2017-04-17

菅谷神社

大山咋命、保食命、菅原道眞命、須佐之男命、畠山重忠命をお祀りするお社。畠山重忠の舘である菅谷館の近くに鎭坐してゐる。當社は、畠山重忠が源賴朝より菅谷の地を拜領して(橘右:菅谷は重忠の父の頃より住んでゐた筈なので所領安堵と言ふことか)近江の日吉大社を勸請したとのこと。その當時の社名は「日吉山王大權現」と稱してゐたが、明治になり「日枝神社」と改稱した。その後、境內の案內板を讀む限りでは不詳であるが近隣のお社を合祀したのだらうか、須佐之男命や天神さん、畠山重忠公がお祀りされるやうになつた。

本日の月齢:20.0 舊歷三月二一日

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▼境内の前にあつた公園。櫻が綺麗。
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2017-01-21

鴻神社

昔、この邊りには「樹の神」と言ふ大樹があり、お供へ物をして祀つてゐた。お供へを怠ると必ず祟りが起こるらしく近隣の方々お供へを怠らないよう畏れててゐた。ある時、一羽の鸛が飛來し、この木の枝に巢を作り卵を產み育て始めた。すると大蛇が現れて卵を飮み込まうとしたので、鸛は卵を飮みこまんとする蛇を擊退した。 鸛が蛇を擊退したからは「樹の神」が祟りを起すことがなくなつたので、人々は木の傍に社を建て「鴻巢明神」と呼ぶやうになりつた。僕は、鴻神社の由緖をかう聞いた聞いた記憶がある。が、お參りした時、境內に揭げられてゐる由緖を見ると多少違ふやうだ。鴻巢と言ふ地名は、かつて武藏國國造だつた笠原直使主がこの邊りに住んでをり、一時、國府が置かれたこともあつたから「國府の洲(こくふのす)」が鴻巢に轉化したことに據るとのこと。
當社は、氷川社、熊野社、竹ノ森雷電社の三社を合祀したお社で、現在の鎭坐地は雷電社が鎭坐してゐた場所とのこと。氷川社、熊野社、雷電社共に鴻巢宿に古くから鎭坐する古社で、このうち氷川社が前述の樹の神と鸛の傳承を持つてゐたやうである。

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▼舊鴻の宮
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2016-10-05

三峯神社

本日から數日間は關東の寺社をお參りしてまゐります。
伊弉諾尊、伊弉册尊をお祀りするお社。ご由緖によると景行天皇の御世に日本武尊が東征中に當地を訪れた時に國を偲び伊弉諾尊、伊弉册尊をお祀りした事に始まる。
當社の特徵は、奧秩父に立派な社殿があることだけでなく、山犬(所謂、日本狼)を眷屬とし、境內に三輪鳥居がある。大神神社の拜殿の裏にあるのと同じ樣式である。當社の傳へる處によると、日本武尊が東夷征伐で當地を訪れ、當地に當社を創建した時にこの邊りの道案內をしたのが山犬とのこと。山犬を眷屬としてゐることから、境內の狛犬はすべて山犬である。また、境內の奧には山犬をお祀りするお假屋といふお社がある。境內には、狼の狛犬が到る所にあり、可愛らしかつたり勇ましかつたり狛犬好きな方にはたまらないお社だと思つた。
平安後期にはこの邊りを秩父平氏が治めてをり、畠山庄司重忠が篤く崇敬し、拜殿前の大杉を奉納したとされる。この大杉は樹齡が八百年くらゐだそうで、逆算すると畠山重忠の存命の頃と一致する。重忠奉納だけに、空に向かひ太く一直線に伸びる幹が印象的であつた。
境內には宿泊施設があり、この施設の中に溫泉があるやうだ。一度、こゝに宿泊して見たいと思つた。

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▼これは手水舎です。それにしても彫刻が凝つてゐる。
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▼國常立神社。國常立大神をお祀りしてゐる。
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▼日本武神社。日本武尊をお祀りしてゐる。
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▼畠山重忠奉納の大杉。
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▼さて大口真神をお祀りしてゐる御假屋をお參りしませう。
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2016-08-11

古尾谷八幡神社

品陀和氣命、息長帶姬命、比賣神をお祀りしてゐるお社。貞觀四年(八六三年)に圓仁(延曆寺第三代目坐主)が創建し、源賴朝が奧州征夷に際に當社で祈願したとのこと。德川家康も當社に參拜してゐるさうだ。
本殿は縣の指定文化財である。こちらは北條氏政の命を受けた古屋城主中筑後守資信が社殿を造營したさうで、本殿はその頃のもの。
本殿の裏手に遊步道があつた。なんだらうかと思ひ步いてみると、紫陽花が植ゑられてゐた。紫陽花を植ゑて名所にする豫定なのかな。都會の喧騷から離れた場所に立派な社殿と瑞々しい紫陽花を見る事ができる隱れた名所だと言へるお社であつた。

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▼堀の址だらうか。とは言ふもののこちらが館の址だつたとは聞かれないので、多分違ふだらう。
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▼護國神社
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2016-08-10

笹久保八幡神社

八幡社なので應神天皇、比賣神、神功皇后がお祀りされてゐると思はれる。當社は「笹久保八幡社古式子供土俵入」と言ふ祭事に特徵があるお社である。祭事の由來は、八幡太郞が奧州征夷の途中で當社に立ち寄り軍配を鎭めて武運長久を祈願した。その靈驗に感謝した附近の住民が子供土俵入りを奉納したことに始まるさうだ。と言ふことなので、こちらのお社も源義家が立ち寄つたとされる。義家の存命中には當社が當地に鎭坐してゐたと言ふことで、平安の頃には當社が創建されてゐたと言ふことである。
關東には義家が立ち寄つたとされる八幡社が多く存在するので、これらを線で結んで義家の足取りを追ふと言ふのも旅のし甲斐があるな、いつかやつてみたいと思ふ。
境內には勿論、土俵がある。祭事を行ふ譯だからあたりまへですが・・・。櫻の木が多く植ゑられてゐた。櫻の頃は綺麗だらうな。

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▼こちらがその土俵かな
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
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