2017-02-11

梶原淵

先にご紹介した城山砦址から川越城へと向かふルートの中間點邊りで、現在の地名が川越市池邊と言ふ所に小さな沼がある。この沼の邊りにはかつて街道(恐らく鐮倉街道上道の支線)が走つてゐたさうだ。この沼の名は辯天池ださうだが、別名がある。その別名は「梶原淵」。梶原淵の梶原は鐮倉時代のヒールと言へばこの人だと皆が思ふ「梶原景時」から來てゐる。なんでも、梶原がこゝで馬に水を飮ませた、或いは馬を洗つたからださうだ。
梶原が旅行、或いは出兵の路地で馬に水を飮ませたり體を洗つた沼や池はこゝ以外にも澤山あつたと思はれるが、なぜこゝは梶原の名が付き、後世まで殘つたのだらうか。

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2017-02-08

平澤寺

天台宗に屬し、山號を成覺山、寺號を實相院平澤寺と稱す。北武藏では都幾川の慈光寺と雙璧をなすほどの古刹で、吾妻鑑の文治四年七月十三日の條に「武藏國平澤寺の院主職の事、僧永寬に付せられ訖んぬ。」とあり、永寬と言ふ僧が院主に任じられたことが書かれてゐる。
また、當寺に隣接する白山神社の本殿裏に經塚があつたさうで、江戶時代にその中から經筒が發見された。經筒に「平朝臣茲繩」と署名があつたとのこと。年號も「久安四年(一一四八年)」と刻まれてゐた。これは、平重綱、つまり秩父重綱だと推定されてゐる。まあ、畠山氏の居館があつた菅谷館から近いので、畠山重忠の曾祖父の重綱が經塚にお經を納めてもをかしくはないと思ふ。
その後、扇谷、山內の兩上杉氏の爭ひが關東でおこり、その戰火に卷き込まれ多くの堂宇を燒失した。七堂の伽藍と多數の僧坊があつたさうだが、現在は本堂と不動尊を安置するお堂とお墓の脇の階段を登つた先に白山神社が鎭坐してゐるのみである。

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▼本堂
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▼不動尊を安置するお堂は本堂の裏手なので、本堂の脇からも行けるが、寫眞のやうに境外から階段を登つて行くことも出來る。
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▼白山神社も本堂の脇から階段を登れば行けるが平澤寺の入口とは別に參道がある。
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▼この階段の先ではない。まだ/\階段を登らなければならない。
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▼漸く社殿が見えてきた。が、まだ/\階段が續く。
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▼お參りしたのは一月中旬。すでに椿が咲き、そして散つてゐた。今年は暖冬?
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2017-02-07

鶯の瀨

畠山重忠公が榛澤六郞成淸の家から歸宅する途中、荒川が增水して渡れなくなつたところ、鶯が鳴いて淺瀨を敎えてくれたので無事渡れるやうになつたとの故事があつた場所。重忠公は歌を詠んでゐる。

時ならぬきしの小笹の鶯は 淺瀨たずねて鳴き渡るらん

この故事があつた場所は井椋神社の裏手だとされてゐる。まあ、重忠公の館の傍だからさうなんだと思ふ。荒川は現在でも川幅が廣く、流れも急であつた。因みに、この話、榛澤成淸ではなく、平忠度を討ち取つた岡部六彌太だつたとも言はれてゐる。岡部忠澄は猪俣黨。忠澄の妻が重忠公の父、重能の娘だから、畠山重忠公と岡部忠澄は義兄弟である。畠山氏は秩父平氏の嫡流として勢力を誇り、丹黨の榛澤氏や猪俣黨の岡部氏などとも交流が深かつたことを表すお話だと思ふ。

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2017-02-06

井椋神社

猿田彥命、健甕槌命、經津主命、天兒屋根命、比賣神をお祀りするお社で、畠山重忠の父、重能が秩父氏の本據に鎭坐する椋神社を屋敷のある當地に勸請したことに始まる。恐らく明治に入つてからだと思ふが周邊のお社を合祀したやうで、境內には白旗神社や蠶影神社などが鎭坐してゐた。

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▼白旗八幡社
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▼蠶影神社
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2017-02-05

滿福寺(重忠公菩提寺)

眞言宗に屬し山號を白田山、寺號を滿福寺と稱す。ご本尊は不動明王。不動明王が安置される本堂の他に、「觀音堂」と呼ばれるお堂がある。このお堂のには重忠公の持佛や位牌が安置されてゐるとのこと。扉が開かれてゐないので、位牌や尊像を拜見することはできなかつた。たぶん、非公開なのだと思ふ。お堂の中だけでなく、裏手には供養塔がたつてゐる。因みに滿福寺は墓所や產湯の井戶がある重忠史蹟公園から步いて數分のところにある。

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▼本堂
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▼觀音堂
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▼重忠廟
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

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