2016-06-28

建長寺

臨濟宗に屬し、山號を巨福山、寺號を建長興國禪寺と稱す。ご本尊は地藏菩薩、開山は蘭溪道隆、開基は北條時賴。鐮倉五山の第一位である。禪寺でご本尊が地藏菩薩と言ふのは珍しいんぢやないかな。
吾妻鏡によると建長三年(一二五一年)に造營され、同五年(一二五三年)に落慶供養したとされる。鐮倉大地震(正應六年:一二九三年)で堂宇の大半が倒潰、その後も幾度となく失火で堂宇が失はれるが、その都度、再建されて來た。創建當時の堂宇が少ないとは言へ、三門から方丈までが一直線に竝ぶ禪寺の樣式を殘してゐる。方丈の前の唐門は裝飾が鮮やか。
唐門の左から坂を進むと半僧坊と言ふお堂がある。相當、坂をあがつた處にある。半僧坊からは相模灣を望む事が出來た。まあ、それだけの坂を上がつて來たのだから當然と言へば當然だが。

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▼惣門。バスの停車場になつてゐる。
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▼三門。「威風堂々」と言ふ言葉が相應しい。
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▼鐘楼
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▼佛殿
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▼法堂
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▼唐門
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▼唐門を方丈から庭ごしに見る。
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▼方丈
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▼方丈の庭園
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▼半僧坊へ行く途中に蟲塚と言ふものがあつた。
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▼さて、こゝから半僧坊へとまゐりませう。
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▼途中の階段は長すぎるので省略して、半僧坊のお堂へ到着
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▼半僧坊からの眺め
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2016-06-27

明月院

臨濟宗に屬し、山號を福源山と稱す。本尊は聖觀音、開山は密室守嚴で開基は上杉憲方。元々は山之內首藤經俊が平治の亂で亡くなつた父の俊道の菩提を弔ふ爲に庵を結び、その後、北條時賴が荒廢した草庵をお寺に改裝し最明寺とした。最明寺はその後廢絕となり、北條時宗が禪興寺として再興した。室町初期に上杉憲方が足利義滿の命を受け、禪興寺を擴大し、首藤經俊が建てた庵は塔頭となつた。その後、明治に入り禪興寺は廢寺となつたが、塔頭だけが殘り、現在の明月院となつてゐる。
そのやうな經緯を持つことから、境內には北條時賴の墓所と上杉憲方の墓所がある。上杉憲方の墓所があるやぐらは、元々首藤俊道の墓所であつたと傳へられてゐる。これだけを聞くと上杉憲方は罰當たりに聞こえるが、なにか事情があつたのだらう。
境內いつぱいに紫陽花が咲いてゐた。こちらのお寺は、成就院(現在工事中にて紫陽花を見學できない)、長谷寺と竝ぶ鐮倉三大紫陽花寺である。靑色の姬紫陽花が大半を占めてゐた。なんでも靑色の花になるやうに意圖的に土壤を保つてゐるさうだ。紫陽花の季節になると一萬株は優に超しさうな紫陽花よりも人のはうが多いのではと思ふほど、賑はつてゐた。

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▼深谷上杉氏は憲方の弟の憲英から始まる。
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▼最明寺舊蹟道碑
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▼開山堂
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▼方丈。なんか源光庵に似てゐる氣がするのだが。氣の所爲か?
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▼方丈の裏に花菖蒲園があります。
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▼北條時賴公廟所
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2016-06-26

東慶寺

臨濟宗に屬し、山號を松岡山、寺號を東慶總持禪寺と稱す。寺傳によると開基は北條貞時で、開山は覺山尼と傳はる。覺山尼とは北條時宗の夫人で、圓覺寺で得度したとのこと。さう言ふ開山の經緯があり、創建から明治の初め頃までは男子禁制の尼寺であつた。男子禁制の尼寺であつたこともあつてか當寺は「緣切り寺」「驅け込み寺」であつたさうだ。
拜觀謝絕のお堂が多いが、境內には樣々なお花が植ゑられてをり、紫陽花と花菖蒲が綺麗に咲いてゐた。またご本堂の裏手の岩に「岩絡み」と言ふお花が一面に咲き誇つてゐた。この「岩絡み」と言ふお花は、紫陽花科であるが蔓性の植物と少々珍しい。本堂の裏は基本非公開であるが、岩絡みが咲いてゐる時だけ、日に何囘か一時間づつ公開してゐる。

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▼おなじみになりましたね、花菖蒲です。紫陽花と時期が同じですからね。
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▼紫陽花と花菖蒲。
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▼撫子が咲いてゐた。撫子と言へば秋だが、夏に咲く品種もあるのかな。それともこれは撫子とは違ふのかな。
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▼こちらは「岩煙草」と言ふさうです。葉が煙草の葉に似てゐるからだとか。
でも、橘右は煙草の葉を見たことがないので、似ていると言はれても解らない。
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▼さて、岩絡みへとまゐりませう。まづはご本尊を拜んでから。
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▼こちらが岩絡み。
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2016-06-25

圓覺寺

臨濟宗に屬し、山號を瑞鹿山、寺號を圓覺興聖禪寺と稱す。ご本尊は、寳冠釋迦如來で、開山は無學祖元禪師、開基は北條時宗である。北條時宗は、元寇の後、敵味方の靈を平等に弔ふために當寺を建立した。寳冠釋迦如來は、釋迦如來が寳冠を被つてゐる佛樣で、普通、如來は裝飾を附けないものだが、大日如來や希に釋迦如來が寳冠を被ることがある。なぜかは、難しい問題ですね、橘右もそこまでは詳しくないです、すみません。寳冠釋迦如來は京都の大きなお寺の三門のご本尊になつてゐる。
これは、ちやんと言及しておかなければなりませんが、蒙古來襲と言ひますが、實際にはモンゴル人が海を渡り襲つて來たと言ふよりは、元に阿つて我が國の侵攻を焚きつけ、結果として派兵された民族がゐる。それは、朝鮮人でありますことをお忘れなきやうに。
さて、話は本題へと戾りませう。室町、江戶期に幾たびかの失火があり、堂宇はその都度再建され今日至つてゐる。創建當時のものではないにしても、三問や法堂などは威風堂々した立派なお堂であつた。境內の奧に「佛日庵」と言ふ庵がある。このお堂は開基の北條時宗が結んだ庵だとされてゐる。境內には時宗が篤く祈りを捧げた十一面觀音坐像が殘されてゐるほか、時宗、貞時、高時の木像も安置されてゐる。國難が迫りつゝある今日、佛日庵の開基廟にて、再び北條時宗公のやうな政治指導者が出て來ることを切にお祈りした。
この他、境內の一際高い處に洪鐘と書いて「おほかね」と呼ぶ大きな鐘樓があつた。この鐘は北條貞時が寄進したもので、國寳に指定されてゐる。洪鐘の傍に辯天堂があつた。北條貞時が江の島の辯天を勸請した。江の島辯天は、北條時政が參籠し北條氏發展を約束されたとの說話があり、それに倣つたのかもしれない。
當寺は佛日庵や洪鐘など見どころ滿載でまさに北鐮倉を代表する名刹である。

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▼閻魔堂。お堂内の寫眞は撮るべきではないのでお見せできませんが、弓が處狹しと竝らんでゐた。閻魔様と弓?
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▼と思つたら、お堂の隣に射場があつた。さう言ふことか。
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▼三門。人だらけでモザイクかけたらなにがなんだか判らない繪になつた。
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▼多くはないが紫陽花が咲いてゐた。まあ、季節ですから。
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▼この奥に國寶の舎利殿がある。
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▼方丈
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▼さて、北條時宗公の許へとまゐりませう。
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▼門に柵がしてありますが、脇に入口があり拜觀料を拂へば中に入れます。
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▼木久藏つて、あの落語家の?
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▼さて、洪鐘へとまゐりませう。
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▼階段が長い。
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▼こちらが洪鐘。
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2016-06-24

長谷寺 ~紫陽花の鎌倉篇~

紫陽花の季節も終はりが訪れやうとしてゐる。紫陽花は靑、紫、白など樣々な花が密集してまるで鞠のやうに咲く姿は、とてもきれいである。また、黴雨の雫を身に纏つてゐる紫陽花も瑞々しくて美しい。そんなこんなで、少し前に紫陽花を見ようと鐮倉へとやつてまゐりました。
それにしても、人だらけ。長谷寺には開門直前に到着しましたが、開門を待つ人の列が旣に出來てゐた。但し、橘右が鐮倉を訪れた日は、まだよかつたのだらう。開門を待つ人の列と言つても三十人もゐなかつた。なので、直ぐに入れ、紫陽花も待たずに鑑賞することが出來た。因みに土日は、三時間待ちとかになるやうだ。開門直後に行つても小一時間待つ日もあつたとか。
京には三室戶寺や藤森神社、善峰寺など數々の紫陽花の綺麗なお寺や神社があるが、人でごつたがへしてはゐたが、入山するのに待つた記憶がない。關東の方々は京の人に較べて壓倒的に紫陽花が好きなのかな。
さて、長谷寺は旣にご紹介してゐるので、長谷寺のお話はやめにして、紫陽花の瑞々しいお花の鑑賞とまゐりませう。

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▼まづはご本尊にお參りしませう。紫陽花はその後。
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▼紫陽花の合間から由比ヶ濱が見える。
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▼ハート型だ。「想ひよ、届け!」とロマンチックに行かう。
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▼この品種は當寺が名づけたさうだ。
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▼放生池に花菖蒲が咲いてゐた。
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▼桔梗が咲き始めてゐた。夏ですね。
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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