2014-11-11
2014-10-02
浄瑠璃寺
眞言律宗のお寺で山號を小田原山と稱す。本堂に九體の阿彌陀如來坐像を安置することから九體寺と呼ばれることもあり、古くは西小田原寺と呼ばれたこともあるさうだ。寺號の淨瑠璃は藥師如來の居所たる東方の淨土「東方淨瑠璃世界」に由來する。藥師如來は國寶の三重塔に安置されれゐる。本堂の九體阿彌陀如來坐像は、「觀無量壽經」が說く「九品往生」の考へに基づくものであり、人間は生前の行ひより淨土への行き方が變はると言ふものであり、平等院の鳳凰堂の內部にも繪が描かれてゐる。かつてはこの九體阿彌陀如來を彫ることも珍しくなかたつたやうだが、現在九體全部揃つてゐるのは大變貴重である。勿論、國寶に指定されてゐる。
本堂に入ると大きい阿彌陀如來が九體竝んで安置されてゐるので、息をのむ。正に極樂淨土とはここを指すのかと感ずるほどだ。また、四方を守護する四天王も躍動感溢れる造形で、これまたいつまでも拜んでゐたくなるほどの造りだ。勿論、こちらも國寶であるが、殘念なことに廣目天と多門天が博物館に寄託されてをり、四尊揃つてゐない。
僕がお參りした時は初夏の頃であつたが、境內の池を中心に東に藥師如來が安置されてゐる三重塔が、西には阿彌陀如來坐像が安置されてゐる本堂があり、池の畔を靑々とした靑もみぢが蔽いつくし、正に天國にでもゐるかのやうな名庭園である。
こちらも交通の便が良いとは言へないやうな立地であるが、一生に一度は絕對に行つておきたいお寺である。
本尊:九體阿彌陀如來
駐車場:少しだけある






長月玖日(陰曆)上弦の月 橘右
本堂に入ると大きい阿彌陀如來が九體竝んで安置されてゐるので、息をのむ。正に極樂淨土とはここを指すのかと感ずるほどだ。また、四方を守護する四天王も躍動感溢れる造形で、これまたいつまでも拜んでゐたくなるほどの造りだ。勿論、こちらも國寶であるが、殘念なことに廣目天と多門天が博物館に寄託されてをり、四尊揃つてゐない。
僕がお參りした時は初夏の頃であつたが、境內の池を中心に東に藥師如來が安置されてゐる三重塔が、西には阿彌陀如來坐像が安置されてゐる本堂があり、池の畔を靑々とした靑もみぢが蔽いつくし、正に天國にでもゐるかのやうな名庭園である。
こちらも交通の便が良いとは言へないやうな立地であるが、一生に一度は絕對に行つておきたいお寺である。
本尊:九體阿彌陀如來
駐車場:少しだけある






長月玖日(陰曆)上弦の月 橘右
2014-10-01
蟹満寺
眞言宗のお寺で、山號は普門山と稱す。元々、本尊は觀音菩薩であつたが現在は白鳳期の銅造釋迦如來坐像が本尊である。ちなみにこの銅造釋迦如來坐像は國寶である。いつの頃に本尊が變はつたのだらう。當寺は觀音菩薩が本尊であつたことは、當寺の緣起を見れば明らかであり、それが變はつた記錄がないことは謎であり、現在の本尊は何時ごろ當寺に動坐して來たのかこちらも記錄がなく謎が多いお寺である。
當寺の緣起は今昔物語にも載つてをり、有名な話である。今は昔、山城國に觀音菩薩を篤く崇敬する娘がをり、歸宅途中に村人から食べられやうとしてゐる蟹を助けたことがあつた。それとは別の日に、この娘の父親が川邊で蛙を食らはうとしてゐる蛇がをり、父親は蛇に蛙を放すと娘と結婚させようと言つたところ、蛇は蛙は放し去つてゐつた。悲劇はここから始まる。父親が蛙を助けた日の夜に、衣冠を着けた紳士が現れ晝間の約束を迫つて來た。父親は愚かなことをしたと思ひ後悔するが、蛇はいよいよ閉ざした戶を强く叩くばかりで後悔先に立たずである。晝間の約束を守らないことに腹を立てた蛇は本性を現し、蛇に戾り荒れ狂ふ。その時に平素より觀音菩薩を崇敬してゐる娘は一心不亂に觀音經を唱へてゐると、觀音樣が現れお吿げの殘して去つて行かれた。外が靜かになつたので戶を開けてみると、外には鋏で刻まれた大蛇と無數の蟹の死骸があつた。これを見た娘は蟹の亡骸を弔い觀音菩薩へ感謝するためにお堂を建てた。そのお堂が蟹滿寺とのこと。
僕がお參りした時は、本堂の木材が白く輝いてをり、おそらく建替へをしたのだらう。本堂を上がると、國寶の釋迦如來坐像が安置されてゐる。白鳳期のもので整端なお顏をされてゐる坐像であるが、なんと言つても國寶である。その國寶が間近で拜むことができるのだ、とても感動した。
南山城は當寺のほかにも國寶の佛像が少なくない。多少交通の便が惡いものの、計畫を立て南山城の佛像巡りをしてみるのもよいでせう。
本尊:銅造釋迦如來坐像
駐車場:あり





長月捌日(陰曆) 橘右
當寺の緣起は今昔物語にも載つてをり、有名な話である。今は昔、山城國に觀音菩薩を篤く崇敬する娘がをり、歸宅途中に村人から食べられやうとしてゐる蟹を助けたことがあつた。それとは別の日に、この娘の父親が川邊で蛙を食らはうとしてゐる蛇がをり、父親は蛇に蛙を放すと娘と結婚させようと言つたところ、蛇は蛙は放し去つてゐつた。悲劇はここから始まる。父親が蛙を助けた日の夜に、衣冠を着けた紳士が現れ晝間の約束を迫つて來た。父親は愚かなことをしたと思ひ後悔するが、蛇はいよいよ閉ざした戶を强く叩くばかりで後悔先に立たずである。晝間の約束を守らないことに腹を立てた蛇は本性を現し、蛇に戾り荒れ狂ふ。その時に平素より觀音菩薩を崇敬してゐる娘は一心不亂に觀音經を唱へてゐると、觀音樣が現れお吿げの殘して去つて行かれた。外が靜かになつたので戶を開けてみると、外には鋏で刻まれた大蛇と無數の蟹の死骸があつた。これを見た娘は蟹の亡骸を弔い觀音菩薩へ感謝するためにお堂を建てた。そのお堂が蟹滿寺とのこと。
僕がお參りした時は、本堂の木材が白く輝いてをり、おそらく建替へをしたのだらう。本堂を上がると、國寶の釋迦如來坐像が安置されてゐる。白鳳期のもので整端なお顏をされてゐる坐像であるが、なんと言つても國寶である。その國寶が間近で拜むことができるのだ、とても感動した。
南山城は當寺のほかにも國寶の佛像が少なくない。多少交通の便が惡いものの、計畫を立て南山城の佛像巡りをしてみるのもよいでせう。
本尊:銅造釋迦如來坐像
駐車場:あり





長月捌日(陰曆) 橘右