2017-05-25

お茶々が井

一昨日、昨日と鐮倉街道上つ道の沿道に鎭坐してゐるお社を二つ程お參りしてまゐりましたが、本日も鐮倉街道上つ道のお話です。
兒玉から猪俣を拔けて荒川に到達した鐮倉街道は荒川沿ひをすこし東に進み渡河してから、以前にご紹介した三嶋神社などを通り畠山重忠の住む菅谷などへ出ます。今日、ご紹介の場所は、荒川に到達した地點に茶屋があつたさうです。この茶屋で働く看板娘が大層評判がよかつたさうで、茶屋が所有したのか、茶屋の傍にあつたのか詳しくは解らないが井戶があり、これをお茶々が井戶と呼ばれたと記錄は記す。この井戶は涸れない井戶として有名であつたさうだ。

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2017-05-15

青梅鉄道公園

鐵道開業九十周年記念事業として昭和三七年に開園した鐵道公園で園內にSLが多數靜態展示されてゐる。

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▼D51形蒸氣機關車(昭和)
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▼クモハ40形電車
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▼C11形蒸氣機關車(昭和)
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▼ED16形電氣気機關車
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▼5500形蒸氣機關車(明治)
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▼8620形蒸氣機關車(大正)
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▼9600形蒸氣機關車(大正)
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▼2120形蒸氣機關車(明治)
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▼E10形蒸氣機關車(昭和)
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▼110形蒸氣機關車
明治5年の日本初の鉄道開業に際して、イギリスから輸入された蒸氣機關車
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▼0系新幹線。新幹線の初代。
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▼青梅驛附近に赤塚不二夫の記念館があつた。
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2017-05-12

五大尊の躑躅

埼玉縣の越生町黑岩にはかつて長德寺と言ふお寺があつたさうだ。このお寺は明治初期に廢寺になつたさうだ。たぶん廢佛毀釋の影響なんだと思ふ。廢寺になつてしまつたが、近隣の方々がお堂を一つ大切にお守りして來た。このお堂には五大明王がお祀りされてをり、越生黑岩の五大尊と呼ばれてゐる。この五大尊は平安時代末期頃の作ださうだ。世の中には不屆き者がゐるもので(彼の國の者か?)人々が大切にお祀りして來た五大明王のうち、降三世明王像が盜難にあつてしまつた。が、この降三世明王は古物商に賣りに出されてゐたさうで、それを發見し取戾した。盜まれた平成十年から十九年だつた今年の五月三日に五大尊のうちの不動明王像が公開された。
殘念なことに五月三日にはお參りすることができなかつたので、その前に躑躅を見に行くことにした。お堂の立つ山の斜面いつぱいに咲く躑躅が華やかでとても綺麗だつた。越生は、躑躅以外にも梅、山吹と春にはると花が美しく咲く橘右のお氣に入りの場所である。越生。もつと評價されてしかるべき場所だと思ふ。

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▼藤が綺麗に咲いてゐた。
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▼この邊りに黒岩氏の舘があつたさうだ。
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▼オレっち、橘右とは違ひ步るくのは嫌いみャ。
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2017-04-25

古河公方館跡

以前に桃の花の名所としてご紹介しました古河綜合公園內にある古河公方の館跡。在ると言つても標柱のみで遺構などは見られなかつた。古河公方とは享德の亂で鐮倉より足利成氏が古河に移つたからかう呼ばれたが鐮倉府の長官のことである。鐮倉府は、鐮倉府と室町將軍が同族で鐮倉府が關東に大きな力を持ちすぎてゐたことから、度々不穩な情勢になることがあつた。初めは室町との對峙であつたが、やがて關東管領とも關係が惡化し、古河公方の頃は關東管領と爭ひやがて潰へて行つた。
應仁の亂以降の混亂のなか古河公方は力と影響力を失ひ、後北條氏が關東で擡頭するに隨ひ、歷史の表舞臺から遠ざかつた。最期の義氏までこの地に住んでゐたやうだが、江戶期になると古河藩が渡良瀨川近くに建てた古河城を藩廳としてゐたので廢れ地に埋もれることとなつた。

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▼ち、違ふんです。奥の建物は江戸時代の近隣の農家の建物で、公方館ではありません。
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▼この邊りに館があつたのだらうかな。
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▼土壘とかの址?たゞの造園?
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▼墓所もありました。
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本日の月齢:28.0 舊歷:三月二九日

2017-04-16

都幾川櫻堤

畠山重忠公の舘があつた菅谷館の裏手に流れる都幾川の土手沿ひに櫻の木が多數植ゑられてゐる。ちやうと都幾川が彎曲しながら流れてゐるところなので、櫻竝木が彎曲してをりとてもきれい。
こちらは、第四囘ちょこたび埼玉酒藏めぐりin小川町」の歸りに立ち寄りました。この櫻堤は東武東上線の武藏嵐山驛からバスで行けます。武藏嵐山は小川町の隣の驛。
天氣が惡くて、綺麗に櫻が咲いてゐたのですがなんか殘念な感じに感じられてしまつた。本數も多く、密集度もあり彎曲した竝木なので櫻の名所と言へる風光明媚な景色だつたのにな。
たゞ、こちらは電車と步いて行くには不便。バスの本數があまりにも少ない。今囘は、こゝの前に大量の日本酒を吞んでゐたから車はご法度ですが、次は車で來たいな。

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▼都幾川櫻堤から武藏嵐山驛まで步いて歸る途中にあつた櫻の木。畠山重忠公の供養をしてゐるのだらうか。
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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