2014-05-31

金戒光明寺

淨土宗に屬し、山號を紫雲山と稱す。通稱、「くろ谷さん」。ここの高麗門に「京都守護本陣跡」と書かれた標札が揭げられてゐる。當寺は幕末に會津藩の松平容保が陣を置いた場所である。從つて、ここに近藤勇以下新撰組の連中も通つてゐた。新撰組好きにはたまらない場所なんだらうな。江戶初期に城郭の機能を持たせるやうな改修が行はれてゐたやうで、ここが京都守護本陣となつたのは自然の成り行きのやうだ。そのやうな經緯から境內に鳥羽伏見の戰ひで戰死した會津藩士の菩提を弔ふ墓がある。
本尊の脇に千手觀音菩薩が安置されてゐた。この千手觀音菩薩は「吉備觀音」と言ふさうだ。吉備朝臣眞備が遣唐使として唐から歸つて來た際に海が荒れて難破しさうになつたので、「南無觀世音菩薩」と必死に唱へたところ難を逃れたことから、お禮に造つたとの謂れがある。元々は當寺にお祀りされてゐた譯ではなく元あつたお寺が廢寺になつたので、こちらに移つて來たさうだ。傳承通りなら、この千手觀音菩薩は奈良時代のものだね。
阿彌陀堂は豐臣秀賴公が再建したとのこと。秀賴公は戰禍に罹つた京の名刹、古刹の多くを再建してゐる。ここもまた、例外ではない。巷の講談本などは、秀賴公を暗愚とする向きも多いが、この人、決して凡愚ではなかつた筈だ。眞田信繁公や後藤又兵衞などの世紀の丈夫がつき從つた人物なのだ、暗愚だとはとても思へない。それに數々の名刹、古刹を再建した人が惡い人な譯はないでせう。

本尊:阿彌陀如來
御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:あり(有料?)

▼近藤勇や土方歳三もここを潜つたのかな
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▼毎度寫眞の撮り方が下手くそで・・・。
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▼こちらが本堂
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▼こちらが豐臣秀賴公が再建の阿彌陀堂。良禽擇木と言ふ言葉が示すやうに秀賴公は暗愚ではないと声を大にして言ひたい。
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2014-05-30

眞正極樂寺(眞如堂)

天台宗に屬し、山號は鈴聲山と稱す。正式名稱は眞正極樂寺であるが、眞如堂のはうが通つてゐる。
山門付近に足を踏み入れた時に非常に手入れが行き屆いてゐると感じた。氣持が新鮮になるやうな境內である。氣を緩ませば直ぐに建物はボロボロに境內は芥だらけになる。境內を淸潔にし建物の手入れも良くすることは、立派な修行だ。當寺はよくに修行されてゐる立派なお寺であると感じた。
建物について殘念ながらここも應仁の亂により幾多の堂宇が燒失してゐるさうだ。ご本尊の阿彌陀如來立像は「頷きの阿彌陀」と呼ばれゐる。この阿彌陀如來は女性に優しいさうだ。
櫻の頃になると黑住敎の宗忠神社の參道から當寺まで幾多の櫻が咲き誇り美しい風景を描き出す。櫻の他に境內には椿と馬醉木も咲いてをり、仄かに暖かい春の訪れを感じさせてくれる。もみぢの木も數多く植ゑられてゐることから、紅葉の季節も良いだらうが、春が訪れる4月上旬のはうが僕は好きだな。紅葉の時期は寒い。
今囘拜觀しなかつたが、涅槃の庭と呼ばれる庭園がある。大文字山を含む東山、比叡山を借景にした枯山水とのこと。境內がよく手入れされ淸潔に保たれてゐるので、お庭も綺麗に違ひない。それは見なくても解る。
今度は、涅槃の時に訪れて拜觀してみたいと思ふ。

本尊:阿彌陀如來(重文)
御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:あり(有料?)

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▼案内版にはもみぢの名所とあるが、ご覧の通り櫻も綺麗だ。
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▼京都映畫の誕生に地らしい。初めて映畫の撮影をしたとかだつたと思ふ。
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2014-05-29

吉田神社

吉田神道の發祥地と言つて良いのかな、吉田神道のあの吉田神社。吉田山に位置し、麓には京都大學がある。吉田神道は、文明年間に吉田兼俱により編み出されたもので、反本地垂迹說を說く。室町期に幕府などに取り入りかなりの權勢を誇つた。
吉田一族の吉田兼見は、本能寺の變の黑幕說がある人物。まあ、眞相は兼見が明智光秀と親しい關係だつたからだと思ふ。兼見は光秀にお金を貸してゐたやうであり、羽柴秀吉にその事を詰問されてゐたやうな氣がする。はて、記憶違ひだつたかな。話が逸れてきたので戾さう。
本宮の上に齋場所大元宮と言ふかなり珍しい形をした社がある。社殿が八角形をしてゐる。僕の記憶ではこのやうな八角形をした社殿は記憶にない。八角なのは八百萬だからかな。ここの祭神は天神地祇八百萬神とのこと。
末社に菓祖神社と山蔭神社がある。菓祖神社は垂仁天皇の命を受け、常世の國に渡り非時香菓を持ち歸つたが垂仁天皇が旣に崩御なされてゐたとの傳承を持つ多遲麻毛理(田道間守)をお祀りしてゐる。山蔭神社は、吉田神社の創始者で、四條流庖丁道の創始者でもある藤原山陰をお祀りしてゐる。菓祖神社はお菓子、山蔭神社は料理の神としても知られてゐる。
食べ物つながりでひとつ。近くの天麩羅屋さんが上手かつたな。筍の天麩羅を揚げてからフライパンで燒いてをり、香ばしくて上手かつた。筍だから季節限定なのかもしれない。夜は高さうだが、まあ天麩羅だから安い譯ないか。

祭神:建御賀豆智命、伊波比主命、天之子八根命、比売神
御朱印:あり
御朱印帳:あつたやうな
駐車場:あり

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▼齋場所大元宮。本殿の中を寫すことに氣が引けるので、毎度のことのやうに遠目からの爲、八角形のやうすが解りづらいです、すみません
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▼「オレっちは料理が得意だ」と申してをるやうです。
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2014-05-28

平安神宮

平安京の始まりと終はりに在位された天皇陛下、桓武天皇と孝明天皇の御魂を祀る。京都は延曆十三年(七百九十四年)から慶應四年(千八百六十八年)と大凡千年もの間、日本の中心として榮えた。四神相應の好條件が揃つた地形もその繁榮の一因だらうか。世界でも有數の大都市であつたらしい。
面白いもので、首都圈では江戶期創業とか言ふと相當古いと言はれるやうだが京都では江戶期ではあまり古いとは思はれない。そりやさうだ。町には室町期や桃山期のものが少なくない。江戶期なぞつい最近と言ふ感覺があつたとしても不思議ではない。
每年、十月二十三日には平安から維新までの各時代の衣裝にふんした行列が京都御苑から平安神宮迄を練り步く時代祭が行はれる。行列の主人公は桓武天皇と孝明天皇の御魂を乘せてゐる御神講だ。その御神講を守護すべく先驅けを山國鄕士の鼓笛隊が務め、殿を南桑・船井の兩苗鄕士の弓箭組が務めてゐる。鼓笛の音に合はせて行進する鼓笛隊は壯觀である。
山國、兩苗の兩鄕士は敎科書には載つてゐないが、普段は丹波に住んで帝都に緩急あれば帝を安んじる爲に進んで身を捨つる覺悟を持つ勤王の志士。西園寺公望が結成した山陰鎭撫隊にも主力として參加した。鼓笛隊は、私弁での參加が難しくなり現在では平安講社の持ち廻りになつたらしいが、弓箭組は今もなほ兩苗鄕士のご子孫の方々が私弁で參加されていらつしやるさうだ。その勤王の志に頭が下がる思ひがする。
春になると神苑の櫻が綺麗。染井吉野以外の品種も多く、色々な色や形の櫻が華やかさを競ひ合つてをり、夢心地のやうな場所である。又、外拜殿前の左近櫻が花を、右近橘がその實を附ける。春の頃は左近櫻の前に人が集まり、橘の前は人が疎らだ。
橘は非時香菓とも呼ばれ不老不死の靈藥と言はれてゐる。櫻は元々は梅の花が植ゑられてゐたさうだが、平安期は國風が榮え我が國の文化を形成した時期であり、それに合わせて梅から櫻に變はつたさうだ。なので、橘のはうがありがたいのだが、春の頃はどうしても櫻に目が行くのも人情だらう。
どうでもよい話だが、「橘右近太夫」は右近の橘を捩つて附けたもの。ほんたうにどうでもよい話でした、すみません。

祭神:桓武天皇、孝明天皇
御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:あり

▼櫻の頃は美しい岡崎疎水
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▼神苑その1
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▼神苑その2
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▼左近の櫻。人がいつぱいだ。
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▼山國鄕士の鼓笛隊。音聲がないのが殘念だ。
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▼御神講
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▼殿の弓箭組
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2014-05-27

月讀神社

松尾大社の攝社。月讀尊をお祀りする。阿閉臣事代が、任那への赴任中に壹岐で月讀尊の神託があつたので、これを顯宗天皇に奏上し、壹岐の月讀神社の神を勸請したことに始まる。 社中の由緖には、朝鮮からの渡來人が傳へた云々と書いてゐるが、眞實はさうではない思ふ。阿閉氏は阿倍氏の支族と傳はる。阿倍氏は渡來氏族ではないし、壹岐嶋も古來から日本固有の領土だ。
最新の科學技術は凄いもので、遺跡から出土した人骨等から遺傳子等を分析出來るさうである。これら最新科學が示す眞實は、何れも日本人と朝鮮人とは遺傳子等が異なると解析されてをり、渡來人が日本に大擧して押し寄せたり日本に稻作を傳へたやうなことは無かつたさうだ。稻作の傳播は、靜岡大學の佐藤敎授が古代支那國より直接傳播したと最新の科學技術で證明してゐる。
古代朝鮮人が朝鮮人の爲に書いた三國史記の新羅本紀なる本に新羅第四代の脫解王(脫解尼師今)は倭の多婆那(たばな)國の出身で、三國遺事の王曆にも多婆那國王の子であるという記載がある。多婆那國は倭國の東北千里の所と記されてをり、丹波國とされてゐる。 古代朝鮮人が朝鮮人の爲に書いた本である故に日本人の恣意的なものが含まれてゐないことに着目すべきだ。
宮津の籠神社には海部氏系譜と勘注系圖が神寳として殘されてをり、そこには建振熊宿禰が、神功皇后の三韓退治の際に、丹波・但馬・若狹の海人三百人を連れて從軍し、功績を擧げ海部直の姓を賜つたと記されてゐる。
つまり朝鮮から渡來人が大擧して押し寄せ日本に稻作を傳へたと言ふのは僞りで、日本の人々は古代から高い遠洋航海術を持つてをり、朝鮮半島へ渡り新羅他朝鮮半島南部の多くを統治したと考へるはうが自然ではないだらうか。

祭神:月讀尊
配祀:高皇產靈尊
御朱印:あり
御朱印帳:なし
駐車場:松尾大社を利用

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▼かすれてゐて見づらい
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▼人がまばらだつたこともあるが、後ろの山の神威をひしひしと感じる社だつた
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2014-05-26

松尾大社

松尾山の麓に位置し大山咋神と中津島姬神(市杵島姬神の別名)を主祭神とする社。創建は秦氏が5世紀頃に渡來し、この地に住んだ際に大山咋神を奉じ當社を建立したと傳はる。秦氏は大凡5世紀頃に朝鮮半島から渡つてきた可能性が高いと言はれてゐる。
大山咋神と市杵島姬神を祀る社は、大堰川流域の神社にも多くみられ當地と古代口丹波の地の關聯を窺はせる。古代口丹波には蹴裂傳說があり、かつて龜岡市一圓は湖で大國主命と大山咋神が保津峽を開鑿し水を拔いて平地を出現させたと言ふ。口丹波にはこの傳承を今に傳へる社が數多くある。その社の中のひとつに最初に鍬を入れた場所に地に建つと言ふ傳承を持つ請田神社と言ふ社がある、請田神社は、現在の場所には元々松尾神社が建つてゐたが、いつのころからか松尾神社が動坐し、現在の桑田神社にあつた請田神社が現在の場所に遷つたとも言はれてゐる。
松尾大社は元々松尾山を御神山とする神奈備信仰があつたところに秦氏があとから神社を建設したものである。もしかしたら、松尾大社の主祭神が「松尾の猛靈」と言はれる所以は、大山咋神が請田神社のある地から動坐させられたこと腹を立ててゐるからだつたりして。
卯月中旬には境內の庭園で山吹が咲く。卯月と言へばとかく櫻に目が行きがちだが、黃色と綠が鮮やかな山吹も良いものである。

祭神:大山咋神、中津島姬神
御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:あり

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▼さう言へば、龜岡の大井神社に中津島姬神が大井堰川を龜と鯉に乘つて遡上して来たと言ふような傳承があつた。
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2014-05-25

梅宮大社

橘氏の氏神を祀る社。縣犬養三千代により創建された。當初は山城國相樂郡に建てられてゐたさうだが、平城、平安の遷都とともに移動、今の場所に至つたもの。社の名前が梅宮であるが、神紋は橘。
主祭神は酒解神、酒の神である。酒解神は大山咋神と同一視されてゐる。大山咋神をお祀りする社は多く、當社の近くにある松尾大社も大山咋神をお祀りしてゐる。
境內には神苑があり、梅を始め四季折々の花が樂しめるやうになつてゐる。梅宮と言ふからにはやはり彌生の頃が參拜客の訪れが多いのかもしれない。ここは京都の梅の名所として知られてゐる。
參拜した時に境內で猫がひなたぽつこをしてをり、癒される思ひがした。後で知ったのだが、當社は境內で猫を飼つてゐることでも有名だつた。日本では猫が神の使ひと見られることはないが、猫は古來より人間の聚落にゐたと思はれ、人と共存して來た。猫は屈託のない姿をしてをり、神社に住み着いてゐても違和感があまりないと思つたが、さう言ふとうちの猫が、「猫にも惱みがある」と怒つてゐた。ああは見えてトロにも惱みがあるらしい。

祭神:酒解神、酒解子神、大若子神、小若子神
配祀:嵯峨天皇、橘清友命、橘嘉智子命、仁明天皇
御朱印:あり
御朱印帳:なし(あつたかもしれない)
駐車場:あり

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▼惱みはあるさうです。
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▼椿は、梅と同じやうな時期に咲くので、ここでも美しい花を見ることができた。
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2014-05-24

泉涌寺

眞言宗泉涌寺派總本山のお寺。山號は東山または泉山と稱す。皇室との所緣が深く、御寺泉涌寺とも呼ばれてゐる。
釋迦如來、阿彌陀如來、彌勒如來の三世佛が本尊であるが、山門を潛つてすぐ左にある觀音堂に安置されてゐる楊貴妃觀音と呼ばれる觀音菩薩坐像が有名である。楊貴妃であることから、拜むと美人になれるとの御利益があるさうだ。
ここも三月十五日に涅槃の法要が營まれる。大きな涅槃圖が揭げれられてゐた。橫たはる釋迦の周圍の人々の大きさが一定になつてをり、佛の前では萬人が平等と言ふことを表してゐるらしい。
境內の奧に御坐所と呼ばれる堂宇がある。ここ泉涌寺は、裏手に後水尾天皇以降孝明天皇迄の御陵があり、御坐所は今上陛下が御成りになられた際にお休みになれる場所とのこと。ありがたいことに、一般公開してをり中を拜見できる。因みに孝明天皇の御陵も參拜できる。裏手の山を上がった先に鳥居が見えるが、鳥居の先ではなくもう少し左に上がつた先にあるやうに見えた。參拜はくれぐれも失禮のないやうに。

本尊:釋迦如來、阿彌陀如來、彌勒如來の三世佛
御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:有料

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2014-05-23

東福寺

元々は藤原忠平が建立した法性寺と言ふお寺があつたさうだが、嘉禎二年(千二百三十六年)に攝政の九條道家が釋迦如來像を安置せんと當寺を建立。寺名は東大寺と興福寺から各々一字取つて名付けた。臨濟宗に屬し山號を慧日山と稱す。東大寺と興福寺に肖つた御蔭か當寺は退耕庵や天得院、同聚院など相當數の塔頭を今に殘し、紫野の大德寺に匹敵する大きな寺域を持つ。東山區と伏見區の境目ほどに位置してをり、應仁の亂などの戰火を受けにくい立地も幸ひしたのかもしれない。
もみぢの頃になると境內の通天橋の下の紅葉が鮮やかに色付き、もみぢの名所の一つに數へられる。但し、もみぢの頃にここへ行くのは相當なる覺悟が必要である。木造である通天橋は人の重みで倒潰するのではないかと思ふほど觀光客が詰めかけ、その煩惱で境內を汚すこと淺ましき限りである。
三月十五日には、涅槃の法要が營まれる。ここの涅槃圖には、通常は描かれる事がない猫が描かれてゐる。三月中旬であることから、堂內は冷たく足先が深々と冷えるが、猫が描かれるのは珍しいらしいので、一見の價値が大ありだと思ふ。

本尊:釋迦如來
御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:あり(有料?)

▼涅槃圖の猫は黒猫か白猫か?
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▼春から夏にかけての靑もみぢ
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▼晩秋のもみぢ
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▼通天橋。靑もみぢのころはこのやうに閑散としてゐるが、紅葉の頃は人で埋まる
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▼涅槃の法要の頃は梅が咲いてゐる
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▼方丈から見える庭
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2014-05-23

同聚院

東福寺の塔頭。現在東福寺のある場所にはもともと法性寺と言ふお寺があつたさうだ。その法性寺に「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 缺けたることも なしと思へば」の歌で有名な藤原道長が五大明王を安置した五大堂がかつてはあつたさうだが、現在では、當寺の本尊である木造不動明王坐像が五大明王の內唯一殘つてゐるとのこと。
この坐像、大凡二メートル以上はあらうかと思ふほどの高さがある像だが、なんでも一本の木を彫つて造つた「一本造り」ださうだ。元の木はどれくらゐ大きかつたのだらうか、見當もつかない。平安時代の匠の技は實に見事だ。
不動明王と言へば憤怒の表情をしてをり嚴めしい感じがするが、この不動明王は不思議と氣持ちが和らぐやうな優しいお顔に感ずるのはなぜだらう。不動明王は、多くの寺院に安置されてゐることから、多くの像を見たが、ここの不動明王はその中でも最高の部類に入る。
もみぢの季節の東福寺近辺は観光客の喧噪に包まれ騒がしいことが実に嘆かはしいが、ここの御堂の中は不思議と静寂に包まれてゐる。これも不動明王の功徳の賜物であらう。

本尊:土方不動明王
御朱印:あり
御朱印帳:なし
駐車場:;東福寺を利用

□寫眞は、本尊の素晴らしさに心奪はれ、撮ることを忘れた□
プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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