2017-12-13

高源寺

梶原景時を始めとする一族郞黨は、現在の梶原山で自害した。自害後、首は探し出されさらし首となつた。さらし首のある所にはいつしか供養塔が建てられたさうで、その供養塔は後に當寺に遷された。
無念の梶原はこの地で何を想つてゐるのだらうか。積年の恨みとして今もなほ恨みを殘してゐるのか、それとも諦念か。後者であつて慾しいな。

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2017-12-11

梶原堂

梶原景時から後の八代目にあたる景慶は、足利高氏の弟にあたる直義の援助を得て、一族が潰えた地にお堂を建てた。このお堂は梶原景時以下の菩提を弔ふために建立され、山號を梶原山、寺號を龍泉寺と稱した。この龍泉寺は明治四年の廢寺となつてしまつたが、近隣の方々により梶原堂として殘ることになつた。

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▼お堂の後に供養塔があります。
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2017-12-09

梶原公園

まだ/\、直虎の旅の寄り道紀行は續きます。
今日から三囘は、突然ですが鐮倉一の郞黨、梶原景時が主人公となります。その前に梶原景時のお浚ひを少々。
梶原景時は、桓武平氏良文流の鐮倉氏庶流で、始めは大庭景親と行動を共にしたが石橋山の戰ひでしとゞの巖に隱れる源賴朝を見逃し、その後に賴朝の元に投降する。投降後はその文才を買はれ、一の郞黨として賴朝の偉業達成に貢獻した。が、その一方で職務熱心が拗れ他人を讒訴する傾向があり到る所で恨みを買ひ、賴朝死後に嵌められ自滅した。
靜岡縣靜岡市葵區長尾の山は梶原山と呼ばれ、その山頂に公園がある。この公園は梶原が自害した地だとされる。梶原は、梶原景時の變で所領のある寒川を追はれ、なぜか京に落ち延びやうとした。なぜ、京なのか今日もよく解つてゐない。梶原を味方に引き入れようとする公家の思惑があつたのだらうか。それはさておき、京へ上る途中、梶原は駿河で追手に追ひつかれてしまふ。追手に出くはした梶原は一族郞黨上げて奮戰するが多勢に無勢、遂に追ひ詰められ、山に登り自害した。

ものゝふの覺悟もかゝる時にこそ 心の知らぬ名のみ惜しけれ

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▼梶原公園のある梶原山はかなり高かつたので、こんなにも見晴らしが良い。
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2017-02-11

梶原淵

先にご紹介した城山砦址から川越城へと向かふルートの中間點邊りで、現在の地名が川越市池邊と言ふ所に小さな沼がある。この沼の邊りにはかつて街道(恐らく鐮倉街道上道の支線)が走つてゐたさうだ。この沼の名は辯天池ださうだが、別名がある。その別名は「梶原淵」。梶原淵の梶原は鐮倉時代のヒールと言へばこの人だと皆が思ふ「梶原景時」から來てゐる。なんでも、梶原がこゝで馬に水を飮ませた、或いは馬を洗つたからださうだ。
梶原が旅行、或いは出兵の路地で馬に水を飮ませたり體を洗つた沼や池はこゝ以外にも澤山あつたと思はれるが、なぜこゝは梶原の名が付き、後世まで殘つたのだらうか。

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2017-02-08

平澤寺

天台宗に屬し、山號を成覺山、寺號を實相院平澤寺と稱す。北武藏では都幾川の慈光寺と雙璧をなすほどの古刹で、吾妻鑑の文治四年七月十三日の條に「武藏國平澤寺の院主職の事、僧永寬に付せられ訖んぬ。」とあり、永寬と言ふ僧が院主に任じられたことが書かれてゐる。
また、當寺に隣接する白山神社の本殿裏に經塚があつたさうで、江戶時代にその中から經筒が發見された。經筒に「平朝臣茲繩」と署名があつたとのこと。年號も「久安四年(一一四八年)」と刻まれてゐた。これは、平重綱、つまり秩父重綱だと推定されてゐる。まあ、畠山氏の居館があつた菅谷館から近いので、畠山重忠の曾祖父の重綱が經塚にお經を納めてもをかしくはないと思ふ。
その後、扇谷、山內の兩上杉氏の爭ひが關東でおこり、その戰火に卷き込まれ多くの堂宇を燒失した。七堂の伽藍と多數の僧坊があつたさうだが、現在は本堂と不動尊を安置するお堂とお墓の脇の階段を登つた先に白山神社が鎭坐してゐるのみである。

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▼本堂
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▼不動尊を安置するお堂は本堂の裏手なので、本堂の脇からも行けるが、寫眞のやうに境外から階段を登つて行くことも出來る。
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▼白山神社も本堂の脇から階段を登れば行けるが平澤寺の入口とは別に參道がある。
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▼この階段の先ではない。まだ/\階段を登らなければならない。
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▼漸く社殿が見えてきた。が、まだ/\階段が續く。
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▼お參りしたのは一月中旬。すでに椿が咲き、そして散つてゐた。今年は暖冬?
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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