社の特徵は、こゝから近い仙波愛宕神社と同じく古墳の上に建立されてゐると言ふことゝ、本殿が少し變はつてゐる。本殿を富士山を模したやうな石で蓋ひ、その脇を猿が守つてゐる。こゝの神使は猿なのだらう。富士山を模したと言ふ點は、古墳の墳頂に建立されてゐると言ふところにも表れてゐる。社殿の裏手に、富士山の噴火口を模した穴もある。こゝ全體が富士山なのだらう。
さて、古墳の話を少々。築造は、凡そ六世紀中頃、仙波愛宕神社にある愛宕古墳と同じころである。愛宕神社のものと當社のものは父塚・母塚と呼ばれてゐるやうで、築造當時から密接な關係にあつたのかもしれない。
見た感じは、古墳と言ふか富士山を模した丘に建つてゐると言ふやうな感じのする社であつた。

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▼東武東上線の敷設により破壊された「占肩之鹿見塚」がかつて存在したと言ふことを示す石碑。なんだか物悲しい・・・。
鹿の肩骨で占ひをしてゐたとか。この塚の歌が萬葉集にある。
「武藏野に占へ肩灼きまさでにも 告らぬ君が名うらに出にけり」
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▼はい、おめでたうございます。
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▼墳頂の拜殿
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▼變はつた本殿
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▼富士山の河口を模したとのこと
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▼古墳全景、いや、神社全景かな。
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2015-03-24

鯉幟

每年四月の終はりから五月の初めにかけて行はれてゐる催し物。芥川櫻堤公園に數多くの鯉幟を上げるもので、調べたら平成四年に始まつたやうだ。この地で鯉幟を生產してゐたとか言ふやうな歷史的な理由はないやうだ。歷史的な謂れがなくても、もう二十年以上行はれてゐるので、立派なものだ。
五月晴れの靑空に數多くの鯉幟が泳ぐ姿はどこか懷かしいと言ふか心溫まるやうな光景である。今後も末永く續けて行つて慾しい催しだと思ふ。

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▼トロ、鯉幟は食べられないみャ
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▼お空が綺麗ですみャ
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2015-03-23

新宿御苑

こゝ、宮內廳ではなくて環境省の管轄なんですね。春に觀櫻會が催されてゐるが、これ總理大臣主催だつたやうです。
そんなこんなで、今囘は新宿御苑。元々は信濃高遠藩內藤家の下屋敷であつたさうだ。明治十二年(一八七九年)に新宿植物御苑として皇室の御料地となつた。時をへて昭和二十四年に一般公開されるに至る。始まりが植物御苑であつたことから、苑內には多くの木々が植ゑられてをり、種類も豐富である。また、溫室もあり沖繩などの熱帶植物が展示されてゐる。春には總理大臣主催の觀櫻會、秋には菊花展など開催されてゐる。よく考へたら、新宿は國內でも有數の綠地帶かもしれない。
さて、橘右は早春が過ぎ去り、櫻の花が舞ふ盛春の足跡が近づく彌生の終はりに、穩やかな春の日差しに誘はれて行つてみた。梅は遲かつたやうで、略散つてゐた。椿は見頃かな。咲いてゐる花と落ちてゐる花があつた。椿は花が根元から落ちる。花瓣每に散る山茶花との大きな違ひはこの散り方である。この散り方は、首が落ちるとして武士は遠慮したとも潔いとして好まれたとも聞かれる。いづれにしても、濃い綠の葉と小振りの綺麗な花の取り合はせは見る者を魅了する美しさがある。
所々で、早咲きの櫻が花を附けてゐた。まうすぐ春ですね。

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▼梅は終はりだな。
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▼木瓜の花が綺麗に咲いてゐた。
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▼ボケ?
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▼赤と白の混ざり合ふ模様が綺麗な椿が咲いてゐた。
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▼椿と言へばやはり赤かな。
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▼白色の椿
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▼双子の花が咲いてゐる。
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▼滿開である。
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▼地面に散つた椿が落ちてゐる。地面を赤く染めて綺麗だ。
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▼馬酔木も咲いてゐた。
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▼山茱萸も綺麗に咲いてゐた。どことなく線香花火を思ひ出した。
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▼山茱萸は黄色の花なので、咲いてゐると華やかだ。
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▼春ですね。早咲きの櫻がこんなにも咲いてゐる。
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▼かくれんぼしてゐます二ャ
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2015-03-22

岡城址

朝霞市岡町にある城址。史料が限定的と言ふかほとんどないさうで、よく解らない城址である。築城は太田道灌とも言はれてゐる。郭は三つに分かれてゐて、登つて見るとなか/\の廣さがあつた。各々の郭は堀で分かれてゐる。それ以外の遺構は見當たらなかつた。おそらく先の茅ヶ崎城と同じく城と言ふよりは砦と言ふ方がしつくりくるかもしれない。とは言つても、今日の時代劇に出てくるやうな城は戰國後期以降に建てられたもので、城の多くはこゝや先の茅ヶ崎城と同じやうなものである。朝霞市なので都心とは言はないまでも不便な田舍にある譯ではないので、登城しやすい城址であるかもしれない。

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▼まあ、公園ですから・・・。
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▼三の廓
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▼「折れひずみ」と言ふらしい。
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▼二の廓
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▼空堀
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▼ところ/”\手を加へられてゐる。
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▼お手洗ひの壁画。このやうな感じだつたのだらう。
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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