2016-09-23

賀茂斎院址(櫟谷七野神社)

詞書:齋院に侍りける時、神館にて
忘れめや葵を草に引き結び 假寢の野邊の露のあけぼの(式子內親王:新古今182夏哥)

船岡山の東に櫟谷七野神社が鎭坐してゐる。このお社は、賀茂齋院の址に鎭坐してゐるさうだ。賀茂齋院とは、兩賀茂社に奉仕した皇女(齋院)の御所。伊勢神宮の場合は「齋宮」と呼ぶ。齋院は葵祭の主役である。齋院は大凡、嵯峨天皇の御宇に始まつたとされ、承久の變頃に杜絕した。
齋院は式子內親王も勤められた。こちらは、百人一首に入撰してゐる歌。

玉の緖よ絕えなば絕えねながらへば 忍ることのよわりもぞする(式子內親王:新古今1034戀哥壹)

もう一首。
生きてよもあすまで人もつらからじ この夕暮れを問はば問へかし
(式子內親王:新古今1329戀哥四)

式子內親王と藤原定家は非常に緊密な關係であつたらしい。この歌は式子內親王が定家に贈つたとされる歌。

最後にもう一首。
うたゝたねの朝けの袖にかはるなり ならず扇の秋の初風
(式子內親王:新古今1034秋哥上)

陰曆ではもう晚秋。現代では秋の訪れを漸く感じられるやうになつた。やはり、地球溫暖化は進んでゐるのかもしれない。

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▼當社は染殿后がご懐妊の際、その安産を祈願して大和國三笠山から春日大神を勧請したことに始まる。
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2014-09-27

山住神社・石坐神社

石坐神社は、岩倉の實相院の北側に鎭坐し東殿に八所大明神を、西殿に十二所大明神をお祀りする社。元々は叡山電鐵の岩倉驛近くの山住神社に鎭坐してゐたが、紆餘曲折を經て當地に遷坐したとのこと。
山住神社は、本殿がなく磐坐をご神體とする社。所謂神奈備信仰であり、古い信仰の形體を殘してゐる貴重な社である。實相院や岩倉具視幽棲舊宅のほんの近くであり、岩倉具視もしばしばお參りしてゐたと傳はる。
社殿は大正期に再建されたものであり、古くはないが山の斜面を利用し莊嚴な雰圍氣のする境內である。

▼山住神社の鳥居前
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▼山住神社の拜殿
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▼石坐神社の鳥居前
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▼石坐神社の拜殿
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▼石坐神社の本殿
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2014-09-24

貴船神社

創建の年代は不詳であるが、神武天皇のご母堂である玉依姬命が黃色き船に乘り、淀川・鴨川・貴船川を遡つて當地に鎭坐し、水神を祭つたのに始まると當社の社傳が傳へる。黃色き船であつたことから「黃船」が「貴船」になつたさうだ。その黃色き船は、現在、奧宮境內にある「御船型石」として鎭坐してゐる。社殿は、本宮、結社、奧宮の三つあり、本宮は高龗神を、結社は磐長姬命を、奧宮は闇龗神をお祀りしてゐる。
さて、奧宮の手前に川が流れてをり、短き橋が架かつてゐる。この川の名前は「思ひ川」と呼ばれてゐる。元々は禊川(みそぎかは)もしくは物忌川(ものいみかは)であつたが、當地での和泉式部の戀物語が重なり「思ひ川」となつたさうだ。和泉式部とは戀多き歌人として有名である。紫式部に歌は素晴らしいが素行がよくないと呼ばれたと傳はるが、相當美人であつたらしい。源賴光の四天王として大江山の酒吞童子を退治した藤原保昌が襃美として和泉式部を妻に望み、それが緣で結構したさうだ。
貴船神社の戀物語は、藤原保昌の愛が覺めたのか疎遠になつてゐるので夫の愛を再び取り戾すべく當社にお參りしたさうだ。歌人らしくその時の和歌が傳はつてゐる。

ものおもへば 澤の螢も わが身より あくがれいづる 魂たまかとぞみる

「戀くて惱んでいたら、澤に飛ぶ螢も私の體から拔け出した魂ではないかと見える」と言つた感じの譯かな。この歌を詠んだら、貴船大神が歌を返してくださつた。

おく山に たぎりて落つる 瀧つ瀨の 玉ちるばかり ものな思ひそ

「奧山にたぎり落ちる瀧の水玉が飛び散るやうに、魂が飛び散つてしまふほど思ひ惱んではいけない」とのこと。ありがたい神の言葉であり、和泉式部も勇氣が倍增したことだらう

祭神:高龗神
御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:なし

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▼當社前は川床で賑はつてゐて騒々しい。
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▼參拜に行列が出來てゐた
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▼和泉式部の故事で名前が變つた「思ひ川」。和泉式部は、紫式部だけでなく藤原道長からも素行の惡さを指摘されてゐたさうだ。
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▼これが御神木の聯理の杉
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▼奥の宮の拜殿
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▼御舟形石
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2014-09-22

由岐神社

鞍馬寺の境內に鎭坐し大己貴命と少彥名命をお祀りする社。元々は宮中でお祀りしてゐたが、大地震や天慶の亂の發生により、王城の北の護りの爲に當地に動坐したと傳はる。例祭の鞍馬の火祭は、そのときに里人がかがり火を持つて神靈を迎えたことに據るとのこと。
その後多少荒廢したやうだが、豐臣秀吉が篤く崇敬し、豐臣秀賴公が本殿や割拜殿を再興した。割拜殿は桃山樣式で國の重要文化財に指定されてゐる。鳥居を潛り割拜殿の奧の階段の中腹邊りに大きな杉の木が植ゑられてゐる。この杉はご神木で京都市の天然記念物に指定されてゐる貴重な杉の木である。
僕は、鞍馬の火祭を見たことがない。一度見てみたいと思ふ。願ひは適ふといいな。

祭神:大己貴命、少彦名命
御朱印:あり
御朱印帳:なし
駐車場:なし

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▼重文の割拜殿
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▼立派な杉の木だ
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2014-09-15

今宮神社

創建は古く平安遷都以前に疫神を鎭めるために建てられてゐたと傳はる。
現在、この疫神は須佐之男命とされ、攝社にお祀りされてゐる。遷都後に平安京は隆盛を謳歌するが、その一方で疫病の發生も都度起こり、御靈神社や祇園社等で御靈會が營まれ、當社でも紫野御靈會が營まれてゐた。この紫野御靈會は現在の今宮祭として續いてゐる。
紫野御靈會は、元々船岡山の頂に神輿を二基奉納してゐたさうだが、長保三年(千壹年)に大規模な疫病が蔓延し、船岡山に奉納してゐた神輿を當地に遷坐して、大己貴命、事代主命、奇稻田姬命をお祀りされたことが起源とされる。奇稻田姬命が本殿で、須佐之男命が攝社であることは多少違和感を感じずにはいられない。不思議だな。
紫野で生まれ育つた桂昌院は當社を篤く崇敬してゐたやうであり、多額の寄進をするなど當社と桂昌院とは繫がりが深く、當社は玉の輿神社とも言はれてゐる。
廣い境內には多くの攝社があり、見どころ滿載の社である。

祭神:大己貴命、事代主命、奇稻田姬命
御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:あり

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▼桂昌院のレリーフ
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▼拜殿の中に三十六歌仙繪が飾られてゐる。
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▼本殿
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▼阿保賢と言ふ名の奇石
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
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