2014-08-31

齋宮神社

齋宮とは、伊勢神宮に奉仕した齋王の御所のことで、當社はその野宮の舊蹟と傳はる。野宮は京外の淸淨な地を卜定し、齋宮のために一時的に造營される殿舍のことださうだ。この野宮は一代で取り壞されるさうで、嵯峨野にはここ以外にも野宮があり、天龍寺の裏手に鎭坐する野宮神社もそのうちの一つと言はれてゐる。
境內はさほど廣くはないものの、大きな椋があつたり、手水舍に笹がかけられてをり、禊の地の舊蹟に相應しい淸楚な感じのする社である。
御朱印は少々驚いた。自分で印を押すと言ふスタイルで、これまでい幾多の御朱印を戴いたがこの樣式は初めてである。曲がつて押さないやうにと緊張もしたが他に例のないことで貴重な體驗であつた。

祭神:天照皇大神
御朱印:あり
御朱印帳:なし
駐車場:なし

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▼さりげなく配置されてゐる竹が見る人に清涼感を與へてゐる
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▼かつてはここに神殿があつたとのこと
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▼拜殿
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▼これが、自分で押す御朱印
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▼出来上がりはこんな感じ
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2014-08-30

平野神社

櫻が有名な社。祭神は、今木皇大神、久度大神、古開大神、比賣神である。今木皇大神はよく渡來の神と言はれるが、僕にはなぜそのやうなことが斷定できるのか理解できない。
平野神社の由緖を見ると公式サイトに「今木大神は「神今食(かみいまけ)」で、新嘗祭についで穀靈等から生氣、元氣をいただく祭の神」と書かれてゐる。久度大神は「くど=かまど」とのこと。古開大神は「古」がしばし振りなどの意味にも使はれ、「開」は「はらく(晴れかにする)」と言ふ意味もあるさうだ。今木皇大神は「神今食」、久度大神は「御竈祭」、古開大神は「鎭魂祭」とされ、宮中の儀式と密接に關聯してゐることが窺へる。また、元々は平城京の宮中にお祀りされてゐたが、平安遷都の際に當地に遷坐したとのこと。
「今來たから今木だと」と言ふ語呂合はせのやうな話と違ひ祭神の三柱は宮中の新嘗祭などの儀式と關聯すると言ふはうが腑に落ちる。當社のサイトを讀むと「今來たから渡來人だ」と言ふのに比べ解り易い。なんでもかんでも渡來人と言ふが、それは稻作の件と言ひ眉に唾を塗らなければならない。
さて、境內に話を遷すと、ここには數多くの櫻が植ゑられてをり、その品種も樣々だ。臣籍降下した源平の諸氏が降下の記念にと當社に櫻を植ゑたと傳はる。宮中の儀式に關聯のある當社に臣籍降下の記念を植ゑると言ふのは、これも腑に落ちる話で、さうだからこそ、ここに櫻を植ゑたのではなからうか。

祭神:今木皇大神、久度大神、古開大神、比賣神
御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:なし

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▼櫻の頃は艶やかな薄桃色に包まれるが、初夏の頃はこの通り草生す綠色に染まつてゐる
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▼茅の輪くぐりの頃であつた
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▼拜殿
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▼右近の橘が實をつけてゐた
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▼本殿
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▼櫻の社ならではである
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▼ちやうど、きちかうも咲いてゐた。
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▼昔は「ホリディーハウス」と言ふ名であつたが、今は「ハーバーカフェ」と言ふ。名前が變はつても、ここの「モカジャバシェイク」は昔通り絶品である。
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2014-08-29

龍安寺

有名すぎて、何を書かうか迷ふやうなお寺。臨濟宗妙心寺派で妙心寺の境外塔頭である。開基は細川勝元。こいつも應仁の亂の首謀者だ。今頃地獄の業火に燒かれてゐることだらう。
さて、當寺の方丈から見える石庭は特に說明する必要はないでせう。あまりにも有名だ。この拾五個ある筈の石がひとつ必ず隱れて見えると言ふ庭の裏に「知足の蹲」と言ふ蹲が置かれてゐる。この蹲は水戶光圀の寄進と傳はる。眞ん中に四角く穴が開いてゐる脇に「五・隹・疋(足の下の部分。漢字がないので、この字を代用しています)・矢」の四文字が刻まれてゐる。これに眞ん中の口を足して「吾唯足知(われ、ただ足るを知る)」と讀む。我は滿足する心を知つてゐる、あるいは、何事にも不滿を持たず滿足する心を持ちなさいと言ふ意味だ。表の石庭がひとつ缺けてゐて、この蹲で石がひとつ缺けてゐようがゐまいがそんなことは取るに足らないことだと言つてゐるやうに感じられる。
豫談ですが、僕がお參りした時に、見知らぬをばさんがこの蹲の水を觸りに庭に降りた。蹲が置いてある庭は庭に降りることを許してゐる譯でないからスリッパなどがなく、蹲は方丈の緣から離れてゐる。裸足で庭に降りてこの蹲を觸るのだ。それも愚かな行爲だが、それを見た觀光客が一齊に眞似をした。日本には馬鹿しかゐないのかと思ふ光景だつた。この蹲の意味を知ればさやうなことは馬鹿としか表現できない行爲だと直ぐ解る。この人たちは決して「吾・唯・足・知」の境地には至らないだらう。

本尊:釋迦如來
御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:有料で在るが、ハイシーズンは車での參拜はやめたはうが良い。

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▼枝垂桜が枝を垂れる。これは絶対に計算してのことだらう。
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▼言はずもがな紅葉も美しい。京都ならではである。
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▼本文でも述べたが、今一度。「吾唯足知(われ、ただ足るを知る)」
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▼季節を問はず美しい鏡容池。池に浮かぶ弁天島には非公開ながら真田信繁のお墓があると聞かれる
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2014-08-28

桂春院

妙心寺の塔頭。妙心寺には多數の塔頭があるが通年拜觀できる塔頭は少なく、當院はその數少ない通年公開されてゐる塔院である。開基は織田信忠公の次男である織田秀則と傳はる。
當院には壺庭を含め四つの庭があつた。いづれも苔むすお庭で靑々として綺麗だつた。晚春は京都の觀光がやや下火となるやうで、當院を含め妙心寺とその塔頭も訪れる人が疎らになる。だからこそ、苔むしたお庭が魅力の寺院をお參りするに最適な時期を迎える。苔と楓の靑き二重奏はほんたうに淸淨に包まれて心地よいものだ。もちろん、苔と赤く燃ゆるもみぢも綺麗ではあるが、寒いのと近年では「そうだ京都、行こう」の所爲で、もみぢの綺麗な隱れ家的な寺院は全て世に公開されてしまつて、何處へ行つても人、人、人で疲れてしまふ。
六月も終はりに近づく時期だが、苔と楓の綺麗な庭を充分に堪能できるお寺であつた。

御朱印:あり
御朱印帳:なし
駐車場:妙心寺の塔頭につき専用はなし

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▼綠が眩しい
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▼この日は雨が降つてゐたこともあり、しつとりとした感じが良く出てゐた
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▼このやうなところに住んでみたいと思ふ
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2014-08-27

妙心寺

臨濟宗妙心寺派大本山のお寺で山號を正法山と稱す。開基は花山天皇。寺域が廣いだけでなく塔頭の數も多く、なんでも所屬する末寺も臨濟宗派最大とか。
山門、法堂、方丈など巨大な堂宇があるが、いづれも創建された頃の建物ではなく桃山時代頃のもので、ここも應仁の亂で多くの堂宇が燒失してしまつたさうだ。足利將軍家は、碌な事をしてゐない。そして、足利將軍家の所爲で衰頽した寺院を織豐時代に再建すると言ふことがもはや定番であるかのやうだ。妙心寺もこの法則に當てはまり、豐臣氏、細川氏の庇護を受け再興し、近世は大いに榮えた。
法堂(はつたう【ハットウ】」の中には雲龍の天井畫と梵鐘がある。この梵鐘は、國寳で確か日本最古。NHK(反日放送局の極み)の行く年來る年で一番初めに撞かれる除夜の鐘であつたとのこと。なんでも、この梵鐘は撞かれすぎて割れる恐れが出てきたので法堂內で保存してゐるとのこと。悠久の時を正に刻んで來た有難い鐘だ。
また、境內には明智風呂と言ふ風呂がある。明智光秀の供養のために建てられたさうだ。なぜ、供養が風呂?と思つたが、逆賊の汚名を漱ぐに掛けてゐるさうで、垢や汚れを落とす風呂なんださうだ。風呂と言ふがサウナのやうな構造だつた。
法堂の天井の雲龍圖は見る角度によつて昇つたり降つたり見える。上をずつと向いて疲れるが、見ごたえ十分の迫力だ。ぜひ、當寺をお參りして狩野探幽が八年かけて描いた雲龍をぜひ、ご覽ください。

本尊:釋迦如來
御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:あり

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▼三門。下の「そうだ京都、行こう」スタンプと同じ構圖?
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▼方丈前
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▼蓮が美しい花を咲かせてゐた
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▼これは、心に染み入る。花びらの置く位置が絶妙だ。
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▼方丈から見えるお庭
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▼明智風呂
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▼「そうだ京都、行こう」スタンプ
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2014-08-26

退藏院

臨濟宗妙心寺派大本山妙心寺の塔頭。國寳である水墨畫「瓢鮎圖」を所藏してゐることでも有名。瓢鮎圖は模造を見學することが可能である。この瓢鮎圖に關聯してか境內には瓢簞の意匠が隨所にある。
當院には、狩野元信の作である元信の庭を始め、陰陽の庭、餘香苑などいくつかのお庭がある。餘香苑は、奧に瀧がながれ動きのあるお庭だつた。池面に蓮が咲き華やかな感じがした。
陰陽の庭には大きな枝垂れ櫻があり、この櫻は「そうだ京都、行こう」のキャンペーンCMに起用された。春の頃は美しく咲き匂ふのだらうな。
特別拜觀で、方丈の奧にある圍いの席と言ふお茶席があつたり、庭園內の大休庵と言ふ茶席でお茶菓子を戴くことができる。こんど行つた時に戴いてみようかなと思つた。

御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:妙心寺塔頭につき専用駐車場はなし

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▼ニャ~♪
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▼紫陽花の葉にかかる雨粒
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▼「浅緑 糸よりかけて 白露を 珠にもぬける 春の柳か」柳ではないが、梅雨の雨粒が葉に落つるを見るとなぜか、遍昭の歌を思ひだした。
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▼陰陽の庭のうち、こちらは陽のはう
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▼こちらは陰のはう
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▼境内には鯰と瓢箪の意匠が随所に用ゐられてゐる
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▼動きのあるお庭の風景
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▼「そうだ京都、行こう」の記念植樹とのこと
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▼「そうだ京都、行こう」スタンプ。
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2014-08-25

法金剛院

律宗のお寺で山號を五位山と稱す。待賢門院が開基とのこと。往年は堂宇が立ち竝び寺域も廣い寺院であつたさうだが、度重なる災害に見舞はれ、殆どの堂宇が失はれた。
現在の伽藍は、江戶期になつてから再建されたものだが、非公開の佛殿の裏のお堂に安置されてゐる廚子入木造十一面觀音坐像は鐮倉期の頃に作られた。廚子の內部の繪は今の世でもさほど褪色せず、往年の鮮やかな輝きを見せてゐる。こんなに色が殘つてゐるのは、珍しいと思ふ。ずつと見てゐたくなるやうな廚子だ。もちろん十一面觀音菩薩坐像も鐮倉期の寫實的で美しい造形を持つ佛像でこちらも、ずつと見てゐても飽きないものである。
當院は蓮の名所と言はれてゐる。蓮以外にも四季折々の花が咲き花の名所とも言はれてゐる。この池泉式庭園は、昭和になつてから平安期に造成された當院の庭の遺構を發掘・復元した。池面いつぱいに咲く蓮は名所と呼ばれるに相應しい。ちやうど蓮の頃は、紫陽花も咲く。お庭には蓮も咲いてゐた。蓮と紫陽花の二重奏は匂ふが如くで綺麗であつた。お花の綺麗なお寺は京都ならではでやつぱりいいなと思ふお寺である。

本尊:阿彌陀如來
御朱印:あり
御朱印帳:なし
駐車場:あり

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▼瑞々しい靑い葉が美しい蓮が一面に咲く池
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▼沙羅双樹も咲いてゐた
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▼雨が降つて來たが、蓮の葉に落つる雨もまた良いと思ふ
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▼蓮の花が咲いてゐた
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▼雨が降つて來たから傘をさすニャ
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▼庭には、沙羅双樹に蓮に紫陽花にと水無月の季節の花が勢揃いしてゐる
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▼ほんたうに美しいお庭である
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▼待賢門院堀河の歌碑「ながからむ 心もしらず 黒髪の みだれて今朝は 物をこそ思へ」
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▼靑女の瀧。日本最古の人口瀧とのこと
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▼僕がお參りしたときは瀧の水は涸れてゐたやうな・・・。
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▼へへへ。トロの目を盗み一人で寫つたつた。
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2014-08-24

木嶋坐天照御魂神社

畿內に數ある天照御魂神社のうちの一つで、ここも天照御魂神がはつきりしない。祭神をみると、天御中主命が天照御魂神と言ふことになるのかな。
さて、ここは蠶の社とか蠶養神社と言ふ別名があり、近くを通る嵐電の驛名は「蠶の社」である。桑の木や蠶は相當古い時代に古代支那から傳來したと思はれるが、養蠶の技術はあまり進步せず支那・古代朝鮮に比べ遲れてゐたやうだ。倂し、やがて秦氏により最新の養蠶技術がもたらされ、養蠶の技術が飛躍的に向上したとのこと。色々調べたが、蠶について古代朝鮮から技術がもたらされ我が國の發展に寄與したと言ふのは間違ひなささうだ。但し、養蠶の技術は恐らく支那が起源だ。古代朝鮮も支那から蠶が傳はつてゐる。古代支那は相當進んだ文明を持つ大國であつた。
當社の壹の鳥居の扁額には「蠶養神社」と書いてある。當社の本殿は貳つに分かれてゐて、一つは天御中主命他數柱をお祀りしてをり、もう一つが蠶養神社であるさうだ。つまり、木嶋神社と蠶の社は別物であるとも言へる。當社付近は太秦と言ふ地名があるほか秦氏が建立したと傳はる廣隆寺があり、この邊一帶は秦氏の勢力縣內である。元々あつた天照御魂神社の境內に自分たちの崇敬する神を勝手に祀つたのが蠶の社であるかもしれない。さう考へるはうが自然のやうな氣もする。
また、當社の境內に不思議な鳥居がある。柱が三本ある鳥居だ。この鳥居は、境內の元糺の池と呼ばれる池に建つてゐる。但し現在では、元糺の池の水は拔かれてゐる。理由は調査不足で不明。もとは貳本の柱が三本に變化したものなのか、それとも秦氏と關係し皇國の風習ではないものなのか、今となつては不詳である。

祭神:天御中主命、大国魂神、穂々出見命、鵜茅葺不合
御朱印:なし
御朱印帳:なし
駐車場:なし

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▼こちらには木嶋明神と書かれてゐる
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▼こちらは蠶養神社
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▼社の正面
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▼鳥居を潜り參道へ
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▼社殿は本殿と東本殿に分かれてゐるとある
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▼拜殿
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▼本殿
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▼境内見取圖
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▼泉水。なぜかは解らないが水が抜かれてゐる
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▼鳥居の先に謎の三本柱の鳥居がある
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▼玉垣で不逞な輩をブロック。
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▼謎の三本柱の鳥居。本来は水が張つてあるやうだ。
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2014-08-23

八坂神社

素戔嗚尊と櫛稻田姬命をお祀りする社。元々は、素戔嗚尊ではなく牛頭天王を祀つてゐた。
牛頭天王とは、蘇民將來の說話とも關聯があり、主に民間で信仰されその詳細があまり判明しない。牛頭天王の牛頭が朝鮮の牛頭山云々で起源を主張し、さらに素戔嗚尊は朝鮮人だと言ふ輩もゐるが、日本書紀に異說として紹介されてゐるのは、「素戔嗚尊が天高原を追放されたときに誤つて朝鮮に降り立ち、「こんな所は居たくない」と言つて直ぐに出雲へ渡つた」とあることで、素戔嗚尊が朝鮮起源と言つてゐるのなら古今を問はず素戔嗚尊もイザベラ・バードにも「住むに堪へられない不快な場所」と言はれたことも認めるべきである。
イザベラ・バードは著書である「朝鮮紀行」で朝鮮の印象をかう語つてゐる。「京城(ソウル)の景色のひとつは小川というか下水というか水路である。蓋のない廣い水路を黑くよどんだ水がかつては砂利だった川床に堆積した排泄物や塵の間を惡臭を漂わせながらゆっくりと流れていく。水ならぬ混合物を手桶にくんだり、小川ならぬ水たまりで洗濯している女達の姿。 京城には藝術品がまったくなく、公園もなければ見るべき催し物も劇場もない。他の都會ならある魅力が京城にはことごとく缺けている。古い都ではあるものの、舊蹟も圖書館も文獻もなく、宗敎にはおよそ無關心だったため寺院もない。結果として淸國や日本のどんなみすぼらしい町にでもある堂々とした宗敎建築物の與える迫力がここにはない。」 朝鮮が日本に最新の技術を常に傳へてゐたのなら、明治時代にこのやうな體たらくにはならないでせう。水車一つ作れないやうな國がいちいち文化の起源を主張するなど、全くばかばかしい。
さてそのやうな文化剽竊の話は氣分が惡くなるのでこの邊りでやめて、話を先に進める。牛頭天王は、祇園精舍にゐて疫厄を齎す一面をもつてゐたやうで、疫神を鎭めるために社を建ててお祀りして、疫神が厄災を齎さないやうにすると言ふ風習を日本は持つてゐる。その代表が當社であり、明治の神佛分離までは神佛習合の風習を色濃く持つてゐた。中世は延曆寺の配下にあつたと傳はる。
京都の夏の風物詩である祇園祭りは、疫病が收まらなかつたときにその厄災を鎭めるためにお祭りを開き無病息災を祈つたことに始まるとされてゐる。當社は元々祇園社と呼ばれてゐたことから、祇園祭りと呼ばれるやうになつた。山鉾巡行は、趣向を凝らした山鉾が京の町を優雅に巡行し、角を曲がる時の「辻廻し」は風情があり面白い。祇園祭りが來たら「ああ、夏が本格的にやつて來よつた。これから暑うなりよるな。」と思ふ頃である。昔からあるお祭りであるし、今後も繼續して續いて慾しいと念願する。

祭神:素戔嗚尊、櫛稻田姬命
御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:あるのかな?電車でしか行つたことがないので解らない

▼大きな交叉点があるので、良い構圖で寫眞を撮ることが難しいと言ひ譯を一つしてみた。
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▼この近邊にお米の旨いお店がある。
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▼南楼門のはうは比較的人が少ない
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▼本殿を右から寫す
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▼今度は左から寫す。
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▼「そうだ京都、行こう」スタンプ
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2014-08-22

圓德院

臨濟宗建仁寺派高臺寺の塔頭で、豐臣秀吉の正室の北政所が落飾後に餘生を過ごしたとされるお寺と傳はる。ここで黃昏を迎へたとも言はれてゐる。
方丈を上がってすぐの枯山水のお庭も良いのだが、方丈の奧のお庭は京都屈指の名庭だ。お寺の方の說明に據ると、このお庭も伏見城から移築したものとのこと。ここでも伏見城である。ほんたうに往年の伏見城を見たかつたな。現在、移築されたと言はれてゐる建物を見るとどれも趣向を凝らした立派な建物ばかりであり、それが一堂に會すとなるとどんなんだらうか想像もできない。ああ、見たいけど誰かタイムマシンを作つて吳れないだらうか。いくら妄想で時空の旅をしても妄想でしかないものだ。やつぱり現物をこの目で見たい。
それはさておき、このお庭であるが、伏見城の時は水を張つてゐたさうだが、當院に移された時に場所柄規模を縮小せざるを得ないことから水を拔いて枯山水としたさうだ。池泉式ぢやなくても十分美しいお庭だ。庭中には多くの奇石・名石が置いてあるが、これは大名が秀吉の歡心を買はむとしてこぞつて寄進したものとのこと。この名石たちが枯山水に合つてゐるやうに感じた。僕は方丈から庭を見て左側の景色がこのお庭の中で最も綺麗な場所だと思つた。
このお庭はほんたうに綺麗ですから、お勸めします。

本尊:釋迦如來
御朱印:なし
御朱印帳:なし
駐車場:高臺寺塔頭であり専用はないと思ふ

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▼寫眞撮影の技術がなく、當寺のお庭の良さが傳はつてこない・・・。
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▼ここも夜間拜觀してゐる
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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