2016-09-06

源為義墓所

保元の亂で敗者となり、嫡男の源義朝より誅されてしまつた源爲義の墓だとされる場所が、七條新千本付近にある。
保元物語によると、河內源氏の基盤となつてゐる關東へ落ち延びやうとした爲義だが、途中で病を得て近江邊りに潛伏してゐたやうである。その後、比叡山の西塔の北谷黑谷邊りで出家して法名を義法房と稱した。軈て、行き先の不透明さから、身は病、心は折れてしまひ、遂には嫡男の義朝の元に出頭し、助命を乞はうとした。この時、源爲朝は、假に義朝が許したとしても主上(後白河天皇)がお許しになる譯がないと爲義を諫め、坂東には三浦介義明、畠山庄司重能、小山田別當有重らがゐるので、彼等を賴れと進言したが、爲義は聞き入れず入京し義朝の元に投降した。
投降した爲義だが、やはり爲朝の言ふ通り主上は助命には懷疑的であり、さらには平淸盛は河內源氏弱體化の好機として、信西らとともに義朝を追ひ詰めたことから、義朝は父を斬らざる得なくなつた。義朝は自分で親を斬ることは出來ないとして、郞黨の鐮田政淸と波多野義通に命じて爲義を斬つた。その後、鐮田政淸は圓覺寺と言ふお寺に墓を建てて檀を作り、卒塔婆を建てて菩提を弔つたと保元物語は記す。
現在、圓覺寺は廢寺となつたのだらうか存續してゐないやうだ。爲義が斬られた場所であるが、六條河原とも七條千本とも船岡山とも言はれてゐる。船岡山は、爲義の穉兒が波多野により斬れて、圓覺寺の爲義墓所の隣に埋葬されたと保元物語に記されてをり、爲義もこゝで斬られたのではと言はれたりもするさうだ。
さて、當地は新千本通り、七條を西に進んだ先に在る。圓覺寺が廢寺となつた時に、爲義の墓を當時斬られた場所が七條千本が有力視されてをり、そのためこちらに移設したのかもしれない。

tameyoshi01.jpg

tameyoshi02.jpg

▼鍵がかゝつてゐるので、門の前からズームで撮影。
tameyoshi03.jpg

tameyoshi04.jpg

tameyoshi05.jpg

tameyoshi06.jpg

tameyoshi07.jpg

2016-09-05

成勝寺址と延勝寺

成勝寺と延勝寺は、白河に建立された敕願寺で、堀河天皇や白河天皇、待賢門院、崇德天皇、近衞天皇が各々發願し建立された六つのお寺のうちのひとつ。夫々のお寺に「勝」の字が入つてゐるので、「六勝寺」とまとめて呼ばれた。平安末期は大變興隆したが、その後は徐々に衰頽し、應仁の亂が追ひ討ちとなり廢絕してしまふ。後世、凡その場所は文獻などから推測できるやうだが、遺構などが見つからず、發掘調査が待たれるが、こゝには博物館などの文化的施設があり、いまさら發掘すると言ふのも困難である。
成勝寺は、保延五年(一一三九年)に崇德天皇の御願により建立。保元の亂で流刑に處された崇德院を慰撫するための御八講法要が行はれたとされる。延勝寺はは久安五年(一一四九年)に近衞天皇の御願により建立。いづれのお寺も現在は「みやこめっせ」が建てられた場所にあつたと推定されてゐる。

▼成勝寺址
seisyoji01.jpg

seisyoji02.jpg

▼延勝寺址
seisyoji03.jpg

seisyoji04.jpg

▼源氏と葵の上。橘右の乏しい智識では、こゝ白河と源氏或いは葵の上、関聯があつたやうには見えないのだけれども、まあ、なんか関聯があるのでせう。
seisyoji05.jpg

▼身はかくてさすらへぬとも君があたり 去らぬ鏡の影は離れじ(源氏)
別れても影だにとまるものならば 鏡を見てもなぐさめてまし(葵の上)
seisyoji06.jpg

seisyoji07.jpg

seisyoji08.jpg

seisyoji09.jpg

▼二宮尊德翁の胸像。胸像なのは珍しいやうな氣がする。
最近の歩きながらの読書を批判する影響か。この議論は本質を見誤り、一點だけを論じた過ちだと橘右は思ふ。
seisyoji10.jpg

2016-09-04

白河北殿

保元の亂の激戰地となつた場所。新院が鳥羽田中殿を脫して白河北殿にお入りになられたと保元物語は記す。こゝで軍議をした新院勢は源爲朝の高松殿夜討ちを却下し、逆に主上側の夜き討ちを受ける結果となつた。寄手の平淸盛、源義朝は、源爲朝の弓勢に散々手こずりあまたの勇者が爲朝の放つ矢の犧牲となつた。寄手が事態を打開したのは源義朝。主上の諒解を得て白河北殿に火を放つ。これにより、新院側のあまたの雜兵たちが脫走し新院側が總崩れとなつた。亂後、新院の祟りを鎭める爲に、當地に粟田宮と言ふお宮を建立したさうだ。
現在は京都大學の寮(熊野寮と言ふ)が建つてゐる。碑があるのは、熊野寮の北西の角である。敷地內ではあるが、角に外を向いて建つてゐるので、外からでも見る事が出來る。
なほ、橘右が訪れた時に寮の入口に機動隊と報道陣と顏をマスクで覆つた學生と思しきものが諍ひあつてゐた。物々しい雰圍氣のなかのトロクロ撮影であつた。後で知つたが、この時に授業を妨礙した中核派が寮に潛伏してゐるとの報を受けて警察が搜索をする處であつたやうだ。
あのう、どんな立派な主義主張があるのかもしれませんが、授業妨礙つて、學生でせう?而も國立の大學で。國立の大學なんですから、國民の税金が使はれてゐるんですよ、授業妨礙などせずにちやんと勉強して下さい。
因みに、產經新聞によると他の學生はこの中核派の行爲を迷惑に思つてゐるさうだ。そりやさうだろう。
http://www.sankei.com/west/news/160229/wst1602290038-n1.html

shirakawakita01.jpg

shirakawakita02.jpg

shirakawakita03.jpg

▼八ッ橋の西尾の本店があつた。
shirakawakita04.jpg

2016-09-03

高松明神神社

天照大御神をお祀りするお社。こちらには源高明の館があつた。この源高明の館は高松殿と呼ばれ、里內裏となつた。後白河天皇はこちらで踐祚し、その後、後白河天皇の里內裏となつた。
こちらも保元の亂の舞臺となつた場所で、平淸盛や源義朝はこちらに集結し、新院側の籠る白河北殿へ進軍したと保元物語が記してゐる。
その後、平治の亂で燒失するが、高松殿に鎭坐してゐた當社はその後も存續した。
こちらのお社の脇に地藏堂がある。安置されてゐるお地藏さんは眞田信繁の持佛だつたとのことで、「幸村の智慧の地藏尊」と親しまれてゐる。

takamatsushinmei01.jpg

takamatsushinmei02.jpg

takamatsushinmei06.jpg

takamatsushinmei07.jpg

takamatsushinmei04.jpg

▼こちらは幸村の智慧の地藏尊
takamatsushinmei05.jpg

takamatsushinmei03.jpg

2016-09-02

鳥羽田中殿址

城南宮の北側のラブホテル街の脇にある公園に鳥羽田中殿の石碑が建つ。こゝは、保元の亂發生時に、崇德院がおはしまし/\、こゝから白河北殿に行幸された場所。鳥羽離宮からは少し距離があるが、白河天皇陵、鳥羽天皇陵、近衞天皇領の近くである。鳥羽には宏大な宮殿があつたのだらう。現在、城南宮前にある人氣ラーメンチェーン店「橫綱」の裏に、鳥羽離宮の北殿址に公園と南殿の址に運動場があり、曾ての建物は旣に失はれてゐるが、場所だけは解るやうになつてゐる。
この鳥羽離宮は、藤原季綱が白河天皇に獻上したものださうで、ちやうど保元の亂の頃はその全盛だつた。保元から治承・壽永の亂後も建物が存在してゐたやうだが、元弘、延元の亂があつたあたりで燒失し、その後は急速に衰頽したやうだ。

tobatakana01.jpg

▼保元の亂は、我が國の歷史のなかで、時代が大きく變る重大な出來事だと思ふが、これ、塵だらけ・・・。
塵の蒐集所であるのなら、こゝは公園なので行政として少し場所を移すとかする配慮があつても良いと思ふが。
tobatanaka02.jpg

▼こちちは近くにある鳥羽離宮南殿址
tobatanaka03.jpg

tobatanaka04.jpg

tobatanaka05.jpg

▼こちらは白河天皇の御陵である成菩提院陵です。
tobatanaka06.jpg

tobatanaka07.jpg

tobatanaka08.jpg
プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
淡々と百人一首
    フリーエリア
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR
    御訪問ありがたうございます