2015-06-18

鳴門の渦潮

潮が渦卷く鳴門海峽。鳴門海峽は海底の起伏が激しいことに加へ瀨戶內海の廻流の速さなどが起因して大きな渦潮を發生させるやうだ。この渦潮を見るには觀光船に乘るといふほかに、大鳴門橋にある「渦の道」から見下ろすと言ふ方法もある。渦の道からでは高さがあるので間近と言ふ譯でないがそれでも迫力があつた。橋から渦潮を見下ろす爲に、所々、床が强化ガラスになつてゐる。高所恐怖症の人には辛い場所だと思ふけど、面白い場所だつた。

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▼JF北灘さかな市にて定食を食す。
JF北灘さかな市は大鳴門橋から少し距離があり、また、料理の單價が多少高いが、百聞は一見にしかず。とにかく旨い!
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2015-06-17

桂浜

月の名所して名高い龍頭岬と龍王岬の間に弓狀に廣がる砂濱。月の名所と言ふよりか坂本龍馬の銅像が建つてゐるはうが有名だつたりして。
はりまや橋周邊からそれなりに距離があり、一度しか行けなかつた。その日は天候が朝からいまいちだつたのですが、my遊バスで桂濱についた途端、雨が降り出し、あつといふまに大雨に・・・。水族館の龜さんは氣持ちよささうだつたが、橘右の心はオーシャンブルーでした。

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▼折角だつたのに、生憎の雨模様
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▼竜王岬にある海津見神社
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▼雨が降つて来たみャ
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2015-06-13

王墓山古墳

香川縣善通寺市にある六世紀頃の古墳。この邊りのかなり大きな部族の墳丘墓であると推測されてゐる。この王墓山古墳の他、大小四百基ほどの古墳があつたさうで、これらは有岡古墳群と言はれてゐる。こゝからは、金銅製冠帽や、土器類、裝飾品、武具・馬具類などの豐富な副葬品が出土した。善通寺は空海の誕生地との傳承があるお寺だ。もしかしたら、佐伯氏と關係のある古墳なのかもしれない。
善通寺の郊外にあり、周圍にはあまり高い建物がないので、目立つ古墳である。比較的形は良好に殘つてゐると思ふ。方墳の部分が多少削られてゐるのかな。墳頂付近には橫穴が開いてをり、そこに石棺があつたと思はれる。現在は入り口に栅がしてあり、照明もないので、內部は見えない。
こゝは、偶々車で通りかゝつたときに目に留まつたので寄り道したことから、現地では事前情報がなかつた。こゝが古墳群だつたら、もつと事前に調査すればよかつたと思つた苦い思ひ出のある古墳である。

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2015-06-12

山内神社

山內土佐藩の歷代藩主をお祀りしてゐる社。始めは高知城內に藩主とその妻の見性院をお祀りする藤竝神社の御旅所であつたが、その後、藤竝神社が大東亞戰爭の戰禍にあひ燒失したことから、當地で合祀したとのこと。境內には、山內家の財寳を集めて展示してゐる博物館がある。
神社のすぐそばに三翠園と言ふホテルがある。このホテルは最後の藩主、容堂の下屋敷があつたところに立地してゐるさうで、三翠園にて展示保存されてゐる。この下屋敷は、容堂と西鄕隆盛が會談を行つた場所としても有名なところ。
容堂の坐像が境內にあつた。容堂は相當な酒好きで、自らを「鯨海醉侯」と呼んだと言はれてゐる。この「鯨海醉侯」の二文字を取つた高知の酒が、「醉鯨」である。鯨も容堂も旨いと唸り醉ふ程吞んでしまふ酒だ。橘右もこの酒に弱い。なんだか醉鯨が吞みたくなつてきたので、本日はこの邊で失禮します。醉鯨は割合、手に入り易いのでありがたい。

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▼三翠園の玄関口
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▼社殿の寫眞がどこかに・・・。撮つた記憶はあるのだが。
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2015-06-11

高知城

現存天守閣を有する土佐藩の政廳であつた城。天守だけでなく隣接する御殿も現存してゐるのは珍しいと思ふ。追手門を始め多數の遺構が殘る大變興味深いお城で、國寳に指定されてもゐる。
元々は、大高坂山城と言ふ城があつたやうだ。南朝方の大高坂松王丸が坐城してをり、北朝方の細川氏と爭い敗れ落城したらしい。現高知市役所前に大高坂城と松王丸がなんとかと書いてある碑があつたやうに、僅かながら記憶がある。結構、高知は行つたのだが、さて/\記憶力が無くて恥じ入る次第でございます。
落城後の文獻が缺落してゐることから、その後はしばらく廢城となつてゐたのだらう、次に登場するのは長宗我部氏が土佐に登場する頃まで待たなくてはならない。土佐を手中にした元親が、この大高坂山に城を築いたが、どうやら水害甚だしく手を燒いて浦戶城に移つたやうだ。その水害甚だしい大高坂山に城を築いたのは、山內一豐である。馬の目利きだけでなく築城にも才があつたやうである。築城後に名を高智城と改めた。明治維新後は、廢城令に伴ひ廢城となり、天守閣や御殿、追手門など現存する建物以外が破却された。
黑を基調とした威風堂々した佇まいを見せる城廓は、我が國の城廓建築の質實剛健にして破風などの裝飾で優美でもある世界屈指の建築技術だと思ふ。こゝは、現存天守なので、このまゝ未來の我が國民に傳へ殘したいお城である。

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▼随分と古い話になつてしまつた。錦戸と堀北真希が出演した映畫「県庁おもてなし課」で實際に使はれたセットが、高知縣廰内に保存展示されてゐた。今でもあるのだらうか。
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▼近年、個人情報保護や情報セキュリティ認證などにより、民間企業でこのやうに書類などを亂雜にしてゐるところはあまり見かけない。こんなの見たら認證機關の人が火を噴いて倒れるだらう。
なほ、これはセットですから、實際の高知縣廰がすべてかやうな狀態になつてゐる譯ではない。
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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