2014-07-16

伊勢寺

高槻市にある曹洞宗に屬するお寺で山號は金剛山と稱す。三拾六歌仙の一人に數へられる伊勢姬が隱棲し庵を結んでゐた跡地に建立されたと傳はる。當初は天臺宗であつたが、後に曹洞宗に改まる。
ここも高槻にある他の寺院と同じく天文年間に高山氏の燒き討ちにあつたさうで、一時衰頽するが江戶期に永井氏の庇護を勢ひを取り戾したとのこと。
このやうなことから、境內には伊勢廟と言ふ伊勢を偲ぶ廟があるほか、歌碑も建つてゐた。また、境內墓地の奧のはうに高山氏の前の高槻城主であつた和田惟政のお墓もあつた。
基本的には檀家を持ち寺を維持するお寺で觀光向けではない。高槻市側が市の觀光資源と位置付けてゐるやうだが、受け入れる側のお寺の對應はあまりよくない。
伊勢の歌や高槻市の宣傳とは裏腹で、御朱印を貰うときなど多少氣分が惡くなるかもしれないことを覺悟して行くはうが良い。

本尊:聖觀音菩薩
御朱印:あり
御朱印帳:なし
駐車場:なし

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▼伊勢の歌碑
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▼この歌は百人一首にも入つてゐる
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▼伊勢廟
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▼和田惟政の墓
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2014-07-13

寶積寺

天王山中腹に位置する眞言宗智山派に屬するお寺。山號は天王山。山門前に聖武天皇敕願所とあり、當寺の創建が古いことが伺へる。
山門を潛るとすぐ三重塔が見える。これは僕の記憶が間違ひでなければ秀吉が寄進したと思ふ。ここは秀吉と明智光秀が爭つた山崎合戰の地である。當寺を含む天王山に秀吉が本陣を置いた。本堂の前に石があり、これは秀吉が腰かけたさうで出世の御利益があるらしい。
閻魔堂に安置されてゐ閻魔大王及びその眷屬は實に見事であつた。おそらく鐮倉期の作であらう。寫實的で生き生きとした躍動感があり、思はず「ごめんなさい」と言ひさうになるほどだ。
本堂と閻魔堂の間から奧へ進むと天王山山頂への登り口があり、山を登つて行くと禁門の變で殉死した眞木和泉以下拾七名の墓がある。境內の三重塔の脇に碑が建つてをり、當寺が眞木和泉らの供養をしたのかもしれない。
當寺は華々しい出來事はないものの、歷史の動亂を身近に過ごしたお寺である。

本尊:十一面觀音(重要文化財)
御朱印:あり
御朱印帳:なし
駐車場:あり

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▼境内にはこの碑だけで、境内裏から山を少し登つた先にお墓がある。
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▼秀吉の出世石。クロで半分隠れてゐるぢやないか。
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▼秀吉建立と傳はる三重塔
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▼本堂を望む。裏手が天王山山頂である。
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▼境内裏手から天王山山頂まで登れる。
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2014-05-16

四天王寺

聖德太子所緣のお寺。山號は、荒陵山と稱す。當寺付近は前方後圓墳があつた場所であることから荒陵と稱するとの異傳がある。聖德太子が蘇我馬子と共に物部守屋と爭ひ、騷動の最中に「勝利した曉には四天王を安置する寺を建立する」と願掛けをしたところ、勝利出來たので當地に四天王を祀る寺を建立したと傳はる。本尊は救世觀音菩薩。
度重なる戰火などにより堂宇は燒失、再建を繰り返してゐることから、聖德太子創建時の堂宇は存在しない。非常に殘念である。恐らく、聖德太子が寄進したであらう四天王像も燒失してゐると思はれる。
時の女神は、過去を溶かし未来を造る。聖德太子の聖蹟も例外ではないやうだ。倂し乍、當寺は我が國の佛敎信仰の始まりと言へる傳承をもつてをり、日本の佛敎發祥と言つても良い。その事實は今のところ時の女神でも溶かし去ることをできてゐない。佛敎は蕃神とは言へ、我が國の道德に多大な好影響を及ぼした。我が國の佛敎信仰の始まり地と言ふ事蹟は時の女神に抗ひ未來に傳へ殘したいものだ。
境内に「義経鎧掛け松」と言ふ松が植ゑられてゐた。何も解説がないので謂はれが解らない。ここで休憩してから屋嶋にでも向かつたのであらうか。少々気になるのだが、比較的若い松に見える。僕は専門家ではないので間違つてゐるかもしれないが、幹の太さや全体の大きさが樹齢を重ねてゐるやうには見えなかつたので、さう思つた。

本尊:救世觀音菩薩
御朱印:あり
御朱印帳:あつたかもしれない
駐車場:あり

▼ここも神佛習合の跡がみられる
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▼聖德太子の建立ではないが、今も多數の堂宇がある
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▼トロは興味がないやうだ
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▼手前の石舞台は國寶か重文であつたと記憶してゐる
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▼義経鎧掛け松
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2014-05-04

朝護孫子寺

信貴山山頂に建立する毘沙門天を本尊とするお寺。本尊は確か祕佛になつてゐたと思ふ。廣い境內には幾多の堂宇があり、山頂の空鉢堂まで行くと半日はかかると思はれる。參道入口には鳥居が建つており神佛習合の痕が見られる。元々は山嶽信仰があつたのかもしれない。
開山の謂はれは諸說あるやうだが、そのひとつに聖德太子が必勝祈願したお禮に建てたとある。この話は四天王寺と同じものになり、「多聞天=毘沙門天」だからとも言はれてゐるやうだ。
話は變はり、謂はれを失念してしまつたが、虎に所緣があるやうで、參道から本堂を見上げることのできる場所に大きな張り子の虎があつた。睦月には虎祭り?だつたか虎に因んだ催しがあつた。この催しでは各堂宇にスタンプがあり、スタンプラリーをして全部集めると景品が貰へるらしい。僕は午後三時過ぎに行つたので、大きな境內をすべて廻り切れず、スタンプが全部集まらなかつた。
今囘行けなかつた空鉢堂には、戰國時代の梟雄と呼ばれる松永久秀が築いたとされる信貴山城の遺構がある。信貴山城は、近世の城郭に大きな影響を與へたとされる名城。向背定まらない久秀は、最期に男の意地を見せて、名茶釜「古天明平蜘蛛」に爆藥を詰めて爆死し、近世城郭の先驅けとなつた天守とともに泡と消えた。「夏草や兵どもが夢のあと」と言つたところだらうか。

本尊:毘沙門天
御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:有料

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2014-05-01

神峯山寺

大阪平野の北限の地に建ち、北面の守護たる毘沙門天を本尊とする天台宗のお寺。山號は根本山。役小角が葛城の峰から北方の峰の頂きが光つて見えたので、そこに飛來したところ、金毘羅童子が現れ役小角に靈木を渡し、その靈木で毘沙門天を彫り、當地にてお祀りしたと寺の緣起が傳へる。
お寺の御坊樣曰く、現在の本尊はこの緣起が傳へる毘沙門天とは違うさうだ。もしかしたら、天正年間に切支丹として知られる高山友祥(重友とも。右近)に堂宇を燒かれる等の災難にあつてゐるからであらうか。佛像が悠久の時を刻み現在に至るまでその御光を輝かせ續けることは、簡單なことではない。
事前に申し込めば、本堂奧に安置されてゐる重文の阿彌陀如來坐像など祕佛を拜見する事が出來る。神峯山寺では、拜佛と呼んでゐる。拜佛の折にご對應くださつた御坊樣がおつしやつてゐた言葉が、今でも印象に殘つてゐる。「佛像は美術品ではない。人々の祈りを受け止める信仰の對象だ。故に拜まないと魂が拔けてしまふ。」
目から鱗が落ちる思ひがした。それ以降、僕は博物館であろうとも佛像の前で必ず首を垂れ手を合はせるやうにしてゐる。

本尊:毘沙門天、兜跋毘沙門天、双身毘沙門天
御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:あり※細い道を進まねばならずすれ違ひに難儀する

光仁天皇勅願所 毘沙門天の碑
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夏の頃は深緑が眩しい
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秋はもみぢが境内を彩る
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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