2015-04-23

衡梅院

妙心寺の塔頭。雪江宗深が開山。こちらも「第49囘 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 ~祕められた京の美をたづねて~」でお參りができた寺院である。
にじり口が緣側に通じてゐる茶室の中も見ることができた。「お茶の大德寺、算盤の妙心寺」と言はれるのだが、お茶室があるのは珍しいと思ふ。このお茶室は、天井の一部に楠の木の皮を貼つてあり、數寄な造りでこれまた珍しい。
お庭は、苔に蓋はれた地面の綠が雨に濡れてしつとりとした趣があつた。新綠の頃は綺麗だらうなと思ふと案內戴いたボランティアのガイドさんが「こゝは、お庭が綺麗な新綠の頃と楓がもみづく紅葉の頃は非公開なんですよ」とおつしやつた。がつかり・・・。この庭の名前は「四河一源」と言ふさうだ。雪江宗深の弟子が四人ゐて、各々が妙心寺の發展を支へたらしいので、雪江宗深を源とし、四人の御弟子さんが河の流れとなり妙心寺を興隆させたことを顯してゐるとガイドさんが敎へてくださつた。方丈から見て左に石が組まれてをり、こゝを源とし、左から右へと河が流れてゐると言ふ構圖なのだらう。美しいお庭である。
雨の衡梅院。雨が風情を添へる美しい京都のひと時であつた。やはり、京の町は風情があり良いな。

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▼「四河一源」のお庭。雨に濡れた風情も趣があつて良いと思ふ
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▼雨の妙心寺。
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▼今囘の「京の冬の旅 非公開文化財特別公開」は三門も公開された。凄かつた。言葉ではとても表現できない。一見の價値あり!
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2014-10-08

善峰寺

天台宗系單立の宗派である善峰觀音宗に屬するお寺で、山號を西山と稱す。櫻と紅葉が有名で「そうだ京都、行こう」のキャンペーンで紹介されたこともある。櫻や紅葉も勿論素晴らしいのだが、ここは紫陽花園があり、梅雨の頃に大振りの艷やかな花を咲かせる紫陽花が堪能できる。
境內は廣く一番奧の桂昌院廟付近が一番高くなつてをり、そこから京の町を一望できる。僕がお參りしたときは曇りで雨が降つて來さうな空模樣であつたので、京の町が綺麗には見えなかつたが、良く晴れた日で櫻や紅葉の頃なら境內の綺麗な櫻や紅葉と京の町に雲居のやうに橫たはる櫻もしくは錦のやうな紅葉に包まれる風景は絕景と呼ぶに相應しい。
春、夏、秋といつお參りしても景色のよいお寺である

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長月拾伍日(陰曆)滿月 橘右

2014-09-30

乙訓寺

眞言宗のお寺で、山號を山慈山と稱す。當寺の特徵は、春に咲く牡が有名であるが、早良親王(崇道天皇)の幽閉地である。早良親王(崇道天皇)とは、延曆四年年(七百八拾五年)に藤原種繼暗殺事件に連坐して廢され、無實を訴えるため絕食して淡路國に配流の途中で憤死した。藤原種繼暗殺に早良親王が關與してゐいたかどうかは不明である。
そのやうな壯絕な物語を刻んでゐるが、當寺は牡丹寺と言ふ名のはうが有名であり、晚春の頃には大勢の觀光客で賑はふ。
僕は二度ほどお參りしたがいつも時期が惡く、咲き始めだつたり散り際だつたりと牡丹には緣が遠い。而も、次こそはと思へど行けなくなつてしまつたのだ。はあ、緣遠いな。

本尊:合體大師像(弘法大師・八幡神)
駐車場:あり(記憶が正しければ、牡丹の咲く時期は拜觀と駐車場が有料です)

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▼幽閉された早良親王を供養してゐる
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長月漆日(陰曆) 橘右

2014-09-09

舊嵯峨御所 大覺寺門跡

眞言宗大覺寺派の本山で、山號を嵯峨山と稱す。本尊は五大明王、開基は嵯峨天皇である。嵯峨天皇の離宮を寺院に改めたもので、のちに龜山法皇や後宇多法皇がご入寺され政務をお執りになられたりした。
東映の太秦撮影所から近いと言ふこともあるのか、しばしば當寺境內で時代劇が撮影されてゐることから、境內の堂宇はどこかしら見たことのあるやうに感ずる。
大凡神無月の頃に普段は非公開となつてゐる當寺の祕佛が公開される。大變貴重な佛像を見れるとあつて大勢の拜觀客が訪れるが、やはり見ておきたい佛像である。
華道の本家のやうであり、生け花會のほか、寫經や觀月會など樣々な催し物も行はつてゐる。僕も寫經をしたことがあるが、なかなか良いものだ。
堂宇の豪華さやお庭の綺麗さもさることながら、やはりここは門跡寺、法具も貴重な物が多く見どころ滿載のお寺である。催し物も多く何度來ても飽きないお寺である。

本尊:不動明王ほか五大明王(重要文化財)
御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:有料

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▼撮影で使はれることも多いことから、どこかで見た氣がする
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▼さすが門跡。お庭も綺麗である
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▼右近橘
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▼左近櫻
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▼宸殿の蔀度の留め金。留め金に黄金の蟬が泊まつてゐる。
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▼大澤池
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▼この風景は境内にはなく、大澤池の畔の多宝塔である
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2014-09-08

嵯峨釋迦堂(清凉寺)

淨土宗に屬し山號を五臺山と稱す。淸凉寺が正式名所であるが、嵯峨釋迦堂の名で知られてゐる。名前の謂れは、當寺のご本尊である三國傳來生身釋迦如來立像が安置されてゐることに據る。この釋迦如來立像は、のちの佛敎彫刻に大きな影響を齎した素晴らしい佛像である。僕は運よく拜むことが出來たが、「足が長い」「お顏が優しくて美しい」「法衣の模樣が綺麗」など見てて時間の過ぎ行くのを忘れてしまふ程である。
この佛像はのちに淸凉寺式釋迦像と呼ばれ西大寺の本尊など當寺の立像をお手本にした佛像が多數作られることになる。ちなみに、生身とは、佛像の內部に五臟六腑を模した絹製の品々が收められてゐたことに起因する。この五臟六腑であるが、信仰の對象としてだけではなく、當時の醫術を傳へる側面も持つてをり、宗敎・醫療分野の貴重な寶とされてゐる。
話が變はり、當寺は河原左大臣(源融)により建立された別莊である栖霞觀が原型となつてゐる。本堂脇にある阿彌陀堂の阿彌陀如來坐像のお顏は源融の在りし日の顏立ちを今に傳へてゐると言はれてゐる。なかなか良いお顏をした阿彌陀如來であつた。融の死後、一周忌を記念して別莊から寺院に改まつたと傳はつてゐる。源融は、平等院に河原院にここと多數の別莊を所有して大層榮えた。源氏物語の光源氏のモデルとも言はれてゐる人だ。源融の墓が當寺の境內に殘つてゐる。

陸奧の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 亂れそめにし 我ならなくに

百人一首の歌番拾四の河原左大臣が源融である。源融は陸奧出羽按察使となつた經歷をもつてをり、この歌はその時に詠んだのだらうか。この歌は、伊勢物語の初段にもある男(在原業平)が初冠した時のエピソードのモチーフとなつてゐたりもする。
風光明媚な景色と、素晴らしい佛像と風流な殿上人を偲びながら嵯峨野散策するのは樂しいものである。

本尊:三國傳來生身釋迦如來立像
御朱印:あり
御朱印帳:あり
駐車場:?

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▼多宝塔
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▼本堂裏のお庭
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▼こちらも本堂裏のお庭
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▼河原左大臣の墓所
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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