2014-09-30

乙訓寺

眞言宗のお寺で、山號を山慈山と稱す。當寺の特徵は、春に咲く牡が有名であるが、早良親王(崇道天皇)の幽閉地である。早良親王(崇道天皇)とは、延曆四年年(七百八拾五年)に藤原種繼暗殺事件に連坐して廢され、無實を訴えるため絕食して淡路國に配流の途中で憤死した。藤原種繼暗殺に早良親王が關與してゐいたかどうかは不明である。
そのやうな壯絕な物語を刻んでゐるが、當寺は牡丹寺と言ふ名のはうが有名であり、晚春の頃には大勢の觀光客で賑はふ。
僕は二度ほどお參りしたがいつも時期が惡く、咲き始めだつたり散り際だつたりと牡丹には緣が遠い。而も、次こそはと思へど行けなくなつてしまつたのだ。はあ、緣遠いな。

本尊:合體大師像(弘法大師・八幡神)
駐車場:あり(記憶が正しければ、牡丹の咲く時期は拜觀と駐車場が有料です)

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▼幽閉された早良親王を供養してゐる
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長月漆日(陰曆) 橘右

2014-09-29

比叡山延暦寺

天台宗の總本山で、山號を比叡山と稱す。開基は最澄である。法然(淨土宗)、榮西(臨濟宗)、道元(曹洞宗)、親鸞(淨土眞宗)、日蓮(日蓮宗)と言ふやうな鐮倉期に當寺で修行を積んで、鐮倉佛敎の開祖となつた僧侶を多く輩出してをり、日本佛敎の中心地と言つても良いほどのお寺である。
創建の頃から平安京の鬼門の方角に當り、鬼門を封じ王城の發展を念願するお寺として篤い崇敬を受けてゐたが、それが災ひとなりしばしば武家と諍ひを起こしてゐる。また、「賀茂川の水、雙六の賽、山法師。これぞ朕が心にままならぬもの」と白川法皇がお嘆きになられるほど、自寺の言ひ分が通らないと亂暴狼藉を働くやうなこともあつた。そのやうな次第であることから、當寺の中心とも言へる堂宇である根本中堂は武家との爭ひで二度ほど燒失してゐる。一度目は足利義敎の時で、この時は義敎の策略で當寺の有力な僧侶が斬首されてしまつたことに腹を立てて燒身自殺をしたときに類燒した。二度目は有名な織田信長公の燒討ちである。
僕は靑もみぢの頃に訪れたが、御朱印集めをする前で記憶が掠れて來てゐるのもあるが、境內のあちこちに傾斜があり步くのが大變だつたことしか覺へてゐない。吾ながら情けない。當寺は、JR東海の夏のキャンペーンで美しい靑もみぢが紹介された。恐らく多くの觀光客が美しい靑もみぢを見に當寺を參拜したことだと思ふ。叡山の山頂付近に位置し標高が高いことから、夏でも少し涼しいやうな氣がする。車では山道を電車ではロープウェイなで上がらねばならず多少通ひづらいこともあるが、悠久の時を經て今なお日本佛敎の發展に寄與した功績が高く德の高い寺院であり、參拜しておいたはうが良いお寺と言へる。

本尊:藥師如來
駐車場:あり

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長月陸日(陰曆) 橘右

2014-09-28

蟬丸神社 ~逢坂の關~

おでかけクロとトロとの旅は突如として終はりを迎えてしまつた。初めは暇つぶしだつたが、我が國の國風に觸れ、國風の持つ雅さや時を重ねた莊嚴さを目の當たりにし、國風を大切にし次世代に傳へる重要さやこの國を愛する心の素晴らしさなどを感じることが出來、この旅を通して智見が大いに廣がつたと感ずる。樂しかつた日々も今囘で終はり、また新しい日々が始まる。
今、ここで僕とおでかけクロとトロは京の都を後にして、逢坂の關の古蹟近くに立つてゐる。逢坂の關があつたと思はれる場所には、蟬丸を祭神とする蟬丸神社が建立されてゐる。

これやこの 行くも歸るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の關

この歌はあまりにも有名でせう。逢坂は歌枕になつてゐるので、この歌以外にも秀歌は數多くある。

名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな(三條右大臣)

この歌も蟬丸の歌同樣に百人一首に撰ばれてゐる歌である。「逢ふ坂と言ふ名をもつ逢坂山のさねかづらをたぐり寄せるように人に知られないであなたを連れ出せればいいのに」と言ふ感じかな。
似たやうな歌は古今集にも載つてゐる。卷八(離別歌)から一首詠んでみたい。

あふ坂の 關しまさしき ものならば あかず別るる 君をとどめよ(難波萬雄)

「逢坂の關がその名の通りのものならば、名殘惜しく別れるこの人を留めるやうにしてほしい」と言ふ意味。歌仙の貫之も詠んでゐる。

かつ越えて 別れもゆくか あふ坂は 人だのめなる 名にこそありけ(貫之)

「逢ふと言ふ名が付いてゐる一方で越えて別れてゆくものなのか、あふ坂は人をあてにさせるまぎらわしい名前だな」と言ふ意味。一體、だれがここを逢坂と名付けたのだらうか、面白いと思ふ。
さて、おでかけクロとトロとの京都旅は終はりを迎へます。倂し、おでかけクロとトロとは今後もどこかに旅するでせう。また、過去に參拜した寺社佛閣を思ひだしてみるのも良いだらう。ブログはこれで終はりではなく、細々と續いて行きますが、これまでやうにクロとトロが寫眞に登場することが多少減るでせう。

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▼長い階段を上がるとそこに當社がある
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▼拜殿
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▼本殿
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2014-09-27

山住神社・石坐神社

石坐神社は、岩倉の實相院の北側に鎭坐し東殿に八所大明神を、西殿に十二所大明神をお祀りする社。元々は叡山電鐵の岩倉驛近くの山住神社に鎭坐してゐたが、紆餘曲折を經て當地に遷坐したとのこと。
山住神社は、本殿がなく磐坐をご神體とする社。所謂神奈備信仰であり、古い信仰の形體を殘してゐる貴重な社である。實相院や岩倉具視幽棲舊宅のほんの近くであり、岩倉具視もしばしばお參りしてゐたと傳はる。
社殿は大正期に再建されたものであり、古くはないが山の斜面を利用し莊嚴な雰圍氣のする境內である。

▼山住神社の鳥居前
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▼山住神社の拜殿
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▼石坐神社の鳥居前
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▼石坐神社の拜殿
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▼石坐神社の本殿
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2014-09-26

實相院

門跡寺院の一つで、不動明王を本尊とするお寺で、山號は岩倉山である。創建は鐮倉期の頃で、その當時は紫野にあつたが、應仁の亂の難に遭ひ、岩倉に移轉したと傳はる。一時、岩倉具視が住んでゐたこともあるやうで、ここで倒幕の密談などを行つてゐたとのこと。
當寺の特徵は「床もみぢ」である。瀧の間と呼ばれる部屋の黑い床に外の景色が映りこみ、開け放たれた障子の紅葉と黑き鏡のやうな床に映る紅葉の競演が實に見事である。もちろん、もみぢと言ふことは靑もみぢも綺麗な譯で、靑もみぢの場合は「床みどり」、雪景色の場合は「雪化床」となり、いづれも見事である。さすがは京都と言つたところだが、雪化床だけは勘辨蒙りたいな。開け放たれた板の間の外に雪が降り積もつてゐる譯で、それはそれは寒いだらう。風流など悠長なことを言つてゐられるやうな感じぢやないのは行かなくても想像がつく。
當寺の本堂は。東山天皇の中宮、承秋門院の女院御所を移築したもので、現在老朽化が進み所々で柱を棒で支へてなんとか倒潰を防ぎてゐる。適ふ事なら、未來へと本堂の姿を傳へたいものだ。

本尊:不動明王
御朱印:書置きのみ
御朱印帳:あつたやうな氣がするが失念してしまつた。
駐車場:あり

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▼葉が地面すれすれまで垂れてゐる靑もみぢ。
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▼床みどりは撮影不可であることから、それ以外のお庭の寫眞を載せます。
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2014-09-25

妙滿寺

顯本法華宗の總本山で山號を妙塔山と言ふ。妙塔とはなるほどなと思ふ。なぜなら、當寺の特徵は、大きな佛舍利である。この佛舍利大塔は、昭和四拾八年に檀家さんの寄進により建立されたさうで、比較的新しいものである。
今囘は時間の都合もあり、拜觀しなくて殘念であるが、こちらの庭園もなかなか良いとのこと。「雪の庭」と言ふさうで、俳諧の祖と仰がれる松永貞德の造營し、「雪・月・花」三名園の一つとされてゐる。冬が一番美しいのかな。門前に澤山の躑躅が植ゑられてゐたことから、皋月の初旬も躑躅が綺麗に咲くと思はれる。また、季節を變へてお參りしてみたいと思ふ。

本尊:三宝尊
御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:あると思はれる

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▼當寺が場所を轉々としたことを物語る遺物。五條大橋の橋脚石。
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▼こちらは中川の井。中川は糺の森付近で賀茂川から分流し鴨川に注ぐ川で、今は埋め立てられてしまひ和歌などにその地名を殘すのみとなつてゐる
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2014-09-24

貴船神社

創建の年代は不詳であるが、神武天皇のご母堂である玉依姬命が黃色き船に乘り、淀川・鴨川・貴船川を遡つて當地に鎭坐し、水神を祭つたのに始まると當社の社傳が傳へる。黃色き船であつたことから「黃船」が「貴船」になつたさうだ。その黃色き船は、現在、奧宮境內にある「御船型石」として鎭坐してゐる。社殿は、本宮、結社、奧宮の三つあり、本宮は高龗神を、結社は磐長姬命を、奧宮は闇龗神をお祀りしてゐる。
さて、奧宮の手前に川が流れてをり、短き橋が架かつてゐる。この川の名前は「思ひ川」と呼ばれてゐる。元々は禊川(みそぎかは)もしくは物忌川(ものいみかは)であつたが、當地での和泉式部の戀物語が重なり「思ひ川」となつたさうだ。和泉式部とは戀多き歌人として有名である。紫式部に歌は素晴らしいが素行がよくないと呼ばれたと傳はるが、相當美人であつたらしい。源賴光の四天王として大江山の酒吞童子を退治した藤原保昌が襃美として和泉式部を妻に望み、それが緣で結構したさうだ。
貴船神社の戀物語は、藤原保昌の愛が覺めたのか疎遠になつてゐるので夫の愛を再び取り戾すべく當社にお參りしたさうだ。歌人らしくその時の和歌が傳はつてゐる。

ものおもへば 澤の螢も わが身より あくがれいづる 魂たまかとぞみる

「戀くて惱んでいたら、澤に飛ぶ螢も私の體から拔け出した魂ではないかと見える」と言つた感じの譯かな。この歌を詠んだら、貴船大神が歌を返してくださつた。

おく山に たぎりて落つる 瀧つ瀨の 玉ちるばかり ものな思ひそ

「奧山にたぎり落ちる瀧の水玉が飛び散るやうに、魂が飛び散つてしまふほど思ひ惱んではいけない」とのこと。ありがたい神の言葉であり、和泉式部も勇氣が倍增したことだらう

祭神:高龗神
御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:なし

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▼當社前は川床で賑はつてゐて騒々しい。
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▼參拜に行列が出來てゐた
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▼和泉式部の故事で名前が變つた「思ひ川」。和泉式部は、紫式部だけでなく藤原道長からも素行の惡さを指摘されてゐたさうだ。
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▼これが御神木の聯理の杉
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▼奥の宮の拜殿
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▼御舟形石
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2014-09-23

鞍馬寺

鞍馬弘敎と言ふ新興宗敎の總本山で、山號は鞍馬山と稱す。新興宗敎と言つても、よくあるやうなものとは違ひ、元々は天臺宗に屬してゐたが、のちに獨立して單立寺院となつたもの。開基は鑑眞の高弟の鑑禎と言はれてゐる。寶龜元年(七百七拾年)ごろと傳はる。相當古い話だ。
さて、當時は本尊の毘沙門天と若き日の源義經がまだ牛若丸と名乘りし頃に修行をしてゐたことで有名だ。毘沙門天は左手を翳してをりまるで鞍馬山の上から京の町の安全と平和を見守つてゐるやうだ。ちなみにこの毘沙門天は祕佛であり、通常目にすることが出來ない。
牛若丸の修行については、牛若丸が六韜を學んだとされる鬼壹法眼を祀る鬼壹法眼社のほか、修行の途中で喉を潤したとされる「息つぎの水」、奧州に下る際の記念に背を比べたとされる「背比べ石」と言ふ古蹟のほか、遺德をしのんだ義經堂など源義經に關聯する場所が多くある。
まあ、最寄驛の叡山電鐵鞍馬驛から本堂までの道程はそれはそれは、大變なる登りでまるで修行を行つてゐるが如くである。この參道は九十九折參道と呼ばれてゐるさうで、淸少納言が枕草子で「近うて遠きもの」と書き記してゐることを考へると、昔の人の健脚でも相當辛かつたのだらう。參拜する際にはヒールの高い靴などは避け、運動靴にすることをお勸めします。

本尊:毘沙門天王、千手観世音菩薩、護法魔王尊
御朱印:あり
御朱印帳:失念した。あつたやうな氣がする。
駐車場:なし

▼鞍馬天狗と言ふ譯で・・・。
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▼鬼壹法眼を祀る鬼壹法眼社
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▼源義経の供養塔
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▼本堂
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▼本堂前から比叡の山を望む
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▼義経の息つぎの水。義経が修行中にここで喉の渇きを潤したとのこと。
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▼背比べ石。義経が奥州へ出發するときに記念として背比べしたとのこと。
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▼「くらぶ山」と言ふ歌枕があるが、所在が解らなくなつてしまつた。鞍馬山がくらぶ山だとする説がある。確かに、「暗部山」と書くのなら當つてゐるかもしれない。
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▼僧正ガ谷不動堂。最澄が彫つたとされる不動明王が安置されてゐると言はれてゐる。殘念ながら非公開である。
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▼不動堂の前にある義経堂。不動堂で鞍馬天狗と義経が出逢つたとする謡曲にちなむ
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▼奥の院魔王殿。六百五拾万年前に金星から地球に魔王尊が降り立つたさうで、その魔王尊をお祀りする
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2014-09-22

由岐神社

鞍馬寺の境內に鎭坐し大己貴命と少彥名命をお祀りする社。元々は宮中でお祀りしてゐたが、大地震や天慶の亂の發生により、王城の北の護りの爲に當地に動坐したと傳はる。例祭の鞍馬の火祭は、そのときに里人がかがり火を持つて神靈を迎えたことに據るとのこと。
その後多少荒廢したやうだが、豐臣秀吉が篤く崇敬し、豐臣秀賴公が本殿や割拜殿を再興した。割拜殿は桃山樣式で國の重要文化財に指定されてゐる。鳥居を潛り割拜殿の奧の階段の中腹邊りに大きな杉の木が植ゑられてゐる。この杉はご神木で京都市の天然記念物に指定されてゐる貴重な杉の木である。
僕は、鞍馬の火祭を見たことがない。一度見てみたいと思ふ。願ひは適ふといいな。

祭神:大己貴命、少彦名命
御朱印:あり
御朱印帳:なし
駐車場:なし

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▼重文の割拜殿
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▼立派な杉の木だ
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2014-09-21

淸明神社

一條戾橋のたもとにあった安倍晴明の屋敷跡に建立されたとされる社で、祭神は安倍晴明である。かつては稻垣五郞が演じ、最近では錦戶亮が陰陽師を演じるなどしてゐることから女性參拜客が多い社だ。堀川通りから境內に入つてすぐのところに一條戾り橋と式神がゐたり、淸明井があるなど、境內の見どころも多い。淸明は一條戾り橋の橋の下に式神を飼つてゐたさうだ。淸明井のはうは、千利休が茶會を催し、秀吉に茶を獻上したと傳はる。
また、當社は桔梗の名所である。夏になると境內を涼しげな紫色や白い花で彩る。桔梗は、社紋である五芒星の形に似てゐることもあり、當社では五芒星を桔梗印と呼んでゐるさうで、その緣があり桔梗が植ゑられてゐるのだらう。
詳しくはよく解らないが最近では、當社と傍の土產屋でもめ事があるやうだ。土產屋が安倍淸明の御利益を語つてゐるが、當社とは全く關係がないことに起因するやうだ。當社は有名な神社で參拜客も多いから、いろいろ便乘したくなるのも解るが、あまり露骨だと神罰が降るのではと思つたが、まあ、部外者な僕ですからどちらがどうかは解りません。

祭神:安倍晴明御靈神
御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:有料?

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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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