2018-06-06

近衛家別邸御花畑屋敷址 ~薩長同盟所縁ノ地~

前囘の東上線ぼやき大會は大變失禮しました。氣を取り直しまして、今囘からは全うな投稿を心掛けます。
さて本日ご紹介の場所は、近衞家の別邸がありました場所です。場所は地下鐵烏丸線の鞍馬口を出てすぐの所。こゝは小松帶刀の寓居地である。
藤氏の氏の長者を務める近衞家は御所の北側とこちらに屋敷があつたさうです。近衞家は薩摩藩と言ふか島津氏とは緣が深かつたやうで、その緣で薩摩藩が京都の藩邸として近衞家からこの場所を借りてゐた。さやうなことなので、この藩邸に島津久光の重臣である小松帶刀が寓居してゐた。小松がこゝにゐたので、坂本龍馬は長州の主要人物をこゝに連れて來て小松や西鄕、大久保と談判させた。さうです、この地が薩長同盟の生まれた地である。

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2018-04-25

曽我祐信宝篋印塔

曾我祐信の寳篋印塔。案內板によると銘を持たないさうなので造塔の意圖や製作年代などは不明。たゞ、古來より近隣の方から曾我祐信のものとして大切に守られて來たさうだ。祐信の親の祐家の頃に曾我にやつて來たと思はれるので、地緣はさほどでもなかつただらう。また、賴朝の御家人ではあるが權勢を誇る程でもなかつた。が、寳篋印塔が作られ近隣の方々から大切にされて來たのは所領で良き政治をおこなつてゐたからではなからうか。

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2018-04-23

大光院

修驗宗に屬してゐるとのことなので京都の聖護院の末寺である。ご本尊は不動明王。この不動明王は曾我祐信の守り本尊だつたとのこと。

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2018-04-21

法輪寺

臨濟宗に屬し山號を盤谷山、寺號を法輪寺と稱す。ご本尊は釋迦如來。末寺に祐信山崇泉寺と言ふ曾我祐信の菩提を弔ふお寺があつたさうだが、そのお寺が燒失した爲にそこに安置されてゐた曾我祐信の位牌を當寺に移したさうだ。
さて、曾我祐信とはどのやうな人物か。蝦夷、入鹿の蘇我氏とは關聯はない長元の亂をおこした平忠常の子の忠將から始まる桓武平氏良文流千葉氏の庶流で武藏七黨のひとつ野與黨に屬するとも言はれてゐる。野與を名乘りだした元宗の子の恆永を祖とし恆永の孫の祐家の頃に曾我を名乘りだす。この頃に相州曾我に所領をもつたのだらう。祐家の子が祐信になる。
石橋山の戰ひの頃は平氏に仕へてゐたやうだが程なくして投降、源賴朝の御家人となつた。弓の腕前はそれなりにあつたやうで時々吾妻鏡に登場する。

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2018-04-19

城前寺

さて本日より數囘は仇討で有名な曾我兄弟の所緣の地を梅を見ながら廻つた時のことを書いてみようと思ふ。その前に曾我兄弟の仇討とは?
色々名前が變るのでなか/\に面倒な話ですが、簡單に言ふと曾我祐成と時致と言ふ兄弟が源賴朝主催の冨士の卷狩りで親の徒である工藤祐經を討つたと言ふことです。難しいのは曾我祐成と時致の親の名は河津祐泰で曾我と言ふ名前ではないことと、富士の卷狩りで工藤祐經を討つた後になぜか弟の時致が賴朝の寢所を襲はうとしたことである。
まづ、曾我祐成・時致の兄弟の親が河津と言う姓であると言ふのは、河津祐泰の妻が再婚したからである。再婚先は曾我祐信。曾我梅林のある小田原の曾我に住んでゐた。で、兄弟は曾我祐信の養子となつたので河津ではなく曾我を名乘つた。かう言ふ次第で曾我兄弟が河津祐泰の仇である工藤祐經を討つたと言ふことになつた。
次に曾我兄弟の弟がなぜ源賴朝の寢所を襲はうとしたのか。こちらは諸說入り亂れ定說はないやうだが、河津祐泰の親である伊東祐親と賴朝は多少なりの因緣があるやうだ。源賴朝は平治の亂で敗れ、捕へられたが池禪尼の執成しで死罪を免れ伊豆に流される。流された伊豆で北條時政の娘(政子)と出逢ひ結婚するのだが、その前に伊東祐親が在京中にその娘と通じたさうで、伊東祐親は平氏への體面を考へて賴朝を殺害しようとしたさうだ。こちらは伊東祐親の次男の伊東祐淸の機轉により賴朝は難を逃れた。後年、伊東祐親は所領爭ひをしてゐた工藤祐經に伊豆の奧野の狩場で矢を射かけられ襲はれる。その時に伊東祐親は難を逃れたが嫡男の河津祐泰は流れ矢に當り絕命した。
これだけでは曾我兄弟の弟が賴朝の寢所を襲ふ理由はないが、一說では賴朝はかねてより前述の件で恨みを持つてをり工藤祐經を焚き付けて伊東祐親を殺さうとしたのではといふ疑惑があるさうだ。で、更に付け加へると曾我兄弟の弟の名は時致(ときまさ)で烏帽子親は北條時政。賴朝の興隆を陰ながら面白くないと考へてゐた北條時政が曾我兄弟を密かに養ひ、工藤祐經を討つ振りをして賴朝を亡き者にしようと企んだと言ふ。眞僞のほどは定かではありませんが、曾我時致が賴朝の寢所を襲ふ理由としては引き込まれるものがある說だ。因みに賴朝の死因は不明。賴朝の事を詳しく語つてゐる吾妻鑑では賴朝の死が拔け落ちて語られてゐない。なにか陰謀があつたのでは勘ぐりたくなる。
と言ふのが曾我兄弟の仇討を略したものですが、今日、ご紹介のお寺は城前寺と稱します。城前と言ふ寺號ですが、お城の大手門付近に建てられたからださうでお城は曾我城(と言つても武家屋敷程度のものであつただらう)、さう曾我祐信の居城があつたさうです。さう言ふ因緣でこちらのお寺は曾我兄弟の菩提寺となつた。

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▼「アンパンマンとばいきんまん」と「トロとクロ」。竝びは、さうね。
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

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