2017-03-11

梅園神社と越生梅林

元々は小杉天神社と稱し北野天滿宮を勸請したお社だつたが、明治に入り周邊のお社を合祀し梅園神社と社名を變へた。小杉天神社を勸請した時に菅原道眞公に肖り梅を植ゑたさうで、それが今日の越生梅林の元になつたとのこと。
季節は梅の花が咲く頃。こゝは弓立山や黑山に走りに行つた時によく通つた場所。その時は花も枯れ夏の暑い風が體を痛めつける辛い場所だつたが、この時季は梅の甘い香りと小粒の可愛い花で華やかで心躍る景色に變はつてゐる。

君ならで誰にか見せむ梅の花 色をも香をも知る人ぞ知る(古今38春歌上:紀友則)

「あなた以外の誰に見せやうといふのか梅の花、花の色も香りも私達だけのものにしてをきませう」と言ふ感じの歌。こんなこと言つてみたいけど、少し氣障ですね。

よそにのみあはれとぞ見し梅の花 あかぬ色かは折りてなりけり(古今37春歌上:素性法師)

「たゞ遠くにあつて素晴らしいとみてゐた梅の花 人を飽きさせないものだとは折ってみて初めて解つた」と言ふ感じでせうか。上代では花と言へば櫻ではなく梅だつたさうだ。これは古代支那の影響ださうで、遣唐使を廢した後は國風に目覺め、梅から櫻が大いに好まれるやうになつたとのこと。櫻はすぐ散つてしまふ樣が吾々の心を擽つたのかな。確かに櫻も良いが、橘右は梅も好きだな。
最後に伊勢の歌を一首。

春ごとに流るゝ川を花と見て 折られぬ水に袖や濡れなむ(古今44春歌上:伊勢)

「春每に流れる川に花があると見間違へて、(花が)折れなくて水に袖を濡らしてしまうのでせうか」と言ふ感じでせうか。「春ごとに」と言ふので伊勢は每年同じことをしてゐるやうだ。綺麗な淸流に映る梅の花は綺麗だと言ふことは解る。その淸流に映る梅を折つて見たいと言ふのも解る面白い歌だと思つた。梅林に古今集も持つて出掛けると言ふのは良いものだな。

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▼傷みが目立つやうになつて來てゐますね。覆屋の中にご本殿があります。
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▼では、梅林のはうでまゐりませう。
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▼越生のゆるキャラ「うめりん」
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▼太田道灌ね、良いね。でも橘右的には畠山重忠のはうが良いな。
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▼凄い。倒れても花が咲いてゐる。
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▼室町初期の頃の木だとか。凄いな。
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▼梅林のすぐ近くに酒藏がある。
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▼「越生梅林」と言ふ名の原酒を購入。瓶にこれがついてゐた。サイズがぴつたりで笑へる。
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2017-03-08

宝登山神社

神日本磐餘彥尊、大山祗神、火產靈神をお祀りするお社で、創建は景行天皇四一年(百十一年)と傳はる。社傳によると、日本武尊が東征の折りに、當社のある山の山頂で遙拜しようとした時の事であるが、ちやうど當社の里宮のご本殿が鎭坐してゐるところで淸淨な泉を發見し、禊を行つた。その後、山頂への路の途中で山火事に遭ひ、周圍を火に圍まれた。その時にどこからともなく山犬が現れ、火に飛び込んで火を消し、山頂まで案內した。これにより、尊は無事に山頂で遙拜することが出來たので、窮地を救つて吳れた山犬に感謝したところ、山犬は忽然と姿を消した。尊は山犬が大山祗神の使ひであつたことを知り、防火守護の爲に火產靈神を拜し、山麓に三柱の神をお祀りするお社を建立したとされる。この時、この山は尊により「火止山」と名付けられた。
現在、ご本殿を圍ふ玉垣の內側に日本武尊が禊した泉があるほか、山頂には奧宮がある。

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▼こゝからは奥宮です。
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2017-03-04

聖護院

本山修驗宗に屬し、寺號を聖護院と稱す。たぶん山號はないと思ふ。ご本尊は不動明王で、開基は增譽。開基の增譽が後白河天皇の熊野行幸の先達を務めたことから寺號を賜つたさうだ。寺號は「聖體護持」を略したもの。當寺の緣起が後白河天皇の熊野行幸であることから、熊野との親和性が高いこともあり當寺の修驗道の門跡寺院として隆盛を極めた。が、明治に入り修驗禁止令が出て衰頽してしまふ。江戶期は門跡寺院であることもあり末寺は相當數にのぼつたさうだが、修驗禁止令後末寺が激減、末寺に安置されてゐた佛像はその後個人などで保管してゐたが樣々な理由により管理し切れなくなり相當數當寺に持ち込まれたとのこと。その中で、弁財天尊像は着衣がボロ/\になつたので新調して着せ替へたところ、お像の表面にびつしりと極彩色で彩られた裝飾が殘されてゐた。長い間着物で日の光を遮つてゐたからこその奇蹟なんだらうと思ふ。實にすばらしい。
なほ、この弁財天尊を含む佛像や宸殿、本堂は通常は非公開。今年は京都の冬の特別公開に合はせて公開された。

▼畫面では解りづらいですが、撮影中に雪が激しくなつた。
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▼宸殿
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▼書院から見た庭。正面の建物はご本堂。
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▼ご本堂
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2017-03-03

鷺森神社

をりゐるを見し鷺の森すきかてに わけきて今日はむかふ神垣

こちらのお歌は靈元天皇の御製。境內に御製の記念碑が建つてゐる。當社は貞觀年間(八五九年から八七七年)に創建され、靈元天皇の思召しにより現在の鎭坐地に遷坐した。ご祭神は素戔嗚尊で、その緣なのか八重垣の石が境內にある。なんでも觸れると惡緣と絕ち良緣を呼ぶさうだ。素戔嗚尊と八重垣と言へばこの歌ですね。

八雲立つ出雲八重垣妻籠みに 八重垣作るその八重垣を

この歌は古今和歌集假名序なので和歌の始まりと紹介されてゐる有名な歌。この歌に因んでゐるから緣結びの石となつたと思はれる。

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▼都思ふ夢路や今の寢覺まで いく暁の隔て來ぬらむ
千種忠顯とは、後醍醐天皇の側近。雲母坂附近で足利直義と戰ひ戰死した。叡山ケーブルの叡山驛の近くに千種忠顯卿戰死の地と言ふ遺蹟がある。
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▼參道はかなり長い。
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▼靈元天皇御製の碑
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▼御幸橋。現在は曼殊院へ通じてゐる。
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▼八重垣の石。
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▼拜殿
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▼修學院近くに鎭坐する御旅所。
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2017-03-02

赤山禅院

皇城表鬼門の守護を擔ふお寺。お寺なのかなと言ふ佇まひだけど、天臺宗の塔頭ですのでお寺です。ご本尊は赤山明神とも呼ばれてゐる泰山府君。泰山府君は佛敎の御佛なのかな。僕の智識では陰陽道で信仰されてをり、安倍淸明が死者を蘇ら經させることのできる神であるが、もしかしたら多少違ふのかもしれない。寺傳によると慈覺大師圓仁の遺命を安慧が繼いで、泰山府君を勸請して建立したとのこと。ちやうど平安京の鬼門に當ることから、代々皇室からの篤い崇敬があり、修學院離宮に度々行幸された後水尾天皇から「赤山大明神」の敕額を賜つた。
境內には泰山府君をお祀りするご本堂の他、地藏堂、弁財天と福祿壽をお祀りするお堂、雲母不動堂がある。拜殿の屋根の上に猿が置いてあつたさうだ。降り頻る雪に氣を取られて見落としてしまつた。殘念。

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▼參道。緩やかな坂を登ります。脇の苔が靑々しくて綺麗。
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▼屋根の上にさるがをります。猿は日吉社の使ひ。皇城鬼門を守護する爲だと思はれます。
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▼ご本堂
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▼お地藏樣をお祀りしてゐる。
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▼こちらは出世辦財天と呼ばれる辦財天をお祀りしてゐる。
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▼福禄寿殿
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▼不動堂。突然、雪が激しくなつて來た。
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▼突然の雪でポンチョを着れなかつたみャ。雪が顔に積もるから早く撮れみャ。
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▼あつと言ふ間に苔に雪が積もつた。
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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