2017-02-15

牛久大仏

折角大洗まで來たのだから、橘右が發出走した記念すべき大會であるかすみがうらマラソンのコースを見たいと思ひ霞ヶ浦へと足を延ばしてみた。が、驛前以外コースを覺えてゐなく、どの邊りだつたか解らなかつたので、遠くに見える大佛を見て歸路につかうと思ひ、牛久大佛の足元まで車を走らせた。それにしてもでかい。奈良や鐮倉の大佛や敎王護國寺(東寺)のご本尊の藥師如來もでかいが、牛久大佛は更にでかい。
少し遲い時間だつたのと冷凍ぢやない明太子があることから中には入らなかつたので、詳しいことが解らないが、まあでかい。寫眞を少々撮つてから近く(車で五分とかゝらない)にある阿見アウトレッドに寄つてから家に歸つた。
今度は、偕樂園など水戶周邊を散策したいな。梅の頃か櫻か。梅の頃の偕樂園は相當混んでさうだな。

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2016-04-29

成田山新勝寺

眞言宗智山派に屬し、山號を成田山、寺號を金剛王院 神護新勝寺と稱す。ご本尊は不動明王。開基は寬朝僧正。寬朝は、宇多天皇の皇子敦實親王の子で祖父宇多天皇の下で出家、廣澤池の地畔にある遍照寺の住持となつた。
寬朝は、坂東で平將門が亂をおこせし時、朱雀天皇の密敕により下總國へ下り、公津ヶ原で不動護摩の儀式を行つた。この時、寬朝は弘法大師空海自らが敬刻開眼した不動明王を捧持してゐたと傳はる。この不動明王が當寺のご本尊である。
康平六年(一〇六三年)には、源賴義が本堂を再建してゐる。康平五年に前九年の役が終結してゐるので、京へ戾る途中で當寺に立ち寄つたのだらう。
治承四年(一一八〇年)に、源賴朝が當寺に平家追討を祈願し、八年後の文治四年に千葉常胤が本堂を再建してゐる。また、當寺は歌舞伎の市川團十郞の信仰が篤く、七代目は額堂を寄進したさうだ。この額堂は現在耐震工事中であり、公開されてをらず殘念であつた。

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▼仁王門裏の狛犬。
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▼「こわれ不動堂」。修復してもすぐ壊れるさうだ。
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▼本堂。平將門を調伏したとされることから、將門を祀る神田明神や築土神社を信仰するものが當寺を参詣しようとすると道中で災ひがおこると言はれてゐる。
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▼三重塔。江戸中期の作。
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▼太子堂
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▼釋迦堂
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▼鬱金の櫻
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▼開山堂
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▼額堂は修理中で覆屋に覆はれ見る事ができない。
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▼淸瀧權現と地主妙見を合祀した淸瀧權現堂・妙見宮
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▼光明殿。愛染明王をお祀りしてゐる。
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▼光明殿の後に奥之宮がある。
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▼公園が併設されてゐる。
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▼藤はもう少しと言つたところだ。
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▼明治天皇陛下が行幸された。
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2015-09-15

圓福寺

眞言宗に屬し山號を御室山、寺號を金剛院圓福寺と稱す。新田氏四代目の政義が御室仁和寺の阿闍梨靜毫を招いて建立したさうで、その緣からか境內には新田氏累代の墓がある。累代の墓は大凡二十基程あり、義貞の祖父の名もその中に見えるさうだ。
こちらのお寺も太田市の新田莊遺跡群に指定されてゐる。

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▼オレっちは野良だけど、關係ないみャ。
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▼餌は要らん。酒みゃ、酒!
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▼本堂
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▼この中に新田氏累代の墓があります。お墓なので、中の寫眞は自粛しました。
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▼観音堂。こゝは古墳のやうだ。
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2015-01-10

竹林寺(高知)

眞言宗智山派に屬するお寺で山號を五臺山、院號は金色院と稱す。本尊は文殊菩薩。高知市內の五臺山と言ふ觀光名所の山中に位置する。
境內は、靑い楓に覆はれ淸淨な雰圍氣に包まれてゐた。恐らく晚秋は高知屈指のもみぢの名所となつてゐるのだらう。美しい形をした五重塔があつた。見た感じやゝ新しい時代に造られたのかな、丹が美しく映えてゐた。
庭園もなか/\だつた。「まあ、土佐だから豪快なお庭なんだらうな」なんて思つてゐたのだが、京都の名刹に引けを取らないくらゐのお庭だ。說明を見ると夢窻國師の作とあつた。なるほど、さう言ふことか、綺麗な筈だ。
庭園のあるお堂の前に寳物館があり、その中に入つたとき、電擊が走つた。木像の大威德明王が放つオーラは半端ない。說明を見ると鐮倉期の作とのこと。なるほど、鐮倉期の國寶、重文クラスの佛像は躍動感が溢れてゐる。僕はこの期に造られた佛像が好きだ。
忙しない高知觀光であつたが、寳物館に入つたときに幸せな氣分になつたお寺であつた。

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▼蓮の花が美しく咲いてゐた
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▼はりまや橋
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▼こゝが日本三大がつかりポイントのはりまや橋です。
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2014-11-08

浮見堂

浮見堂とは正式名稱は滿月寺浮見堂と言ひ琵琶湖に突き出たお堂が特徵的なお寺。臨濟宗大德寺派に屬し、山號を海門山と稱す。本尊は、觀音菩薩。社傳によると惠心僧都が叡山から琵琶湖を眺むると光を放つところがあり、それを調べると阿彌陀如來像が出て來たのでお堂を建てたさうだ。
夏の頃の夕暮れ時に浮見堂に立ち、琵琶湖を眺めてゐるときに爽やかな風が頰をなで、とても氣持ち良かつた。もつもと夏の氣溫が三十五度を超えるやうな近年の話ではなく、十數年前の話です。湖西の海水浴場(海水?淡水?)で遊んだ歸りに澁滯してゐたこともあり、運轉に疲れたので夕暮れ時に當寺に立ち寄つたときの話ですが、夕暮れ時の浮見堂に立つとそれまでの夏の太陽に照らされたほてりがさつと引いて爽快な氣分になつたことを今でも鮮やかに覺えてゐる。橘右的名勝百選の中の上位十箇所には入選するほどです。
寫眞は、冬の浮見堂。夏の爽やかさも良いが冬の白けさもなか/\良いと思ふ。湖面から冷氣がとても寒いのが難點ではあるが、雪が邊りを白妙に染める風景も繪になりますね。

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閏長月拾陸日(陰曆)  橘右
プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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