2017-05-09

長良神社

藤原長良をお祀りするお社。うん?藤原長良つて冬嗣の長子?と思ひ調べたらさうだつた。長良は當地を拜領し、當地に赴いて善政を敷いたさうで、地元の方々が遺德を偲んで社を建立したさうだ。

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▼本殿脇の織姫社
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▼まだ八重櫻が散らずにゐた。
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2017-02-13

大洗磯前神社

大己貴命をお祀りするお社。昨日ご紹介した酒列磯前神社と對となり信仰されてゐる。由緖は酒列磯前神社と同じである。こちらも中世に荒廢したが水戶光圀などにより再興された。鎭坐地は高臺に位置して東を向いてゐる。長い階段を下り二の鳥居を潛り海岸にでると。海上の岩の上に鳥居が建つてゐる。こゝからは朝日が拜めるとのことだ、元旦はものすごい賑はひになるのだらう。この眺めを黃門さんも見たさうで、

あらいその岩にくだけて散る月を 一つになしてかへる月かな

と歌を詠んだ。武藏國の住人からすると、流石にこゝは遠い。初日の出は見たいが、その場合はこの邊りの旅館に泊まらなければならない。それも良いかな。この邊りはお魚が旨さうだし。

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▼長い階段を登り振り返つてみると、かやうな綺麗な景色が擴がつてゐた。
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▼随神門。さて、ご本殿へとお參りしませう。
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▼おやつ、陶器で出來てゐるやうだ。
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▼拜殿
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▼ちらほらと梅が咲き始めてゐた。もうすぐ春ですね。
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▼ご本殿は萱葺。
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▼最近葺き替へられたのかな。
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▼先ほどの長い階段を降り二の鳥居を潜り海岸へでると、「神磯の鳥居」があるご祭神の降臨地をみることができる。
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2017-02-12

酒列磯前神社

少彥名命をお祀りするお社で、こちらから車で十五分くらい行くつた先に鎭坐する大洗磯前神社とは兄弟社ださうだ。
常陸國鹿島郡大洗磯前に大己貴命と少彥名命が御降臨なされ、鹽燒きに「我は大奈母知、少比古奈命なり。昔此の國を造り訖へて、去りて東海に往きけり。今民を濟わんが爲、亦歸り來たれり」と託宣されたことから當社が創建されたと社傳が傳へる。この時、宣託を受けた鹽燒きが居た場所には二つの石が海岸に突きだすやうに立つてをり、その周圍に石が段々と出現したさうだ。その謂れとなる石がどれかは解らなかつたが、當社が鎭坐する海岸には小岩が海面に突き出た岩石群があつた。
中世には荒廢して社殿などもなくなるやうな有樣であつたが、水戶藩の二代目藩主光圀と三代目綱條の盡力により再興され今日に至つてゐる。

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▼水戸斉昭が腰かけた「腰掛石」
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▼寶くじに當籤された方が奉納したさうだ。触ると寶籤に當る御利益があるかも。
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▼酒列の岡に粟蒔き愛しきか 駒は喰ぐとも我はそとも追じ
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▼栗鼠と葡萄の彫刻が美しい。左甚五郎の作である。
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▼ご由緒にあつた岩が海面に突き出て竝んでゐる場所。
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▼みャ、みャ、みャ、みャ、みャ~♪
やつてまゐりましたオレッちの地酒コーミャー★
今回は酒列磯前神社に奉納されてゐるお酒のご紹介ですみャ。
まづ初めは辰馬本家酒造さんの「白鹿」。これは有名だと思ふみャ。
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▼明利酒類さんの「副將軍」。明利酒類さんと言へば協會10號の「明利小川酵母」。高い吟醸香を出す酵母ださうだ。
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▼水戸の藏元、吉久保酒造さんの「一品」。寛政二年(一七九〇年)創業と水戸屈指の老舗みャ。
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▼月の井酒造さんの「月の井」。地元大洗の藏元である。優しい味ださうだが、オレっちは呑んだことがないみャ。呑んでみたい。
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▼根元酒造さんの「久慈の山」。佐竹氏の家臣が藏を開いたさうで「武士の酒」と呼ばれてゐるさうだ。
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▼きもだめし??
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2016-10-10

小御門神社

千葉縣成田市名古屋に鎭坐してをり、花山院師賢を祭神としてお祀りしてゐるお社。かつては別格官幤社で、建武中興十五社の一社。花山院(藤原)師賢とは、昨日の平成輔と同じく後醍醐天皇の側近。師賢は、太平記卷二に據ると「尹大納言師賢卿は、主上、內裏を御出の夜、三條河原まで供奉せられたりしを、大塔宮より樣々申されつる仔細あれば、「臨幸の由にて三門へ上り、宗徒の心をも伺ひ、また勢をも附けて合戰を致せ」と仰せられければ、師賢、法性寺の前より、忝くなくも袞龍の御衣を着し、瑤輿に乘り奉つて、山門の西塔院へ登り給ふ。四條中納言隆資、二條中將爲明、中院左中將貞平、皆衣冠正しくして、供奉の體に相隨ふ。事の儀式、誠しくぞ見えたりける。」と、大塔宮が、鐮倉幕府が後醍醐天皇を流罪、大塔宮を弑殺せんと軍を催すとの報を受け、先廻りせんと後醍醐天皇に獻策し、後醍醐天皇が南都方面を目指して行幸された時に、敵を引きつけ後醍醐天皇の行幸を安全とする爲に、後醍醐天皇の御衣をお借りして變裝し自らが囮の役をかつて出たのが花山院師賢だつたと記されてゐる。大變勇氣ある公卿である。
延曆寺の衆徒は後醍醐天皇が行幸されたと感激して勇氣倍增、六波羅勢を散々に蹴散らし氣勢を上げてゐたが、太平記に「折節、深山颪の烈しくして、御簾を吹き擧げたるより、龍顏を排し奉りたれば、主上にておはしまさず、尹大納言師賢の、天子袞衣を着し給へるにてぞありける。大衆これを見て、「こはいかに、天狗の所行か」と興を覺ます。それより後は、參る大衆一人もなし。かくては、山門いかなる野心をか存ずらんと覺えければ、その夜の夜半ばかりに、尹大納言師賢、四條中納言隆資、二條中將爲明、忍びて山門を落ちて、笠置の岩屋へ參ぜらる。」と記されてをり、風が吹いて御簾が上り、師賢卿が主上に成りすましてゐることがばれて、興ざめした延曆寺の宗徒が總崩れした。
正體がばれて延曆寺にゐることが出來なくなつた師賢一向は主上と合流すべく笠置をめざし無事合流したが、ほどなくして笠置も落ち、捕らへられてしまふ。捕らへられた後は、下總國に流された。
太平記はかう記す。「この卿、志學の昔より和漢の才を事として、榮辱の中に心を留め給はざりしかば、今遠流の刑に逢ひぬる事、露ばかりとも意に懸けて思はれず。~中略~わが朝の小野篁は、隱岐國へ流されて、「わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬ」と釣りする海人に言傳てて、旅泊の思ひを詠ぜられる。皆時の難易を知つて、嘆くべきを嘆かず、運の窮達を見て、悲しみあれども悲しまず。況や、「主憂ふれば卽ち臣辱められ、主辱めらるれば卽ち臣死す」と云ひて、たとひ骨を醢にせられ、身を車裂きにせれるゝとも、傷むべき處にあらずとて、この人少しも悲しみ給はず。たゞ、時により興に觸れたる諷詠、等閑に日を渡る」と。公卿と聞くと今の變な歷史敎育の所爲で靑白い顏した腹黑い人物のやうな印象を持つてゐる方も多いと思ふが、大抵はさやうなことはなく中には師賢や四條隆資のやうな剛毅な方もゐる。
下總國に流された師賢卿は、この地で病に犯され、圓寂したとのことで、當社の社殿の裏に師賢卿の塚がある。當社は、後醍醐天皇の身代はりとなつた花山院師賢卿を祭神とすることから、災ひの身代はつりになつて吳れると言ふことで「身代はりの神」として、交通安全・航空安全に御利益ありとして信仰さてゐる。航空安全は鎭坐地が成田であるからかな。

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▼社號標の文字は近衞文麿の書のやうだ。
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▼拜殿
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▼ご本殿
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▼師賢卿墓所
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2016-10-09

鹿島神宮

武甕槌大神をお祀りするお社で、創建は神武天皇元年と言はれてゐる。武甕槌大神と經津主大神は二柱で國讓りの交涉をしていらつしやるので、經津主大神をお祀りする香取神宮と當社は古來より緣があるお社であつたやうだ。香取神宮も軍神として勝負ごとに御利益があるとされてゐるのと同樣に當社も勝負每の御利益があると言はれ、鹿嶋をホームタウンにする鹿嶋アントラーズが每年お參りしてゐたと思ふ。
當社の近くに昨日ご紹介した鐮足神社が鎭坐してをり、當社と藤原鐮足との關聯で藤氏からの崇敬も篤いと言はれてゐる。それゆゑ春日大社との緣も深く、春日大社は鹿島神宮から武甕槌命を御蓋山山頂浮雲峰に勸請した事に始まるとされてゐる。因みに、當社の鎭坐してゐる場所は三笠山とも言はれるさうだ。當社と藤氏、春日大社との緣を深く感じる。
現在の社殿は江戶に入つてからの造營とされてゐる。さう言へば、確か新撰組局長の芹澤鴨が當社をお參りした際に、拜殿の太鼓が大きすぎて目障りだとして毀したと言ふ事があつたやうな記憶がある。なんとも罰當たりな奴である。
お參りした時は、下の寫眞のやうに所用がありゆつくりとお參りできなかつた。いつか今度はゆつくりと當社の境內を隈なくお參りしたいと思ふ。

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▼拜殿。
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▼ご本殿。
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▼舊拜殿。
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▼奥宮。
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▼細石。
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▼香取神宮にもあつた「要石」
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▼軍神にお參りもすませたので、さてサッカー觀戰とまゐりませう。
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▼アウェイ側に建つ鹿嶋のレジェンドのジーコの像。
アウェイ側にあるので、時々惡戲されてしまふ。このクラブのサポーターは特にさうだ。
その爲、柵がしてあり警備員がゐる。
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▼「TOTOビック」ならぬ「鹿ビック」。思はず吹いてしまつた。
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▼今囘はひつそりと「オレっちの地酒コーミャー♪」
愛友酒造さんの「神の池」。こちらの藏元は鹿島神宮の御神酒を醸す藏元さんである。
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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