2015-04-22

御輿岡神社(北野天滿宮御旅所)

西ノ京御輿岡町にある北野天滿宮御旅所內の社。大巳貴命、少彥名命、菅原大神をお祀りする。

みこし岡幾十の世々に年をへて けふの行幸を待ちて見つらむ(枇杷左大臣:後撰1132雜哥貮)

この「みこし岡」であるが、歌枕辭典を調べたら記載がなかつた。但し、詞書を讀むと「おなじ御時、北野の行幸にみこし岡にて」と書かれゐる。と言ふことは、北野天滿宮と關聯がある場所だと推測できる。となるとやはり、北野天滿宮の御旅所で御神輿が收められてをり、かつ、この邊りは今も昔も「御輿岡」と呼ばれてゐることを考へると、こゝが歌に詠まれた「みこし岡」なのかもしれない。
橘右がお參りした時は御輿庫の御輿に蓋ひが被さつてゐた。見ることが出來ず殘念であるが、またひとつ歌の詠まれた地を訪れることが出來たので、心はウキ/\、空は雨模樣なひと時であつた。

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2014-10-25

長岡天滿宮

菅原道眞公をお祀りする社。道眞公が太宰府へ左遷させられた時に、當地に立ち寄り「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名殘を惜しんだとのこと。當地は道眞公の所領があつたさうだ。道眞公の太宰府行きに同行した中小路宗則が、道眞公に託された持念佛や木像を當地で篤く祀つたことが當社の始まりと言はれてゐる。
ちやうどゴールデンウィーク頃になると、八條池付近の植ゑらえてゐる霧島躑躅が咲き誇り、鮮やかなくれなゐ色で周圍を包み込む。こゝは躑躅の名所である。また、その頃になると筍が旬を迎へる。こゝには筍料理で有名な「錦水亭」があり、相當高級なのに連日滿員狀態が續いてゐる。お晝で最低でも一萬二千圓以上する。羨ましい限りである。
そんな話は置いて、天滿宮だから勿論、境內に梅が植ゑられてをり梅の名所になつてゐる。晚冬になると赤や白の花を咲かせ寒さに疲れた人々にもうすぐ春が來る期待を齎す。八條が池には菖蒲や睡蓮が植ゑられてゐるから初夏の頃には池面が紫色の美しい花で染まる。秋は秋で、錦景苑で紅葉を見ることができるので、年中なにかしらの花が咲く美しい境內を持つ社である。
北野天滿宮、上宮天滿宮とこゝをお參りしたので、あとは太宰府だな。

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閏長月貮日(陰曆)  橘右

2014-09-03

野宮神社

齋宮神社とともに、齋王の野宮の舊蹟と傳はる。嵯峨天皇の御世に仁子內親王の野宮が造られた。齋王の祭祀は後醍醐天皇の御世まで續いた。その後は天照大御神をお祀りする社として續いてゐたが、やがて荒廢してしまひ、後奈良天皇、中御門天皇の御下命により再興され、皇室からの厚い崇敬を受けて現在に至る。
天龍寺の裏手に鎭坐することもあり、觀光客がひつきりなしに訪れ、大變な賑はひを見せてゐるが、苔が美しい社として有名で、本來では靜かで美しい庭園を持つ神社であるが、現狀では觀光客の喧騷に包まれ落ち着いてお參りできるやうな神社ではなくなつた。
また、源氏物語「賢木」の卷にも現れ、謠曲「野宮」の題材になつてゐる。但し、現在では當社が源氏物語の緣地であることを示す碑でしか面影を偲ぶことは出來ない。
當社は、樣々な歷史を刻んできた社であるだけに少し殘念な氣がする。

祭神:天照皇大神
御朱印:墨書ではないがある
御朱印帳:なし
駐車場:なし

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▼決して廣い譯ではないこともあり、無人狀態での撮影は難しい
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▼靑々とした苔が美しい
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2014-08-31

齋宮神社

齋宮とは、伊勢神宮に奉仕した齋王の御所のことで、當社はその野宮の舊蹟と傳はる。野宮は京外の淸淨な地を卜定し、齋宮のために一時的に造營される殿舍のことださうだ。この野宮は一代で取り壞されるさうで、嵯峨野にはここ以外にも野宮があり、天龍寺の裏手に鎭坐する野宮神社もそのうちの一つと言はれてゐる。
境內はさほど廣くはないものの、大きな椋があつたり、手水舍に笹がかけられてをり、禊の地の舊蹟に相應しい淸楚な感じのする社である。
御朱印は少々驚いた。自分で印を押すと言ふスタイルで、これまでい幾多の御朱印を戴いたがこの樣式は初めてである。曲がつて押さないやうにと緊張もしたが他に例のないことで貴重な體驗であつた。

祭神:天照皇大神
御朱印:あり
御朱印帳:なし
駐車場:なし

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▼さりげなく配置されてゐる竹が見る人に清涼感を與へてゐる
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▼かつてはここに神殿があつたとのこと
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▼拜殿
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▼これが、自分で押す御朱印
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▼出来上がりはこんな感じ
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2014-08-24

木嶋坐天照御魂神社

畿內に數ある天照御魂神社のうちの一つで、ここも天照御魂神がはつきりしない。祭神をみると、天御中主命が天照御魂神と言ふことになるのかな。
さて、ここは蠶の社とか蠶養神社と言ふ別名があり、近くを通る嵐電の驛名は「蠶の社」である。桑の木や蠶は相當古い時代に古代支那から傳來したと思はれるが、養蠶の技術はあまり進步せず支那・古代朝鮮に比べ遲れてゐたやうだ。倂し、やがて秦氏により最新の養蠶技術がもたらされ、養蠶の技術が飛躍的に向上したとのこと。色々調べたが、蠶について古代朝鮮から技術がもたらされ我が國の發展に寄與したと言ふのは間違ひなささうだ。但し、養蠶の技術は恐らく支那が起源だ。古代朝鮮も支那から蠶が傳はつてゐる。古代支那は相當進んだ文明を持つ大國であつた。
當社の壹の鳥居の扁額には「蠶養神社」と書いてある。當社の本殿は貳つに分かれてゐて、一つは天御中主命他數柱をお祀りしてをり、もう一つが蠶養神社であるさうだ。つまり、木嶋神社と蠶の社は別物であるとも言へる。當社付近は太秦と言ふ地名があるほか秦氏が建立したと傳はる廣隆寺があり、この邊一帶は秦氏の勢力縣內である。元々あつた天照御魂神社の境內に自分たちの崇敬する神を勝手に祀つたのが蠶の社であるかもしれない。さう考へるはうが自然のやうな氣もする。
また、當社の境內に不思議な鳥居がある。柱が三本ある鳥居だ。この鳥居は、境內の元糺の池と呼ばれる池に建つてゐる。但し現在では、元糺の池の水は拔かれてゐる。理由は調査不足で不明。もとは貳本の柱が三本に變化したものなのか、それとも秦氏と關係し皇國の風習ではないものなのか、今となつては不詳である。

祭神:天御中主命、大国魂神、穂々出見命、鵜茅葺不合
御朱印:なし
御朱印帳:なし
駐車場:なし

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▼こちらには木嶋明神と書かれてゐる
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▼こちらは蠶養神社
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▼社の正面
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▼鳥居を潜り參道へ
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▼社殿は本殿と東本殿に分かれてゐるとある
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▼拜殿
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▼本殿
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▼境内見取圖
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▼泉水。なぜかは解らないが水が抜かれてゐる
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▼鳥居の先に謎の三本柱の鳥居がある
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▼玉垣で不逞な輩をブロック。
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▼謎の三本柱の鳥居。本来は水が張つてあるやうだ。
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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