2014-07-31

勝持寺

天台宗に屬し、山號を小鹽山と稱す。創建の頃は古く天武天皇の敕願により神變大菩薩(役の行者)を祀つたことに始まる。
ここも殘念なことに應仁の亂で仁王門を殘すすべての伽藍が灰と化してゐる。庭弄りしか能のない將軍には腹が立つな。今に傳はれば國寶にならうと思はれるやうな佛像や堂宇がこの庭弄り將軍とその取卷きどもが己の慾望を滿たすために壞したのだ。一體どれほどの貴重建物や佛像が失はれたのか。これに腹が立たなければ、誰を益荒男と呼べようか。そもそも、室町幕府は逆賊が始めた幕府だ。腹立たしいことこの上ない。まあ、今更言つても歷史は戾らない。

さて、氣を取り直して筆を進めよう。
境內には沼があり、沼の名を冴野の沼と言ふさうだ。冴野の沼は歌枕にもその名がみえる。

小鹽山 松風寒し 大原や 冴野の沼の さへまさるらん(中務)

歌枕の冴野の沼以外にも和歌に緣があるお寺である。北面の武士であつた佐藤藤兵衞義淸が出家して西行となつたお寺が當寺である。西行は境內に櫻を植ゑたのかな、境內には西行櫻と言ふ櫻の木が植ゑられてゐた。また、西行櫻以外にも約百本程度の櫻が植ゑられをり、春は境內が薄紅色で華やかに染まるやうだ。僕の見た感じでは櫻の木も多かつたが、櫻よりももみぢのはうが多いやうに見えた。當寺は紅葉の頃も大層美しいと聞かれる。ここを含め大原野は、JRも阪急も驛から遠いのが難點だが、春も秋もそれはそれは夢心地のやうな美しい里である。

本尊:藥師如來
御朱印:あり
御朱印帳:なし
駐車場:あり

▼本堂までは、ここから少し距離があつた。而も幾多の階段を登る。
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▼唯壱殘つた山門
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▼不動堂付近の靑もみぢ
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▼西行櫻
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2014-07-30

十輪寺

大原野の小鹽山にある天台宗のお寺。山號は小鹽山と稱す。嘉祥三年(八百五拾年)に文德天皇の御后である染殿皇后の御世繼誕生を祈願して建立された。その後藤原北家が歸依し、統一の菩提寺になつたと傳はる。
當寺は、歌仙の在原業平卿が晚年を過ごしたと傳はる。當寺の奧に卿の墓が建つてゐた。そのさらに奧を上がると業平卿舊蹟としての鹽釜が復元されてゐる。卿がここで鹽燒きを樂しんだことが伊勢物語に見える。鹽釜のある邊りから境內を見渡すと楓が一面に植ゑられてをり、春から夏にかけては靑々とした葉の香が邊りを爽やかにし、晚秋は燃ゆるやうな紅葉が邊りを華やかにする。歌仙の業平卿が過ごしたお寺と言ふに相應しい。櫻のころも良いさうだ。
本堂から渡り廊下を通つて行くお部屋から中庭を見ると面白い。寢轉がると奧が少し高くなつており、奧から手前へ水が流れる枯山水の樣相を見せる。

起きもせず 寢もせで夜を 明かしては 春のものとて ながめくらしつ

寢轉がり庭を見てゐると、この歌を思ひだした。卿の作のこの歌は、おそらくここで詠んだのではないと思ふが、なんとなく卿が詠んだ時の狀況が感じられる氣がした。
決して派手ではないが、趣の良いお寺である。また、違ふ季節に行きたいと思はせてくれるお寺だ。

本尊:延命地藏菩薩
御朱印:あり
御朱印帳:なし
駐車場:あり(※櫻の季節は駐車場閉鎖)

▼緑が眩しい山門
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▼本堂と渡り廊下
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▼午後だつたから、睡蓮が蕾みに戻りつつあつた。
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▼靑もみぢが映える本堂
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▼もみぢも素晴らしい
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▼文中のお庭。歌を詠みたくなるやうな庭である。
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▼鹽釜の説明
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▼復元された鹽釜
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▼業平卿のお墓
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2014-07-29

大原野神社

創建は延曆三年で、平安遷都後にここ大原野に桓武天皇が鷹狩をなされてゐた時に隨行してゐた藤原氏が當地の美しさに惚れて春日神社を勸請したと傳はる。以來、藤原氏より篤い崇敬を受けてゐた。
一の鳥居を潛り、參道を進むと參道脇に紅葉や櫻が數多く植ゑられてをり、參道を步く人の目を樂しませる。紅葉が綺麗と言ふことは、毎度のことですが靑もみぢも綺麗と言ふことだ。
參道をさらに進むと奈良の猿澤池にまねて造つたとされる「鯉澤の池」がある。僕がお參りした頃は、蓮の花が咲き始めのころだつた。まだ咲き初めで花を疎らであつたが、それはそれで綺麗だつた。葉が靑々として眩い。また、「瀨和井(せがゐ)」と呼ばれる井戶?泉?があつた。この瀨和井は、淸和天皇產湯の淸水とも傳へられてゐるさうで、古來より歌枕となり數々の歌に詠まれてゐる。

大原や せがゐの水を 手にむすび 鳥は啼くとも 遊びてゆかむ(家持)

歌枕は、當社の裏手の山である小鹽山もさうだ。

大原や をしほの山も 今日こそは 神世のことも 思ひいづらめ(業平)

さて、本殿は一間社春日造りの社殿が四棟續いた造りであり、重要文化財に指定されてゐる。社殿もさうだが、本殿前の狛犬が鹿であり、奈良の春日神社に通ずる。まあ、春日神社を勸請したので、同じやうに造るのは當たり前だな。
駐車場はそれなりの規模があるが、ここまでの道のりは嚴しいと思ふ。ここ大原野は多少宅地造成が進んでゐるやうだが、邊り一面を田んぼが占める豐饒な大地だ。その關係で道は畦道が進化したやうな感じであり、場所によつてはすれ違ひに難儀する。秋はもみぢ狩りの行樂客で大變なことになつてさうだな。

祭神:武御賀豆智命、伊波比主命、天之子八根命、比咩大神
御朱印:あり
御朱印帳:なし
駐車場:有料

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▼參道。靑もみぢが美しい
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▼撮り方が下手なので、いまいち良さが傳はらないのが殘念だ・・・。
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▼社殿前の由緒書
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▼背後には歌枕の地である御鹽山が見える
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▼藤原氏の縁であるから鹿が見える
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2014-07-28

大荒木の森 ~寄り道歌枕紀行~

大荒木の森(おおあらきのもり)とは、與杼神社がかつて鎭坐してゐた森。現在は、淀城跡に遷坐してゐるので、現在與杼神社の地は大荒木の森とは違ふ。

大荒木の もりの下草 おいぬれば 駒もすさめず かる人もなし(詠み人智らず)

「大荒木の森の雜草が生い茂れば、そんな場所は馬も好まず、刈りに來る人もゐない」と言ふ意味。面白いのは、當社から至近距離に淀競馬場がある。偶然の一致だらうが、馬に緣のある場所だ。
さて、かつての歌枕のちは桂川の河川敷となりどのあたりだかいまいちよく解らなくなつてゐるので、淀古城のついて少しばかり書きたい。
僕がしげしげと石垣を眺めてゐると、後ろからをぢさんが「どつから來たん?」と聲をかけてきた。初めは變な人が絡んで來たと身構へたが、話してみると淀古城を色々な發見を求めて步き廻つてゐる近所の方だつた。石垣の上にあがると井戶や島津家の家紋に似た模樣の附いた石垣、をぢさんが言ふには鐵砲の彈丸の跡のある木など、樣々な物があつた。をぢさんに出會はなければ見逃しただらう。をぢさんにこの場を借りてありがたうと言はせてください。
下に寫眞を上げさせて頂きますので、もし行かれた時の御參考にして頂ければ幸ひです。但し、をぢさんの獨自解釋ですから當たつてゐるとかは野暮と言ふことで。

▼場所は違ふが、いちわう大荒木の森
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▼秀吉の側室の淀殿の城とは違ふ
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▼堀を望む
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▼城郭は殘つてゐるはうだ。
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▼多聞塀の基石なのかな?
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▼建物の基石に見えると言へば見える。
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▼洗面臺と説明を受けたが、石が新し過ぎはしないだらうか。
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▼島津家家紋とのこと。いやいや稲葉氏の居城なら・・・。
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▼井戸跡。これはさうだろう。後世に危ないから蓋をしたのだらう。
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▼銃痕とか?節ぢやなくて?
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▼淀城主の稲葉氏を祀る稲葉神社の鳥居
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▼稲葉神社は、もちろん淀城跡にある
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▼拜殿
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▼本殿
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2014-07-27

大歳神社

大原野の灰方にある社。大歲神をお祀りする。相殿に豐玉姬命と石作神をお祀りする。石作神とは、石作氏の氏神で石神氏は代々石棺などを造つてゐた氏族で、火明命の後裔と傳はる。火明命は天火明命卽ち饒速日命だ。また、社傳によると、「養老二年二月の創建。當地が、山城から出雲への出口にあたるため、出雲系民族によつて開拓され、その祖神を祀つた神社であるといふ。」とのこと。
むむむ、なんだなんだ。山城から出雲への出口とは何を示してゐるのだらうか。小鹽山の裏手は龜岡だ。小鹽山の山頂近くには芥川の上流である出灰川がある。この出雲とはもしや出雲大神宮のあるあの邊りのことだらうか。或いは大原野は山陰道から老の坂を超えれば龜岡だ。而も、石作氏は饒速日命の後裔と傳はつてゐる。出雲は杵築のはうではなくて龜岡のはうと見てもよささうだ。ここにも時の斷片があつた。丹波の民が砂鐵を求めて移動して當地へついて、定住をしたのかもしれない。ここには、砂鐵はなかつたかもしれないが、現在でも田んぼが廣がる豐かな大地だ。一部の民がここに定住したとしても不思議ではないと思ふ。砂鐵を求め移動しながら行く先々を開拓し國を大きくした丹波は、やがてその大きすぎる土地から相續爭いが起こり分裂し、杵築(現出雲)、但馬、丹波、三嶋、河內、大和などに分かれた。その分國の中で、出雲(杵築)社は、古代のロマンを感じる社である。

祭神:大歳大神
配祀:豐玉姫命、石作神
御朱印:たぶんない
※僕は御朱印を集めることが目的ではないので、他の御朱印集めサイトと違ひ何が何でも貰ふと言ふ姿勢ではないので、がつがつ行けば貰へるかどうかは解りかねます。
御朱印帳:なし
駐車場:參拜客用だつたのだらうか。ごめんなさい。

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▼かすれて見づらい・・・。
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▼こちらは新しい由緒。
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▼往年は後ろに森が廣がつてゐたんだらうと思ふ。
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▼これは何の謂れがあるのか、解らかつた。
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2014-07-26

曼殊院門跡

天台宗に屬する門跡寺。延曆寺の道場として建立された。山號はないみたいだ。當初は比叡山にあつたが明曆二年(千六百五拾六年)に現在の地に移轉したとのこと。境內は、まづ初めに庫裡がある。大きな窯と鍋が數個あり、これ全部使つて料理したら百人分ぐらゐ出來さうだなと思ふと同時に少しお腹すいた。まあ、この日はかなり步いたからなと自己辯護。そんな話はさておき、庫裡の奧に進むと不動明王が安置されてゐた。「うん、うん、よいよい、よいお顏」だと感激ひとしほであつたが、よく見ると「今だけの特別公開。これからは公開しません」と言つた感じのことが書かれてゐた。もう公開しないさうだ。傷みが激しい譯でもなかつたので、なにか理由があるのでせう。不動明王像が安置されてゐるお部屋の襖に一面竹の繪が描かれてゐた。ここは竹內門跡と呼ばれてゐるので竹なんだらうと思ふ。さらにお堂の中を進むと枯山水の庭園があつた。庭園を見渡せる部屋に阿彌陀如來坐像があつた。この像も今だけの公開で、この先は公開しないと書いてあつた。頭部の裏側に紙のタグが貼つてあつたので、修理かなにかなのかもしれないね。さらに奧に進むと黃不動の繪があつた。國寶だ。
さてここには曼殊院本古今和歌集が傳はると聞かれる。見たかつたな。國寶だからさう滅多に見ることもできないのは百も承知だが。でもしやうがない。

本尊:阿彌陀如來
御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:あり

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▼門跡寺ともなるとどこでも庭園は綺麗だ。
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▼もう少し先が修学院である。この邊りは小野と呼ばれる歌枕の地。
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2014-07-25

八大神社

詩仙堂の傍にある社。素戔嗚尊と櫛稻田媛命をお祀りする。創建の謂れは祇園信仰のやうで、北の祇園とも呼ばれてゐたさうだ。
この社は、なんと言つても一乘寺下り松の決鬪で有名である。武藏が決鬪前にここでお祈りをしてゐる時に悟りを開き勝利を手繰り寄せたと傳はる。吉岡一門との決鬪が行はれたとされる下り松の古木は、現在本殿西の脇に祀られてゐる。
叡山電鐵一乘寺驛から當社へ向かふ途中にも一乘寺下り松の古蹟がある。決鬪があつた頃の松は枯れたのかな、なので元の松は本殿西脇に保存し、手前の松は植ゑ換えたものだらうか。さう言へば、境內には下り松以外にも武藏の銅像と昔公開された映畫のポスターが貼つてあつた。まあ、觀光客を呼ぶためには宮本武藏は良い商材だらう。と言つても、ここは詩仙堂の傍だから秋になれば多くの觀光客が訪れると思はれるので、秋の頃は賑はふだらう。
さてさて、武藏が吉岡一門と決鬪したこの話だが、眞相やいかに。個人的には創作だと思ふ。だつて、一人で門弟すべてと戰つて勝利するなどまるで遠山の金さんか暴れん坊將軍のやうだ。かなり怪しい。而も司馬遼太郞がかんでゐるからな。あの御仁は、自分の創作をさも事實かのやうに觸れ廻る癖があるから質が惡い。乃木將軍もいい迷惑だ。

祭神:素戔嗚尊、櫛稲田媛命、八王子命
御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:詩仙堂の駐車場を利用?

▼壱の鳥居
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▼一乘寺下り松の古跡
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▼弐の鳥居
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▼社殿を望む
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▼宮本武臧像である
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▼有名な映畫のポスター
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2014-07-24

圓光寺

臨濟宗南禪寺派の寺院。山號は瑞巖山と稱す。開基は德川家康と傳はる。
十牛の庭の栖龍池は、洛北で最も古いと言はれてゐる。僕がお參りしたときは晚春のころであつたが、楓が靑々としてゐた。晚春は、眞つ赤に燃ゆるやうに楓が色づき綺麗なんだらうなと思つた。近くに歌枕の地である瓜生山があるが、借景としてはゐないやうだ。少し殘念。とは言ふものの、借景がないからと言つてここの庭園の良さを損なうものではない。
こちらの本尊は千手觀音である。一見して大日如來かと思つたが、よくよく見ると肢がいつぱいあつたので、千手觀音であつた。僕の記憶では千手觀音の坐像はあまり見たことがないやうな氣がする。思ひ違ひかな。
ここは、もみぢの名所になつてゐるが、僕はやはり靑もみぢのはうがいいな。庭園の奧に竹が植ゑられてをり、竹の靑と靑もみぢの靑が瑞々しく綠の香りが爽やかだ。栖龍池も水面に綠を映し出し涼やかである。

本尊:千手觀音菩薩坐像
御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:あり

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▼奥に見える山が歌枕になつてゐる瓜生山。山頂が微かに見える。
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▼緑の映える庭園である。
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2014-07-23

詩仙堂(丈山寺)

曹洞宗に屬し、山號を六六山と稱す。德川家康家臣の石川丈山が開基と傳はる。丈山が隱居して餘生を樂しむために建立したさうだ。正式には丈山寺と言ふさうだが、一般的には詩仙堂と言はれてゐる。由來は詩仙の間と言ふ部屋があり、日本の三拾六歌仙にならい林羅山の意見をもとめながら漢晉唐宋の各時代から選ばれた支那の詩人三拾六人の肖像畫を壁面に飾つてゐることによる。和漢の違ひはあれど、詩の匠が集ふに相應しいやうな庭園が魅力のお寺である。
あまりの庭園の素晴らしさに近年はかなり人氣のお寺となり、訪れる人が多い。皋月の頃と紅葉の頃が最も綺麗とされるが、その頃に行くと人だらけである。そのため、ゆつたりと詩を詠みながら庭を鑑賞すると言ふやうなことは殘念ながら出來なくなつてゐる。
とは言ふものの、皋月の頃はやはり綺麗だ。皋月と靑もみぢの共演が素晴らしく、庭園に降りれば杜若なども咲いてをり、詩仙の集ふ場所に相應しい風情だ。
この時、僕は古今集を持つてゐたので、古今集の春歌の一番最後に載つてゐる躬恆の歌を讀んでみた。

今日のみと 春を思はぬ 時だにも 立つことやすき 花のかげかは (躬恆)

これを書いてゐるときはとつくに春は過ぎてゐるが、當寺を訪れたときは晚春最後の頃だ。これからの季節はじめじめと梅雨が始まり、その後は燒け付く日差しが年々强くなる灼熱の夏が來ると思ひ、少し憂鬱になつて當寺をあとにした。

御朱印:書置きのみ
御朱印帳:なし
駐車場:少ないが有料がある

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▼杜若と花菖蒲などの見分けはなかなか難しい
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▼「そうだ京都、行こう」
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2014-07-22

狸谷山不動院

桓武天皇が平安京の城郭東北隅に鬼門守護として敕願したことに始まる。鐮倉期に險しい洞窟に本尊を安置し現在に至つてゐる。淸水寺を少し彷彿されるやうな本堂である。
慶長年間に當地に劍豪で有名な宮本武藏が訪れ、當地の瀧に打たれて修行をしたと傳はる。瀑布流るる瀧かと思つたが案外さうでもなかつた。但し、詩仙堂からここまでの道のりは坂道で、おまけに參道は二百五拾段の石段を上がらなければならない。これも修行だ。然し、ご叮嚀に石段の脇に「ここで○○段。あと○○段。」と書いた案內版があつた。これはつらい・・・・。殘りが見えると、これまで登つた段が大して登つてゐないと解り、大變辛い。
最後まで上がりきると本堂に至る。本堂と山の合間にハイキングコースの登山口と書いてあつた。ここから歌枕の地である瓜生山へ上がって行くのだらう。今日は、絕對に無理だな。足が持たない。書き忘れさうになつたが、武藏修行の瀧は石段を二百段近く上がるとやや開けた場所につき、その場所の右側の奧にあります。
本堂の中に五大明王の繪が掛つてゐた。描かれた時代はそんなに古くはないだらう。奧の本尊は、多少距離がありはつきりとは見えなかつた。少々殘念だ。
訪れた時は皋月の終はりだつたが、三拾五度近くになる異常氣象であつた。晚春もなにもない猛暑だつた。が季節的にはこのやうな歌の季節だ。確かに時鳥が啼いてゐた。

いつの間に 五月來ぬらむ あしひきの 山郭公 今ぞ鳴くなる

便利な世の中になつたのは良いが季節感が壞れて來たのは厭だな。與談だが、どう言ふ譯か和歌では時鳥(ほととぎす)を郭公と書く。なので、この山郭公は「やまほととぎす」と讀む。

本尊:不動明王
御朱印:あり
御朱印帳:なし
駐車場:あり

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▼阪神タイガース。
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▼神仏習合の痕跡が窺へる
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▼宮本武蔵が修行したさうだ。
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▼本堂
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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