2014-11-18

日御碕神社

稻佐の濱を車で北上すること小一時間程度の岬に鎭坐する社。
社殿は二つあり、平地にある下の本社はうは日沉の宮と呼ばれ天照大御神をお祀りし、高臺にある上の本社のはうは神の宮と呼ばれ須佐之男命をお祀りしてゐる。こゝでも下が天照大御神で上が須佐之男命である。
當社は、伊勢神宮が「日本の晝を護る」ことに對して「日本の夜を護る」ことから日沉の宮とされてゐるさうだ。夜を護るなら月讀命ぢやないのかなと少々疑問がなくはないが、まあ、ほんたうに海岸に沈む夕日が綺麗だつた。經島付近を遊ぶ海猫の鳴き聲も夕日に彩りを添へて、視覺的にも聽覺的にも綺麗な景色であつた。
當社から海岸沿いを少々あるくと日御碕燈臺がある海岸に出る。こゝは當社付近のよりもさらに夕日が綺麗であつたが、少し怖い氣もした。と言ふのは、この海の對岸は朝鮮半島である。人氣のない夕暮れ時の海から不審船が突然現れて拉致されるかもと言ふ光景が目に浮かんできたからである。
いやはや、その光景が目に浮かんだ瞬間からほんたうに怖くなり、すぐ、この場を後にした。とは言へ、こゝから出雲市內まではかなり距離がある。宿についたらそれなりの時間になるので、ちやうど潮時である。かくして出雲紀行の一日目の出雲大社付近觀光は終はりを迎へた。
宿の近くで飮んだ日本酒、銘柄は忘れたけど旨かつたな。のどぐろの煮付も旨かつた。

▼丹の色も鮮やかな楼門
hinomisaki01.jpg

▼下の宮
hinomisaki02.jpg

▼神の宮
hinomisaki03.jpg

▼經島
hinomisaki04.jpg

▼日御碕灯台
hinomisaki05.jpg

▼夕日がほんたうに綺麗だ
hinomisaki06.jpg

(陰曆)閏長月貮拾陸日 橘右

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

2014-11-17

因佐神社

出雲大社の西側に位置する稻佐の濱の北に鎭坐する社で建御雷神をお祀りする。
建御雷神とは、思金神の意を受けて大國主命と國讓りの協議を行い見事に纏め上げた神である。當社の南には大國主命と建御雷神が協議した場所にあつた屛風のやうな磐が今も殘されてゐる。建御雷神は、神生みの際に伊邪那岐命が火之夜藝速男神を切り倒した時に出た火之夜藝速男神の血から生まれた神であり、國讓りに難色を示す大國主命の子神である建御名方神を投げ飛ばしたりする武斷派の神。また、鹿島神宮の主祭神も建御雷神である。そんなことから當社は勝負事にご利益があるさうだ。
餘談ですが、夕暮れ時の稻佐の濱は絕景です。

▼稻佐の濱に繰り返し打ち寄せる波。時のやうに途絶えることなく浪は打ち寄せる
hama01.jpg

▼弁天島
hama02.jpg

▼因佐神社の鳥居
inasa01.jpg

▼本殿遠景
inasa02.jpg

▼本殿近景
inasa03.jpg

▼屛風岩の目印
hama03.jpg

▼案内表示と屛風岩
hama4.jpg

▼近年風化が激しいさうで、立ち入りは禁止とのこと
hama05.jpg

(陰曆)閏長月貮拾伍日 橘右

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

2014-11-16

出雲大社

大國主命をお祀りする社。古くは杵築大社(きづきのおほやしろ)と呼ばれてゐた。餘談だが、出雲大社と言ふと昔の人は丹波にある出雲大神宮の方と思ふやうだ。
杵築大社は、日本書紀に齊明天皇伍年に出雲國造に修理を命じてゐる記述があるなど、創建は相當古い。社の緣起は、大國主命が建御雷神との協議で國讓りを決意した時に、天まで高く聳える神殿の建設を望んだことに由來するとある。

以下、古事記(角川ソフィア文庫:中村啓信訳註)の訓読文から引用
「尓(しか)して答へ白さく、「僕(やつがれ)が子等(こら)二(ふたはしら)の柱の神の白せまるまにまに、僕違(たが)はじ。此の葦原中国(あしはらのなかつくに)は、命(みこと)のまにまに既(すで)に献らむ。ただ僕が住所(すみか)は、天つ神の御子の天津日継(あまつひつぎ)知らしめす、とだる天(あめ)の御巣(みす)の如くして、底(そこ)つ石根(いはね)に宮柱(みやばしら)ふとしり、高天原(たかあまのはら)に氷木(ひぎ)たかしりて治(をさ)め賜(たま)はば、僕は百足(ももた)らず八十垧手(やそくまで)に隠(かく)りて侍(はべ)らむ。また僕が子等(ら)百八十神(ももやそがみ)は、八重事代主神、神の御尾前(みをさき)と為(し)て仕(つか)へ奉(まつ)らば、違(たが)ふ神は非(あら)じ」と、かく白して出雲国の多芸志小濱(たぎしのをはま)に、天(あめ)の御舎(みあらか)を造(つく)りて、」

幾度か倒潰したりして修理を行つてをり、創建當初の社殿と現在の社殿は姿形が違ふやうだ。隣接する島根縣立古代出雲歷史博物館に復元推定模型がありますので、この投稿では社殿の姿形については割愛する。
拜殿南側にとても大きな日章旗が揭揚されてゐる。神社ではおなじみの日章旗揭揚であるが、こゝの日章旗はこれまで見たなかでとびぬけて大きかつた。國內最大なのかな。
當社をお參りし、隣の博物館で悠久の時を超える旅をしたのちに、周邊の攝社をお參りする。そのあとは、出雲蕎麥に舌鼓をうちつゝご緣橫丁をぶら/\步き門前町の雰圍氣に觸れる。これ出雲觀光の王道だな。

taisya01.jpg

taisya02.jpg

▼記憶が薄れてゐて、はて、これはなぜ柵がしてあつたのだつたかな?
taisya03.jpg

▼拜殿。ちやうど遷宮の年だから平日でも人が大勢ゐた。
taisya04.jpg

▼本殿
taisya05.jpg

▼博物館に展示されてゐる推定復元模型。古事記の記述を彷彿とさせる。
taisya06.jpg

▼神樂殿。注連繩がすごい
taisya07.jpg

▼靑空に日章旗は良く映える
taisya08.jpg

▼食べ歩きもよし。
taisya09.jpg


(陰曆)閏長月貮拾肆日 橘右

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

2014-11-15

上の宮/下の宮

出雲大社から西に稻佐の濱へ向かふ道すがらに鎭坐する境外攝社。上の宮と下の宮があり、上の宮では須佐之男命と八百萬神をお祀りし、下の宮では天照大御神をお祀りしてゐる。神無月(出雲では神在月)になると出雲國に八百萬柱の神々が集まり、上の宮で協議を行ふとのこと。そのため、上の宮は立派な社殿を持つ一方で下の宮は小さな祠程度の社殿である。

▼上の宮。神在月に八百萬の神々が參集するに相應しい建物だ
kaminomiya.jpg

kuro_20141101181208550.jpg

▼下の宮。
shimonomiya.jpg

(陰曆)閏長月貮拾參日 下弦  橘右

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

2014-11-14

神魂伊能知奴志神社

出雲大社の境外攝社。命主社とも呼ばれる。
博物館のちやうど裏手に鎭坐。神皇產靈神をお祀りする。神皇產靈神とは、天御中主神・高皇產靈神とともに造化三神と言はれる獨神。天地開闢後に、天御中主神が現れ次に高皇產靈神が現れ、その次に現れる。出雲大社の祭神である大國主神が須八十神の迫害の最中に數々の手助けをした神としても記紀に描かれてゐる。ほんの小さい境內に樹齡はどのくらゐだらうかたぶん千年以上は過ぎてゐるやうな椋の巨木が植ゑられてゐる。この椋の樹を見てゐるとご祭神の御魂が宿つてゐるやうに感じられなくもない。

▼社殿は大きくない
inochi01.jpg

▼大きすぎて寫眞に收まらない・・・。
inochi02.jpg

▼毎度のことながら、寫眞のセンスがないな・・・。
inochi03.jpg

(陰曆)閏長月貮拾貮日 橘右

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
淡々と百人一首
    フリーエリア
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR
    御訪問ありがたうございます