2017-07-29

聖天宮(坂戸)

勝呂神社の近くを車で走つてゐると、なんとも異樣な光景に出くはした。なんか厭な感じである。なぜかと言ふとあまりにも支那風な門と建物が見えるからだ。全く支那人と來たら、また浸蝕して來たのかと思つた。でも、安心した。現在の支那とはなんら關係がなく、臺灣の方が建てたさうだ。と言ふことで、早速行つてみることにした。たゞ、まあ、なんか少し蟠りと言ふのは殘る。と言ふのは、臺灣の僧侶が大病を患ひ、三淸道祖と言ふ神樣を拜んだらその不治の病から恢復されたさうで、その時に恩返しとして宮を建てようと思ひ、臺灣ではなくわざ/\日本に建てたとのこと。いや、生國が臺灣ならそちらに建てたはうがよかつたのではと多少思はなくもない。その土地、その土地には地場の神樣がゐるものだ。地場の神樣がゐる譯なので、あまり無理に異國の神樣を持ち込むのは愼重にしたはうが良いと思はなくもない。
こちらは道敎の寺院ださうです。至る所に龍の彫刻が施され、なんでも五千はあるさうだ。異國情緖のある場所だつた。

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▼百日紅は夏の花。綺麗に咲いてゐたな。
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2017-05-22

陽雲寺

曹洞宗に屬し、山號を崇榮山、寺號を陽雲寺と稱す。齋藤盛光と言ふ人物が開基。元々は、崇榮寺と稱してゐたが、天正十年(一五八三年)の神流川の合戰で燒失。武田信玄の甥の川窪信俊が再興した。川窪は、再興する際に自身の養母である武田信玄の妻の陽雲院の名を寺名にした。そのことから、寺寶として信玄と陽雲院の畫像がある。
また、當寺は新田義貞が鐮倉幕府打倒の祈願をしたさうで、新田勝軍不動堂と呼ばれてゐたこともあつたさうだ。現在、この不動明王をお祀りする新田勝軍不動堂は神流川合戰で燒失したと思はれ現存してゐない。但し、こちらには新田四天王のひとり畑時能を供養祠がある。畑は新田義貞の死後も脇屋義助に隨ひ足利高氏に抵抗したが、興國二年(一三四一年)に多勢に無勢で伊知地(現福井縣勝山市伊知地)の地で斯波氏に突擊し數時間の激鬪の末、曠野に屍を曝した。その時、重臣の兒玉光信が首級を故鄕の金窪に持ち歸り、供養祠を建てた。この祠は、畑時能と兒玉光信の名をとつて「畑兒塚」と呼ばれてゐる。

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▼現地では特に説明がなかつたが、これは恐らくお堂の址に間違ひない。
新田勝軍不動堂の址だつたりして?
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2017-05-17

高蔵寺

眞言宗豐山派に屬し、山號を見星山、寺號を三輪院高藏寺と稱す。ご本尊は金剛界大日如來。足利將軍家代々の武運長久祈願所として康安二年(一三六二年)に開かれた、足利將軍家との緣が深いお寺。
こちらのお寺は、石楠花が有名。しかし殘念な事に、お參りした時は時旣に遲しで、盛りを過ぎてしまつてゐた。殘念。

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▼ご本堂
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▼ご本堂の裏手にあつた不思議な木。二つの異なる木が共棲してゐる。
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▼龍の形をした流木。
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▼さて石楠花園にまゐりませう。
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▼このとほり大半は枯れてをりました。
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▼靑もみぢは綺麗でした。
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▼芍藥が咲いてをりました。
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▼正面のお庭。
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▼正面はからうじて咲いてをりました。
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2017-05-13

塩船観音

眞言宗醍醐派の別格本山で、山號を大悲山、寺號を鹽船觀音寺を稱す。ご本尊は十一面千手千眼觀世音菩薩で、寺傳によると開基は八百比丘尼とのことで、創建は大化年間(六四五645年~六五〇年)とのこと。大變古いお寺である。當寺は武藏七黨の村山黨の一派である金子氏の本據に近く、金子氏の篤い崇敬を受けたり、靑梅を本據としてゐた三田氏の庇護を受けてをり、現存するご本堂等は室町後期のものが多い。
鹽船觀音と言へばなんと言つても躑躅。護摩堂の周圍をぐるりと圍む躑躅は壓卷である。

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▼阿彌陀堂
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▼ご本堂
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▼護摩堂
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▼お參りした日は柴燈大護摩が行はれてゐた。
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2017-05-10

茂林寺

曹洞宗に屬し、山號を靑龍山、寺號を茂林寺と稱す。ご本尊は釋迦牟尼佛。大林正通と言ふ僧が應永三三年(一四二六年)に開山した。
當寺には澤山の狸、それも茶釜から顏をだした狸が置かれてゐた。なんでも、「分福茶釜」所緣のお寺だとか。
當寺にゐた守鶴と言ふ僧が持つてゐた茶釜は水をいくら汲んでも涸れなかつたさうで、この茶釜でお茶を振る舞つたことから「分福」の茶釜と呼ばれた。ある時、守鶴が晝寢をしてゐた時に彼の股間から狸の尻尾らしきものが生えてをり、守鶴がインドで釋迦の說法を受けて日本にやつてきた狸であつたことがばれてしまひ、彼は茂林寺を去つたと言ふ說話がある。この話がもとで「分福茶釜」の話が出來たさうだ。

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▼ご本堂は萱葺だけぢやなく、とても大きくて威風堂々と言ふ感じでした。
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▼本堂裏の庭園
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▼だからゆるキャラが狸&茶釜でした。
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
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