2014-10-31

春日大社

武甕槌命、經津主命、天兒屋根命、比賣神をお祀りする社で古來より藤原氏の篤い崇敬を受けた社。創建は古く、藤原不比等が藤原氏の氏神を當地に祀つたことに始まるとのこと。攝社も多く全部廻ると足が相當疲れるほどである。また、周邊には鹿が多く住んでをり、鹿は春日大社の神使になつてゐる神聖な獸とのこと。
藤原氏の氏神を祀ることから神紋は下り藤である。五月初旬になると春日大社神苑 萬葉植物園の園內に藤の花が咲き誇る。ほんのり甘い藤の花と鮮やかな薄紫の藤波は訪れる者をみな魅了してやまない。この植物園は 昭和天皇 の御下賜金を頂き萬葉集に詠まれた植物を植栽する目的で造園された。そのため、藤を始め多數の品種の花が植ゑられてゐる。萬葉集を片手に古き良き時代を思ひだしつゝ、美しい花を愛でるのもなか/\おつなものだと思ふ。
萬葉集に收められてゐる歌ではありませんが、素性法師の歌で締めくゝりたいと思ひます。

春日野に若菜つみつゝ萬代を 祝ふ心は神ぞ知るらむ(古今和歌集)

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閏長月捌日(陰曆)上弦  橘右

2014-06-11

他田坐天照御魂神社

延喜式神名帳に、「大和國城上郡 他田坐天照御魂神社 大 月次相嘗新嘗」とある式內大社。JR卷向驛の近くの住宅地の中にある太田社とそこから西に少し行つた先にある戒重社が後裔となる論社と傳はる。太田社は辿りつく事ができたが戒重社はどうやら間違つて違う神社に行つたやうだ。
太田社は、鳥居や手水舍がなく由緖を書いた案內板もなく見つけづらかつた。事前に境內に「天照御魂神社」と彫られた石があると知つてゐたので、ここにその石があつたから太田社で間違ひないと思ふが、知らなかつたら見つけられなかつただらう。
由緖などが書かれてゐなかつたので、傳承がどうなつてゐるのかは現地に行つても解らない。從つて、天照御魂とは天照大神の荒魂なのか、それとも天火明命なのか、判斷のしようがない。
場所としては、卷向の地に位置し、周圍には崇神天皇陵、景行天皇稜、箸墓古墳を始め多數の古墳が點在するだけでなく、大神神社、大和神社、石上神宮などからも近い。大神神社の傍と言ふことは三輪山にも近い。當地に古來より神域があつたとしても全く不思議ではない場所だ。
さて、戒重社のはうだが春日社とも言はれてゐる云々と聞いたので、太田社の裏の集合住宅から一旦南へ向かい箸中の交叉點付近で西に折れ、大和川沿ひを進んで見たら神社があつた。ここを戒重社と勘違ひして、無理やり車を停めて境內に入つてみたら「素戔嗚尊神社」と鳥居の神額に書いてあつた。ああ間違へたと思ひ、カーナビの地圖を見ると直ぐ傍に春日神社とあつたので、細い道を分け入り辿りついたが、後で氣がついたのだがどうやら住所が「江包」と呼ばれるところのやうである。しまつた、間違へた。なので、時の斷片の收穫はない。
登彌神社であれこれと丹波から櫻井までの地域での饒速日命の關聯について考へてみたのだが、ここで見つけた時の斷片を當て嵌めることはできない。天照御魂神社なので相當期待したのだが、殘念である。また、戒重社へ行けるかな。

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▼祭神は、天照大御神あるいは天照國照彥火明命のいづれかははつきりと判らない
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▼この拜殿からは多くを伺ひ知ることが難しい
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▼間違へたとは言へ、神威を感じる社で、綱が印象的な社。もとは牛頭天王を祀つてゐたのだらうか。
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▼こちらも戒重社と間違へた春日神社。なんとなく太田社に佇まひが似ていた。
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2014-06-11

大和神社

この社もなかなか謎が深い。その譯は祭神の日本大國魂神である。日本大國魂神とは、日本書紀の崇神天皇の御代に出てくる神樣である。
元々は天照大御神とともに宮中にて親祭されてゐたが、世の中が亂れることから、皇女の渟名城入姬を齋主として祀らせたところ、淳名城入姬は髮が落ち體は瘦せて祭祀を續けることができなくなつた。崇神天皇七年に倭迹迹日百襲媛命が夢で「市磯長尾市をもつて倭大國魂神を祭る主とせば、必ず天下太平ぎなむ」との神託を受けたことから、大倭直の祖・市磯長尾市を祭主として、神地が定められ鎭坐・創建されたと傳はる。
日本(倭)大國魂神は大國主神あるいは大物主神との關聯はどうなつてゐるのか。狹井坐大神荒魂神社のエントリでも書いたが大物主神と大國主神は同一視されることが多い。本居宣長は同一神との考へを否定してゐるが、僕は大和に鎭坐する大國主神の荒魂で「倭(日本)大國魂神」と呼ばれたのではないかとも考へてゐる。僕は丹波國に大國主神を祀る風習があり、丹波の地から良質な鐵(砂鐵)を求めて日本海沿岸を通つて出雲國へ渡つた組、黑柄嶽の脇の溪谷を傳ひ芥川、安威川から淀川へ出て淀川を天野川を上り生駒から大和國へ渡つた組があり、その組が夫々出雲國の杵築大社(現出雲大社)と當社に大國主神を祀つてゐるのではと想像して見る。この邊りの話はいづれの機會にエントリしてみようと思ふ。
境内には眞新しい石碑がある。石碑には「戰艦大和ゆかりの神社」と刻まれてゐる。當社の祭神の分靈が戰艦大和に祀られてゐたことが緣とのこと。石碑以外に資料室があつた。中を覗いてみると精巧な模型が數體展示されてゐた。この模型がどのような謂れをもつのか說明がなかつたので、どのような謂れでここに展示されてゐるのかが判らず精巧にできてゐるだけに、少し殘念な氣がした。
最後に、今の風潮に對してひとこと言ひたい。
今があるのは英靈の方々の尊い犠牲の上に在ることを今一度、認識すべきだ。
それは、大東亞戰爭だけではない。元寇でも同じだ。國の基盤となる高速道路建設で事故に遭ひ、お亡くなりになられた方も同じだ。この國のために命を捧げた方がゐることは事實だし、人としてさう言つた方に感謝すべきだ。
これは心であり、政治姿勢とは違ふものだと僕は思ふ。今あるのは、親が生んで呉れたからであり、便利な生活も先人の努力があつての賜物だ。それとあまり違はないと僕は思つてゐる。
英靈の方々の尊い犠牲に感謝するとともに再び過ちを繰り返へさないやうに過去を見つめることが肝要だ。

祭神:日本大國魂神、八千戈大神、御歳大神
御朱印:あり
御朱印帳:なし
駐車場:あり

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▼敬礼!!
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▼とても精巧に出來てゐると思ふ。
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2014-06-09

石上神宮

布都御魂劍の靈である布都御魂大神をお祀りする社。ご神體は布都御魂劍。この劍は、神武天皇が熊野山中で難儀してゐる時に高御產巢日神が高倉下を介して神武天皇に下賜したもので、以後、劍の靈力で行軍をたやすくしたと傳はる。その後、神武天皇の御代に物部氏の祖である宇摩志麻遲命が宮中でお祀りしてゐたが、崇神天皇の御代になり物部氏の伊香色雄命が當社へ遷しお祀りした。當初は、拜殿の裏手に埋めてゐたさうだが、後の世に掘り出し、現在では本殿に鎭坐してゐるとのこと。その爲、江戶期までは本殿がなかつたさうだ。今は立派な本殿がある。
掘り出された布都御魂劍だが、片刃の彎曲刀であるらしい。而も、日本刀とは逆で刃を內側にして彎曲してゐるとのこと。日本刀の歷史を追ふと始めは兩刃直刀であつたが、蝦夷との戰ひを經て片刃彎曲刀に變化したと聞かれる。馬上で切り下ろす時に威力が出るからださうだ。直刀は突き、彎曲當は切るはうに威力がでるとかだつたと思ふが、刃を內側にして彎曲すると言ふことはどんな效果があるのだらうか。非常に興味深い劍である。

いその神 ふるの山への 桜花 うゑけむ時を しる人そなき

この歌は花山僧正の詠んだもの。遍昭の頃には相当古い土地だと思はれてゐたことがこの一首から伺へる。「いそのかみ」は「ふる」にかかる枕詞。「ふる」は石上神宮周辺にある布留(ふる)という地名と同音の語だから枕詞になつたやうだ。刀と関連することから、この辺りは金属製の刀剣を製造してゐたのかもしれない。
境内には鶏があちらこちら歩き廻つてゐた。なんだなんだ?と思つてゐたら、何のことはない當社の神使であつた。中には木の枝に留まつてゐる鶏がゐた。どうやつて登つたのだらうか?もしかして、飛んで枝に登つたのか。いや、さうしか考へられない。え?鶏が飛ぶの?そんな馬鹿な。
鶏がどうやつて登つたのかは布都御魂劍の湾曲と同じくらゐ興味深いな。

祭神:布都御魂大神
御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:あり

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▼鶏と記念寫眞
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2014-06-08

登彌神社

この日はカーナビの調子がいまいちでてんてこ舞だつた。最短ルートを案內されたのだらうが、道があまりにも狹すぎて大變だつた。そんな中、「ああ、仕舞つた。まただ。この道、ほんたう?」と橋を渡り狹くなる道に辟易としてゐたら、目の前に「饒速日命」と言ふ文字が飛び込んできたので無理やり車を停めて參拜したのが、當社である。僕が車から見た案內板には「通称木嶋明神といい、延喜式内小社で物部氏の祖神饒速日命を祭神とし、神域幽玄神殿も極めて壮大であり太古大部族の祖神を祭るにふさわしいたたずまいである。又、付近丘陵(大和郡山市主水山)は弥生時代遺物の散布地でもある」と書いてあつた。
饒速日命の話は後ほどとして、先づは境內の樣子から。一の鳥居を潛ると參道は緩やかな石段となつてをり、中ほどに二の鳥居がある。石燈籠があり「木嶋大明神」と書かれてゐる。木嶋?さう言へば木嶋坐天照御魂神社は木嶋に鎭坐する天照御魂神を祀る社と言ふ意味だ。繫がりがあるのだらうか?木嶋社は一說に據ると天火明命をお祀りするとの傳承があり、天火明命は先代舊事本紀に據ると「天照國照彥天火明櫛玉饒速日尊」であり、饒速日命と同一視されてゐる。あれ、饒速日命の話は後にしようと言つたばかりだつた。境內の話に戾さう。
本殿は拜殿脇から玉垣が施され近くまで行く事ができなくなつてゐた。他のサイトでは栅がない寫眞が揭載されてゐるので、最近になつて玉垣が施されたのかもしれない。從つて本殿ははつきりと見えなかつたが、妻入りの本殿が二つ竝んでゐるやうに見えた。
さて饒速日命とは、現在の生駒市及びその周邊を支配してゐたと見られる那賀須泥毘古(長髓彥)が奉じる神として古事記・日本書紀に登場する。日本書紀の一書が傳へるところでは邇邇藝命の兄上で天照大神より十種の神寳を授かり天磐船に乘り河內國交野に降り立つたとのこと。交野には磐船神社と言ふ天磐船傳承を傳へる神社がある。交野に降り立つた後に大和に遷り長髓彥の妹の三炊屋媛(登美夜須毘賣)を娶り、宇摩志麻遲命をもうけた。宇摩志麻遲命は物部氏の祖となつてゐる。
神武天皇が東遷された際に、饒速日命配下の長髓彥が神武天皇に抵抗し孔舍衞坂で神武天皇軍を打ち破つた。この時に神武天皇の兄上である五瀨命が落命されたので、神武天皇が日に向かつて敵を擊つのはよくないとして迂廻して大和に入ることにしたと歷史は傳へる。
長髓彥は交野~生駒~奈良市の一部~櫻井邊りまでを收めてゐた豪族であり、後に大和朝廷となる勢力に滅ぼされたと思はれる。さて、その長髓彥が奉じる饒速日命だが、天孫の天火明命と同一視されてゐるが、天火明命をお祀りする神社として丹後宮津の籠神社、攝津茨木の新屋坐天照御魂神社がある。丹波~三嶋(茨木・高槻・島本町)~交野~當社と連續性を考へてみたい。丹波に發祥した勢力が徐々に溪谷を降り、三嶋へ到達。嶋下(茨木)・嶋上(高槻)・嶋本(島本町)の三嶋には名神高速建設や宅地造成で非常に多くが失はれたが大凡五百基ほど古墳があつたさうで三嶋古墳群と呼ばれてゐる。嶋下の新屋坐天照御魂神社の境內には「日降りの丘」と呼ばれる天孫降臨地がある。三嶋から淀川を渡り天野川の險しい溪谷の中を進むと磐船神社がある。丹波から勢力を擴大する道すがらに天孫降臨の傳承が出來たとしたら、天火明命と天孫(邇邇藝命)とは別系統との傳承が正しいとする假定が必要だが時の斷片がうまくはまりさうだ。但し、この假說は接合面がぐらぐらで、まだまだ檢證しなければならない。

祭神:高皇產靈神 譽田別命、神皇產靈神、登美饒速日命、天兒屋命
御朱印:たぶんない
御朱印帳:ない
駐車場:あるらしい。言ひ譯かもしれないが判りづらい

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▼本文に出て來る案內板
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▼木嶋かあ。偶然の一致かそれとも必然か。
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▼本殿はあれど、裏山の神威をひしひしと感ずる。
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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