FC2ブログ

2018-12-13

目白庭園

今年は紅葉のちやうど良い時期にFT50がありましたので、例年のやうに紅葉の名所めぐりとはなりませんでした。それに今年は天候が變でしたので、紅葉もどことなし元氣がないと言ひますかあまり綺麗ではないやうな感じに見えた。
そんな中、一か所くらゐは行きたいと思ひ、目白にある目白庭園に行きました。大名の庭園を公園化したとかではないこじんまりとした庭園ですが、それでも都內にある公園の中で一二位を爭ふ事が出來るほど風流な庭園だつた。借景がなあ、と思ひましたが場所柄仕方がない。
歷史の小路を步くは次囘から再開します。

mejiroteien01.jpg

mejiroteien02.jpg

mejiroteien03.jpg

mejiroteien04.jpg

mejiroteien05.jpg

mejiroteien06.jpg

mejiroteien07.jpg

mejiroteien08.jpg

mejiroteien09.jpg

mejiroteien10.jpg

mejiroteien11.jpg

mejiroteien12.jpg

mejiroteien13.jpg

mejiroteien14.jpg

mejiroteien15.jpg

mejiroteien16.jpg

2018-12-11

トレニックワールドin大高取山

今年は大山登山マラソンに始まり、ハセツネ30k、毛呂山トレラン、丸山スーパートレラン、雨の武甲山、所沢航空公園から彩湖に替はつた8耐、失意の富士登山競走、そして更に失意の制限時間オーバーのトレニックin外秩父、そして初のエンデュランスポイントゲットのFT50と九大会に出場しました。この中にフルマラソンの大会がひとつもないけど、そして失意の大会がふたつほどあり悔しい思ひをしたけど、まあ、充実した一年でしたかね。そんなトレランデビューイヤーの締めくゝりとして十二月二日に第0回と銘打つてゐるトレニックワールドin大高取山に出走しました。全長は約10kmで大高取山を登ります。
この大会は、初心者の大会デビューの機会を設ける等の目的があるとのことで難易度は低い。参加者を見るとやゝ年齢が高さうだつた。第0回の意味は、来年に開催するさうで今年は運営側の予行演習も兼ねたり出走者に意見を求めたりする事でプレ大会と言ふ位置付なので第0回としたさうです。
さて、受付を済ませるとある事に気が付いた。いつもならある計測用のチップ類がない。やうはタイムを競ふのではなく完走する事が大切と言ふメッセージかと思ひきや、腕時計で時間を測ると言ふ原始的な方法を取つた(多分予算的な問題でせう)と言ふ事のやうだ。しかも、スタートは地面に線を引くと言ふこれまた原始的。手作り感があつて良いですねえ。来年にはこの辺りは準備されるのだらうと思ひます。
ブリーフィングを経ていよ/\スタートとなりました。なんと、スタートしてトレイルに入る頃には僕の前に一人居て差は10mくらゐかな、後も10mくらゐ開いてゐたかなと言ふことでいきなり二位に。てな事になりますと、ポディウムに乗る絶好のチャンス!そんなことは今回以外絶対にない。てな事になると、今季最後のレースでゆるく走つて楽しくなんてことは全部ぶつ飛び、ギアがトップにアップ。前の人、速い。登りで徐々に差が開く。下りでは差が開かないもののつまりもしないやうな感じ。さくら山公園の山頂附近の登りで前の人が見えなくなるほど差がついてしまつた。が、後も姿が見えない。この大会、前の人と僕が頭一つ抜けてゐる感じで、後の人はほんたうに初めての大会、或いは初めてのトレランの人ばかりだつたやうだ。さくら山山頂から幕岩を経て大高取山の頂上で折り返す。折り返しの10mほどで前の人の姿がないのでおそらく50m以上は差がついたのだらう。なにげに悔しい。遊びで出る筈なのに、ギアがトップに入つて体力がどん/\削られてゆく。FT50から二週間しかたつてゐないので、まだ疲労が残つてをり、残り4kmくらゐから思ふやうには速度が出ない。それでも、大高取山附近は走り易いので、それなりの速度にはなつてゐると思ふ。大高取山山頂から桂木観音をめざし、途中でゆうパークのはうに左折をしてすぐ左折をするコースであつたが、どうやらこゝで道を間違へてしまつたやうだ。コース図には「だいこうじ跡」と言ふ事が書いてあつたがそんな場所を通つた記憶がない。あれ?おかしいと思つたがいまさらどうしようも出来ない。とにかく下りだけだし全力でゴールを目指すかと思ひ、すこしひつかゝりがありながらもゴールを目指しました。
ゴーーール! あれ?前を走つてゐる人がゴールしてゐない。あゝ、やつてしまつた。コースをロストしてショートカットしてしまつた。
てな譯で今季最後のレースでやつてしまひ、折角のポディウムが一転して失格となつてしまひました。嗚呼、殘念。無念。

▼この大會は、ゆるく走らうと思つてをりいつぱい寫眞を撮らうと思つてをりましたが、上記のとほりギアがトップに入つてしまひ、寫眞どころではなくなりました。
なので、寫眞はこの寫眞だけ。
IMG_3519.jpg


2018-12-09

秋の鎌北湖

さて、歷史の小路を步くは少々お休みしまして、紅葉狩などとまゐりませう。
FT50の第一エイドを出發したあとすぐに鐮北湖を一周した。これまで鐮北湖は何度も走つたことのある僕的には庭のやうな場所であるが、あの時ほど鐮北湖が廣いと感じたことはなかつたな。まるで琵琶湖のやうだつた(笑
さて、埼玉大好きな橘右は今年の紅葉は何處でみようかと思案してゐた。う~ん、走つてゐるときは辛すぎて良くみれなかつたので鐮北湖にいかうと思ひFT50の翌週に鐮北湖で紅葉狩りをした。朝から晴れてゐて良い天氣だつたが、鐮北湖に着くや否や雲がかゝり生憎の天氣となつてしまつた。なんだかな・・・。
走つてゐる時は、まじ/\とはみないと言ふかそんな餘裕がないので、視界に入つて來たものが認識されるか苦痛で認識できないかのやうな感じになつてゐたので今年の鐮北湖の紅葉はいまいちかなと思つたが、確かに落葉にならず枝に殘つてゐる狀態で旣に枯れて縮れてゐるものも多くあるが、やはり湖面に映るもみぢは綺麗でした。

koyokama01.jpg

koyokama02.jpg

koyokama03.jpg

koyokama04.jpg

koyokama05.jpg

koyokama06.jpg

koyokama07.jpg

koyokama08.jpg

koyokama09.jpg

koyokama10.jpg

koyokama11.jpg

koyokama12.jpg

koyokama13.jpg

koyokama14.jpg

koyokama15.jpg

▼高麗川驛近くに新たにオープンしたカフェ「coffee addict」さんでの一幕。
koyokama16.jpg

2018-12-07

武田信義騎馬像(韮崎市役所)

韮崎市では、中田英寿と竝んで鄕土の英雄だからでせうね、市役所の表玄關の脇に武田信義の立派な騎馬像がある。
武田の旅はこゝで小休憩。

nirasakishi01.jpg

nirasakishi02.jpg

nirasakishi03.jpg

nirasakishi04.jpg

nirasakishi05.jpg

nirasakishi06.jpg

2018-12-05

武田信義館址

新羅三郞義光の孫の逸見冠者淸光には何人かの子がをり、そのうち長男と次男は一卵性雙生兒だつたさうだ。先に產まれたのが光長で、逸見鄕を繼承し逸見を名乘つた。次男の信義は、武田八幡宮で元服をしたことから、武田冠者と名乘つたさうだ。ちやうど信義の祖父義淸が居を構えた地である常陸國久慈郡武田鄕と同じ名だ。
平治の亂には關はりを持たなかつた淸光親子は同じ河內源氏ながら無傷で甲斐にゐた。時が流れ、中央では平氏の世の中にあり源氏ながら大出世した源三位が以仁王を奉じて平氏に叛旗を飜す。以仁王と源三位は態勢が整はないなか平氏に攻められ亂は速やかに終熄するのかと思はれたが、平氏の意に反して大きなうねりとなり、關東で大きな火柱が上がる。賴朝の擧兵だ。初めのうちは大庭景親、伊東祐親に打ち負かされ伊豆で起こした火種は消えたかに見えたが、上總、千葉氏、そして畠山、葛西などの秩父平氏と武藏七黨の助力を得て息吹を吹き返す。鐮倉に入り關東を手中に收めた賴朝は、足場を固め終つたと判斷し中央へと駒を進めた。緖戰は富士川。
この時、逸見光長、武田冠者信義はなにをしてゐたのだらうか。逸見光長は目立つた動きが無いやうだが、武田冠者信義は、以仁王の令旨を奉じて甲斐にゐる平氏を甲斐から追ひ出し、更に南下して駿河へ進出、駿河目代・橘遠茂や長田入道を討ち取り駿河を抑へた。そこに鐮倉から出發した賴朝勢が到着。賴朝勢と合流し富士川で勝利(いや、平氏の自滅か)を得て、そのまゝ、賴朝の名代の範賴、義經らと共に京へ進軍した。この時、河內源氏は、爲儀の四男帶刀義賢の子の義仲と爲儀の長男の義朝の三男の賴朝、そして新羅三郞を祖に持つ武田信義の三人が源氏の實力者として竝び立つてゐた。
果せるかな內輪揉めを直ぐ起こす河內源氏である。三者が竝び立つことはあるまい。平氏が京から追ひ落とされたのもつかの間、互ひを相容れない八幡太郞の子孫たちが先づ初めに反目しあふ。この時、武田信義は賴朝についた。まあ、その選擇は正しい。信義も甲斐、駿河を手中にした一大勢力だ。選擇に餘裕もあらう。義仲の滅亡後は、賴朝の名代の範賴、義經らと共に協調して一の谷や壇ノ浦に參戰した。
さて、內輪揉めが好きな河內源氏のことだ、このまゝ信義が無傷でゐられる譯はない。と言ふのも、賴朝は義經も範賴も討つてゐる譯だ、血を分けた弟でさへこれだ。信義は血を分けたと言つても四代も前、賴朝の猜疑の目は信義にも降りかゝるのは火を見るよりも明らかだ、避けては通れまい。
武田信義は、子の一條忠賴を賴朝の魔の手にかゝり失ふだけでなく甲斐出兵を招くなど危機を迎へるが、賴朝と干戈を交へることを巧みに避けて何とか命を繫いだ。とは言ふものの地位は鐮倉の御家人に落ちただけで、依然として甲斐には鞏固な基盤を維持した譯で、これまで同族でつぶし合つた河內源氏の行動からすると頗る悧巧な人物である。もしかしたら、爲儀、義朝の親子相剋や義賢、義平、或いは賴朝、義仲の從弟相剋、賴朝、義經の兄弟相剋のやうなことは八幡太郞の血筋のなせるわざで新羅三郞は無關係なのかもしれない。
治承壽永の動亂を乘り切つた信義は、文治二年(一一八六年)に病歿。家督は石和五郞信光が繼いだ。

nobuyoshi01.jpg

nobuyoshi02.jpg

nobuyoshi03.jpg

nobuyoshi04.jpg

nobuyoshi05.jpg

nobuyoshi06.jpg

nobuyoshi07.jpg
プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
淡々と百人一首
    フリーエリア
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR
    御訪問ありがたうございます