2017-01-20

箕田観世音堂

特に寺號標が有る譯でもなく空き地にぽつりとお堂らしきものと公民館があるのみであるが、こゝは箕田觀世音堂と言ひ、箕田源氏ゆかりの地である。
箕田觀世音は、箕田(渡邊)綱を開祖し、馬頭觀世音を安置するお堂。この馬頭觀世音は源經基が戰ひの折に兜に頂いて出陣した一寸八分の尊像とのこと。源經基の戰ひと言ふことは平將門との戰ひのことだと思はれる。どう言ふ經緯でかうなつたのか勉强不足で申し譯ないですが、今は無住のお寺となつてゐる。境內入口付近の燈籠に箕田氏の家紋があり、こゝが箕田氏の所緣の地だと言ふことを示してゐる。

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▼ご本堂。
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2017-01-19

宝持寺

曹洞宗に屬し、山號を曹傳山、寺號を寳持寺と稱す。ご本尊は釋迦牟尼佛。箕田(渡邊)綱が祖父(源仕)と父(源宛)の菩提を弔う爲に創建した。場所は氷川八幡神社の北側にある。と言ふ事は、綱が祖父と父の菩提を弔ふ爲に館の中か隣接する所に創建したと言ふのは說得力があるなと思つた。
ご本堂は新しい。これは、箕田源氏が武藏を去つた後、次第に廢れて來たやうで、永正年間(一五〇四~一五二〇年頃)に現東松山市にある永福寺の第二代住職が當寺を再興、再興當時は伽藍も數多くあつたがやがて廢れ、大正十一年に古材を再利用して本堂を改築したが古材を再利用しただけあり老朽化が激しく、平成十四年に新築したとのこと。

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▼夫々ご事情がおありなんだらう。
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▼ご本堂。
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▼こゝも三つ星に一文字が至る所にある。
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2017-01-18

氷川八幡神社

箕田(源。後年は渡邊)綱が、永延二年(九八八年)に八幡宮を勸請とされる。八幡宮なので譽田別命が祭神。明治に入り箕田氷川神社を合祀し「氷川八幡神社」と稱すが、それまでは箕田八幡神社であつた。氷川八幡神社の北側には箕田源氏の館があつたとされる。源氏なので、氏神樣として八幡宮を勸請したのだらう。
現在、境內には「箕田碑」と言ふ箕田源氏の顯彰碑が建つてゐる。字は擦れて良く讀めなかつたが、渡邊綱の辭世の歌が刻まれてゐるらしい。

世を經てもわけこし草のゆかりあらば あとをたづねよむさしのはら

この碑は安永七年(一七七八年)に建てられ、現在、市の指定文化財となつてゐる。

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▼境内には「三つ星に一文字」が至る所にあつた。
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▼新春第一段♪オレっちの地酒コーミャー♪ 本日は小山本家酒造さんの「金紋世界鷹」。播磨國灘出身の創業者が全國で良水を求めて旅し、武藏國足立に名水があつたので創業を決意したさうだ。時にして文化五年(一八〇八8年)。武藏屈指の老舗である。
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2017-01-17

三士塚

昨日ご紹介した滿願寺は箕田源氏の館、或いは源賴義の家臣若林某の館の址に建つとされた。箕田源氏の館は、滿願寺を南の端として三士塚と呼ばれる箕田古墳二號墳邊りにあつたとも言はれてゐる。現在は、館の遺構は全く見ることは出來ない。箕田古墳二號は宅地造成などにより崩れてはゐるものの古墳だと解る。墳頂には祠があり、その手前に鳥居がある。鳥居には「氷川神社」と言ふ扁額が揭げられてゐた。
この邊りは箕田なので、箕田源氏の館がこの三士塚の周邊にあつたとしてもをかしくはないと思ふ。

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▼墳頂から左右をみてみよう。
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▼步いてゐる時に氣になつたのですが。
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▼表に「山神」と書いてあつた。態々境界が凹んで毀さぬやうになつてゐるのは何かがあるんだらうと思ふ。
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2017-01-16

箕田源氏と館跡

第五二代の嵯峨天皇には澤山の皇子がいらつししやつた。數へてみようかとも思つたが、止めた。多すぎる。
嵯峨天皇の子だくさんは皇室の財政に影響を及ぼしたやうで、皇子の中から臣籍降下する方も數多くゐた。♪陸奧のしのぶもぢずり誰ゆゑに 亂れそめにしわれならなくに♪で有名な河原左大臣、つまり源融もその一人である。
その融の次男の昇の次男の仕は武藏國の國司として下向し、武藏國足立郡箕田に住んで「箕田」を名乘つた。箕田の地の近くには鴻神社があり、この「鴻(こふのす)」は「國府の州(こくふのす)」からの轉化と言はれ、鴻巢が一時武藏國の中心であつたと思はれる。仕の子は宛。今昔物語で平良文(坂東平氏の曩祖)と爭ふ物語が載つてゐる。宛の子は綱。綱の代になり攝津國西成郡渡邊に移り住んだのだらう、渡邊を名乘る。賴光四天王の一人の渡邊綱である。
鴻巢には箕田源氏の所緣の場所があり、今日から數日は鴻巢に傳はる箕田源氏の史蹟をご案內しませう。まづは、滿願寺から。
眞言宗に屬し、山號を若林山、寺號を明王院滿願寺と稱す。ご本尊は不動明王で、源經基或いは源賴義が開基とされる。當寺のある場所は賴義の家臣若林某が住んでゐた或いは箕田源氏の館があつたとされる。現在は、宅地化が進み中世の館の址があつたやうには見えないが、かなり古い時代に建立され、源氏と緣が深いお寺であつた。

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▼住所は「箕田」。
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▼周邊を寫してみたが、舘址の面影はなにもない。
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▼本堂
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
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