2015-07-12

常寧殿(五節所)址

平安御所の後宮の七殿五舍のうちの一つで、皇后御所として建てられた。始めは後宮の中心的殿舍とされたが、后妃の曹司としての役割は次第に弘徽殿や飛香舍など淸涼殿に近い殿舍に移行し、その後は儀式的役割を擔ふやうになつた。五節舞姬の帳臺試が行はれ、五節殿とも呼ばれた。五節所に纏はる面白い話がある。

天つ風雲のかよひぢ吹きとぢよ 乙女の姿しばしとゞめむ

この歌は、小倉百人一首の歌番十二に入つてゐる僧正遍昭の歌である。僧正だからお坊さんだ。そのお坊さんが乙女の姿に氣をとられてゐるので、昔より「お坊さんが何で乙女にご執心なの」と言はれてゐたさうだ。なぜ、遍昭僧正は乙女にご執心だつたのか?それには理由があります。
この歌は、古今和歌集の雜歌上(872番)に載つてゐる歌で、詞書は「五節の舞姬を見てよめる」で、作者は「良岑宗貞」とされてゐます。さうです、この歌は遍昭がまだ出家する前で「良岑宗貞」と名乘つてゐたころの話と言ふ譯でした。従つて、厳密に言ふとお坊さんが詠んだ歌ではない。
因みに、こゝも京都市埋藏文化財硏究所の案内表示はありません。こゝをエントリしたのはやはり「和歌が詠まれた地」だからです。

▼この邊りかなと思ふ。
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2015-07-11

襲芳舎(雷鳴壺)址

平安御所の後宮の七殿五舍のうちの一つ。 庭に落雷を受けた木をそのまま放置してあつたから雷鳴壺とも稱する。內裏の北西に位置し、凝花舍の北にあつた。本來後宮の一部だが、東宮御所として使われたり、隣の凝花舍の后妃に仕える女房の曹司となつたりした。こゝは京都市埋藏文化財硏究所の案內表示がない。梅壺・藤壺の案內のある道を北に進んですぐの交叉點の左側が雷鳴壺のあつたとされる場所。この交叉點を左ではなくさらに北に進むと傳豐臣秀勝聚樂邸址と蘭林坊址を示す碑が建つてゐる。そこまで進むと內裏の外へ出てゐることになる。
今囘、案內板がなくてもエントリしたのは、こゝは「和歌が詠まれた地」だからである。古今集には雷鳴壺で詠んだとされる歌が二首載つてゐる。

かくばかり惜しと思ふ夜をいたづらに 寢て明かすらむ人さへぞうき(凡河內躬恆:古今190秋哥上)
秋萩の花をば雨に濡らせども 君をばまして惜しとこそ思へ(紀貫之:古今397離別哥)

この歌の作者は、躬恆に貫之と平安初期の歌人であり、六歌仙に撰ばれる人である。

▼雷鳴壺は目印となる案内板がなかつたので、迷つてしまつた。この場所は、後で調べたら関聯の無い場所であつた・・・。
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▼内裏の外にある蘭林坊の址。彷徨つてゐる時に通りかゝつた。
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▼こちらは傳豐臣秀勝邸宅址。蘭林坊と同じ場所にある。
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▼雷鳴壺はこの邊りにあつたと思はれる。

2015-07-10

淑景舍(桐壺)址

平安御所の後宮の七殿五舍のうちの一つで、攝政の直廬などに利用されてゐたと思はれる。淑景舍を與へられた女御は、枕草子などから藤原道隆の次女で三條天皇の東宮時代の妃である原子の名がみえる。淸涼殿からこゝへ通ふには、ほかの殿舍の渡り廊下を通らなければならい構造になつてゐたさうで、こゝを與へられた女御はあまりゐないらしい。
こゝには桐が植ゑられてゐたので「桐壺」である。「桐壺」と言へば、さう「源氏物語」である。光源氏の母である桐壺更衣の局があつた源氏物語の舞臺だ。桐壺更衣は身分がさほど高くなかつたやうで、淸涼殿から遠いこゝを與へられたと源氏物語に書かれてゐる。虐められた桐壺更衣らしい設定である。桐壺更衣は薄倖の女性であるが、源氏物語全體に大きな影を落とす影響力のある女性である。こゝは源氏物語の聖地である。

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▼正面向いてゐないので、行き過ぎてしまつた。
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2015-07-09

凝華舍(梅壺)・飛香舍(藤壺)址

平安御所の後宮の七殿五舍で、凝華舍は女御などが居住した場所。淸涼殿に近いことから、東宮御所や攝政・關白の詰所にも使はれた。梅が植ゑてあつたので、「梅壺」とも呼ばれた。
飛香舍のはうは、中宮や有力な女御の局になつた場所。現在の京都御所にも飛香舍はある。庭に藤が植ゑらえてゐたので「藤壺」である。因みに、藤壺は源氏物語の登場人物でもある。光源氏の初戀の女性と言ふ重要な登場人物だ。こゝは、源氏物語愛好家も多く訪れるのかもしれない。
建物の道路に面した場所に、梅壺・藤壺があつたと傳へる說明版がある。その說明版の前に白と赤の二色の梅の鉢植ゑが置いてあつた。今も昔も京の方々は雅であると思ふ。

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+

2015-07-08

淸涼殿址

天皇陛下が日常をお過ごしになられる內裏の殿舍があつた場所。淸涼殿は現在の京都御所にもある。平安の初めの頃は、仁壽殿や常寧殿が使用されてゐたやうだが、中期にはこの淸涼殿が專ら天皇の御殿とされたやうで、日常の政務の他四方拜・敍位・除目などの行事も行はれてゐた。日常の御殿であることから、こゝ淸涼殿でも御歌をお詠みになられた。

うつろふは心のほかの秋なれど 今はよそにぞ菊の上の露(冷泉院御歌:新古今1575雜哥上)

こちらの御歌は冷泉天皇の御製。讓位なされて後に淸涼殿に咲いてゐた菊の花をご覽になれてお詠みになられたことが詞書に書かれてゐる。讓位された後であるやうで、少し寂しげな雰圍氣がある歌だと思ふ。

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▼こちらは現在の淸涼殿
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

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