2017-02-03

野見宿禰神社

兩國なので野見宿禰をお祀りするお社が鎭坐してゐる。野見宿禰とは、天照大御神と素戔嗚尊の誓約によりお生まれになられた天穗日命の十四世で出雲國造の鵜濡渟の子。垂仁天皇の名で當麻蹴速と相撲を取り、勝つて恩賞を賜つた。また、垂仁天皇の皇后が崩御された後、埴輪を考案して殉死の風習を改めたとされる。この功績により土師臣の姓を與へられた。因みに土師氏は天滿宮でおなじみの菅原道眞の菅原氏の祖である。
日本書紀の相撲の插話により、野見宿禰は相撲の始祖とされ、相撲と言へばこゝ兩國なので、兩國にも野見宿禰神社がある。

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▼菅家の祖だけに梅紋。
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2017-02-02

江川太郎左衛門屋敷址

江川太郞左衞門の江戶屋敷があつた場所。江川太郞左衞門は、恐らく有名な人ではないと思はれるが、この人、とても面白い。幕末の頃は、時代が激動してゐるから、飛び拔けた人物が排出されたのかもしれない。
さて、この江川太郞左衞門ですが、伊豆國韮山の幕府の代官を世襲してきた家柄の人で、代々「太郞左衞門」の通稱を名乘つてゐた。今囘、ご紹介する人は、第三六代目の英龍。因みに、江川氏は淸和源氏で源賴親(源基經の子)を祖に持つ大和源氏。當初は宇野姓であつたが、賴朝の頃に伊豆國の江川に住み江川を名乘り始め、以來、江戶末期に至つても代々韮山で代官を世襲し續けた名家である。
代々「太郞左衞門」を名乘つて來たなかで、一番有名な「英龍」とはどんな事績を殘したのかと言ふと、世界遺產となつた韮山の反射爐を建設し、日本で初めてパンを燒いた人物である。因みに、英龍の父の英毅も韮山の民治に大きな功績を殘し、英龍もた二宮尊德を招聘して農地の改良などを行ふなどの善政で「世直し江川大明神」と韮山では呼ばれてゐたと言ふ。
その一方で、英龍は頻繁に出現する黑船に危機感を募らせたさうで、高島秋帆に弟子入りして近代砲術を學んだ。その後、國防特に海防の必要性を感じた英龍は鐵炮の大量製造の爲に韮山で反射爐の建設を幕府に建議、黑船來航後に建議が通り反射爐が建設された。また、中濱萬次郞は英龍の配下であつた。パンを燒いたのも國防の一環ださうで、それ以外に「氣をつけ」「右向け右」「廻れ右」等の掛け聲も英龍が始めたものださうだ。これは農兵の組成を强く幕府に提言してゐた英龍が、屋敷の近隣に住む人を集めて近代的な軍隊を組織しようとした時に隊員が解りやすいやうにと配慮したものだと言はれてゐる。
幕末に我が國の存亡に危機を懷き、全人生を懸けて近代裝備の生產や兵改革などの盡力した偉人の屋敷がこゝにあつた。かう言ふ偉人たちの未來に住む日本人の爲に國を殘さなければならないと言ふ想ひを現代に住む日本人はあまりにも蔑にし過ぎてはゐないだらうか。僕にはさう思へてならない。

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▼すみだ北斎美術館。完成したばかり。この日は休館日でした。
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2017-02-01

芥川龍之介生育の地

「羅城門」や「芋鬻」でおなじみの作家、芥川龍之介が幼いころに過ごした家があつた場所。芥川は牛乳販賣業を營む家に生まれた。生後間もない頃に母が病氣となり兩國の叔母の元に預けられた。
因みに、「羅城門」、「芋鬻」、「鼻」などは今昔物語集の本朝世俗部に收錄されてゐる插話を題材にしてゐる。このうち「芋鬻」は冴へない五位殿の希望を叶へてあげる藤原利仁の話である。餘談ですが、今昔物語集はなか/\面白いです。芥川がネタにするのも解る氣がするな。
文豪の住んだ家は無くなりすつかり樣子は變つてしまつてをり、芥川龍之介の足跡を感じることは出來なくなつてゐる。

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▼この材質は自分が映り込むので嫌いだ。自分が映るのは上手く避けられたが知らない人が映つてゐる・・・。
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▼「吾輩は猫である。」 
トロ、そ、それは・・・。
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2017-01-31

吉良邸址

東京都墨田區兩國にある區立公園で吉良義央の邸宅があつたとされる。赤穗義士による仇討後、吉良邸は幕府により沒收された。時が流れて、昭和九年に地元の有志の方々により、吉良邸があつた場所を購入し、公園化して自治體へ寄附した。
公園と言うよりかは白壁に圍まれ、中には吉良義央の坐像があつたり、お稻荷さんがあつたりとするので、先の勝海舟の生誕地よりは雰圍氣が多少ある。かう言ふ地元の方の篤い思ひは頭が下がる思ひです。後世に殘してゆきたい史蹟である。

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▼吉良邸の圖面。かなり大きな屋敷だつたやうだ。
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▼吉良義央の首級を洗つたとされる井戸。
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▼忠臣藏の影響で惡い人と言ふ印象を持たれてゐる吉良義央だが、領地があつた三河國幡豆郡で治水事業を推進し農業の發展に寄與するなどして、地元では名君として稱讚されてゐる。
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▼吉良邸前のお社。
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▼吉良邸正門址
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▼中島伊勢は葛飾北斎の養父と言はれてゐる。
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▼圍碁の名家の屋敷があつたとのこと。
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2017-01-30

勝海舟誕生の地

海舟と號す勝安房守こと勝安芳の生家があつた所。現在は、公園になつてゐる。勝海舟或いは勝安房とは、幕末に生きて時代を動かした幕臣として有名で、ご存じの方も多いでせう。勝海舟の父、小吉は御家人の男谷の三男に產れ、旗本の勝家に養子に出されたさうだ。勝海舟は小吉の實家の男谷家で生まれ、七歲までこゝで過ごしてゐたとのこと。

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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

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