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2018-10-20

長瀞秋の七草寺廻り~その六:葛~

葛の花の印象は他の六つの花(一つは穗で花ではないが)よりも薄い。葛はくずきりや葛根湯など食用に藥草として身近にあるものではあるが、花となるとあまり印象に殘つてゐない。萩と同じく絕滅が心配されるやうな花でもなく食用や藥用で栽培されてゐるから風景として一般的ではあるが、葉の大きさの割には花が小さくて目立たないからかな。さて葛の歌なんですが、葛は「かづら」とも呼ばれてをりまして、かづらと言ふと頭髮がうす・・・・、ぢやなくて「さねかづら」と言へば、三條右大臣の歌ですね。

名にし負はば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな(後撰701戀歌:三條右大臣)

かづらと言ふことになると蔓のはうになるらしく、この歌はさねかづらの蔓を傳つて愛する人に逢ひたいと言ふことを詠つてゐる。但し、さねかづらと葛は違ふものなので、葛で探してみませう。

秋風の吹き裏返すくずの葉の うらみてもなほうらめしきかな(古今832戀歌五:平貞文)

葉の歌で花の歌ではないやうですね。葛の葉は裏側が白いやうです。裏返す、葛の葉(裏側に特徵がある)、恨むの「うら」が三つかかつてをります。戀歌ですので振られたのでせうね。この歌の核は下の句ですね、うらんでも恨み切れないと言ふ感情を上の句で、「うら」をかけるために詠んだのでせう。相當恨んでゐるのでせうか、うらを三つかけることで恨むが强調されて、詠み手の悲しみが傳はる秀歌ですね。貞文のことですから、振つた相手に詠まれた歌なのかもしれませんね。

神無月時雨しぬらし葛の葉の うちこがる音に鹿も鳴くなり(拾遺218冬歌:詠み人智らず)
風はやみ峯の葛葉のともすれは あやかりやすき人の心か(拾遺1251戀歌:詠み人智らず)

こちらの歌も花では無く葉ですね。歌番218は神無月(十月)だから冬ですね。拾遺和歌集が編纂されたころは平安時代ですから太陰曆を使用してをりますので、凡そ十一月の中旬以降ですかね。冬の冷たい雨が葛の葉を濡らしながら音がするのでせうか、そんな寒いんだから鹿も鳴くよなと言ふ感じですかね。
1251番は、風が早いので峰の葛の葉の裏側を、やもすれば人の心は眞似をするのだらうかといか言ふ感じでせうかね、いつも滅茶苦茶な譯ですみません。貞文の歌も葛の葉の裏で心變がはりをイメージしたのだと思ひますし、この歌もだぶんさうなんだらうと思ひます。さう考へると葛の葉はマイナスイメージなんでせうかね。
さて、なんとなく暗くなつてまゐりましたので、次囘の尾花へとまゐりませう。

▼葛は遍照寺です。
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▼トロは步き疲れました二ャ。
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2018-10-18

長瀞秋の七草寺廻り~その五:萩~

さて、もう第五囘となりした長瀞の七草寺廻りですが、今囘は萩。萩は多くの歌があります。

秋萩にうらびれをればあしひきの 山下とよみ鹿の鳴くらむ(古今216秋歌上:詠み人智らず)
秋萩をしがらみふせて鳴く鹿の 目には見えずて音のさやけさ(古今217秋歌上:詠み人智らず)
秋萩の花咲きにけり高砂の 尾上の鹿は今や鳴くらむ(古今218秋歌上:藤原敏行)
秋萩の古枝に咲ける花見れば もとの心は忘れざりけり(古今219秋歌上:凡河內躬恆)
秋萩の下葉色づく今よりや ひとりある人のいねがてにする(古今220秋歌上:詠み人智らず)
鳴き渡る雁の淚や落ちつらむ 物思ふ宿の萩の上の露(古今221秋歌上:詠み人智らず)
萩の露玉にぬかむととればけぬ よし見む人は枝ながら見よ(古今222秋歌上:詠み人智らず)
折りてみば落ちぞしぬべき秋萩の 枝もたわゝに置ける白露(古今223秋歌上:詠み人智らず)
萩が花散るらむ小野の露霜に 濡れてをゆかむ小夜はふくとも(古今224秋歌上:詠み人智らず)

萩は花だけでなく、花に落ちる露と下葉ですので葉つぱも歌に詠まれてゐます。萩の葉は色づくの紅葉としても詠まれたやうだ。

秋萩も色づきぬればきりぎりす 我が寢ぬごとや夜はかなしき(古今198秋歌上:詠み人智らず)

なので、この歌で色づいたと詠まれたのは葉のはうですね。餘談ですが「きりぎりす」は現在で言ふところの蟋蟀です。蟋蟀の鳴き聲が秋萩の深まる色を合せることでより寂しげになるやうに工夫された歌だと思ひます。七草の中でも多く歌が詠まれる背景としては、どこにでも咲いてゐるかなかな。藤袴と桔梗は絕滅が危惧される花で撫子も女郞花も自生する場所が減少してゐるなか、萩はそんなこともなく東京の六つの庭園公園にも必ず咲いてゐるよく見かける花ではある。背の低い木で葉が枝垂れるやうに伸びて、その枝いつぱいに小さい花が咲いてゐる姿は確かに美しいが、寫眞に撮るとなんだかいまいちにしか映らない。まあ、僕の腕の拙さもありますが。
たゞし、下葉が紅葉してゐても僕はあまり綺麗だと思はないんだよな。葉が小さく密集してゐるからかな。確かに靑いなかで黃色く色づいてゐるのは良い感じだとは思ふけど、やはり楓や銀杏のはうが綺麗かな。
かうして歌を竝べて見ると、萩は鹿と一緖に詠まれたりしてゐますね。「奧山の紅葉踏み分け鳴く鹿の~」の歌はたぶん、小楢か橅だと思ふ。と言ふのは鹿が紅葉を踏み分けるのか、詠み手が紅葉を踏み分けて奧山をハイキングしてゐるのかどちらにもとれる歌だが、どちらも踏んで音がすると言ふか地面一面に落葉がある樣を詠んでゐるので、萩の葉は小さくて少々印象が合はない。それに萩の下葉が紅葉の絨毯のやう地面に落ちた風景を僕は思ひ浮かべられない。てな譯で猿丸太夫の歌の紅葉は萩ではないですが、秋の深まりゆく時期は鹿が景物だつた。なので、萩も鹿と共に詠まれるやうだ。
奧武藏の山で萩の下葉が色づいてゐる樣を見るのは良いなと思ふが、鹿には出逢ひたくないな。鹿と言つても多分日本氈鹿だが、つまりリアルムサッシーで可愛いとは思ふが一瞬熊かと思ふので心臟に良くない。
あれ、なんか變な話になつてゐるやうだ。なので、萩の歌はこの邊りで終りにしませう。

▼萩は洞昌院。
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▼お寺の外には栗の木があり實がなつてゐました。秋ですね。
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2018-10-16

長瀞秋の七草寺廻り~その四:桔梗~

古今集から桔梗の歌を探してみました。

秋ちかう野はなりにけり白露の おける草葉も色かはりゆく(古今440物名:紀友則)

この歌は、物名と言ひ物の名前を歌に詠み込む手法を用ゐて詠まれたもの。あきちかうの初句のところに詠まれてゐる。桔梗は、音は「キキョウ」ですが假名遣ひでは「ききやう」です。が、平安のころは「きちかう」と書かれてゐたやうです。で、もつと面倒な話をしませう。秋の七草の元となる山上憶良の歌を今一度見てみよう。

萩の花尾花葛花瞿麥の花 姬部志また藤袴朝貌の花

萩、尾花、葛、瞿麥はなでしこで、姬部志はをみなえしで藤袴、そして最後は朝貌となつてゐますね。朝貌が秋の七草の筈ですよね、なのに桔梗。どうしてなんでせうか?
で、調べましたらどうやら桔梗=朝貌のやうです。現代人が朝顏と呼んでゐる花は、晝顏科の花で遣唐使が唐より持ち歸つたものとされてゐる。遣唐使が持ち歸つたので、奈良時代から平安時代の初期の頃ですね。なので古今集が編纂された頃には朝顏は日本にも咲いてゐたと思はれます。が、どうなんでせうか、あまり數は多くなくて歌人に廣く認知されるまでは至つてなかつたのでせうかね。それに朝顏だと秋には萎んで枯れてゐますよね。桔梗は撫子と同じで花の咲く時期が長いので秋の草に入るのは解る。さて桔梗(朝貌)ですが、古今集には友則の歌くらゐしか載つてゐないと思はれます。朝貌のはうは更にないかもしれません。千首もありますから見落としてゐるのかもしれませんが。では拾遺集ではどうか。

あだ人のまがきちかうな花植ゑそ にほひもあへず折りつくしけり(拾遺363物名:詠み人智らず)

またもや物名ですね。これくらゐしかないと思はれます。では朝顏のはうはどうでせうか?

朝顏を何はかなしと思ひけむ 人をも花はさこそ見るらめ(拾遺1283哀傷歌:藤原道信朝臣)
もろともにをるともなしにうちとけて 見えにけるかな朝顏の花(後撰716戀歌三:詠み人智らず)
何か思ふ何をか嘆く世の中は たゞ朝顏の花の上の露(新古今1917釋敎歌:淸水觀音御歌)

この三首を探すことが出來ました。なんとなく儚いと言ふか物悲しげな感じの歌ですね。美し深い靑い花の色とは對照的な氣もしないでもないですが、その綺麗な花が逆に沈んだ心に深く刺さるんでせうかね。
歌が少ない割には文が長くなつてまゐりました。きちかうはこの邊りで終りにして次に行きたいと思ひます。

▼多寶寺は桔梗です。
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2018-10-14

長瀞秋の七草寺廻り~その三:藤袴~

歌の前に藤袴とはどんなお花か。昨年に水元公園で藤袴を見てその寫眞を投稿しましたが、實は藤袴は準絕滅危惧(NT)種で咲いてゐることが珍しい花です。たゞ、見た目はさほど綺麗には見えないです。話では良い香がするさうですが、數が少ないからでせうかね、長瀞の七草寺の境內からはその良い香りは感じられなかつた。
で、法善寺の境內は確かに藤袴が澤山咲いてゐた。が、白色と薄い靑い花の色で背丈も低い。確かに花の形は似てゐるが、なんか違ふ。實はこの背丈の低い白や靑の花は藤袴のやうなもので、和種の藤袴とは異なる。「ユーパトリウムセレスチナム」と言ふ北アメリカ原產の外來種。なので、この白や靑の花は平安歌人が詠んだ藤袴ではない、まあ、惡く言ふと僞物ですね。本物の藤袴はこの七草寺でもやはり數が少なかつた。今年は丸いところから鬚のやうなのが出てゐるのが少なかつたので、まだ少し早かつたのかもしれない。枯れてゐる感じではなかつたので、多分、少し早かつたのでせう。七草もありますから全部が見頃を迎へるのは難しいんですね。
さて、藤袴の歌へとまゐりませう。

なに人か來て脫ぎかけし藤ばかま 來る秋ごとに野邊を匂はす(古今239秋歌上:藤原敏行)
宿りせし人の形見か藤ばかま 忘られがたき香に匂ひつゝ(古今240秋歌上:紀貫之)
主知らぬ香こそ匂へれ秋の野に たが脫ぎかけし藤ばかまぞも(古今241秋歌上:素性法師)

藤袴と言ふので「袴」をかけてゐる感じですね。また、いづれの歌も匂ひの文字があるので藤袴はほんたうに良い香のするお花なんでせう。敏行の歌は、昔の人は衣服に香を焚きこんでゐたのでそれを詠んでゐる。素性法師のはうも構成は同じですね、野に咲く藤袴の香りを誰かが脫いでかけて置いたお香の匂ひが立ち込める良い匂ひの袴に見立てゐる。
眞中の貫之のはうは、少々艷つぽいですね。女性と一晚過ごして、その女性が歸つた後に餘韻を樂しんでゐると言ふ(かう書くと未練がましくなりますね、言葉は面白いですね)歌に讀めます。
寫眞では匂ひまでは撮れないのが殘念ですね。てな事で藤袴の寫眞とまゐりませう。

▼藤袴は法善寺。
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▼こちらがその外來種。
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▼長瀞と言へば荒川。
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▼この日もライン下りが盛んでした。寫眞の左奥に船が見えます。
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2018-10-12

長瀞秋の七草寺廻り~その二:女郎花~

名にめでゝ折れるばかりぞ女郞花 我おちにきと人にかたるな(古今226秋歌上:僧正遍照)

女郞花といへばこれでせうか。遍照は僧形であるがつい野に咲いてゐる(野なのかな、すみません勝手な想像です)女郞花を見て、つい手折つてしまつた。その衝動的なところを巧みに描寫したのか、さう言ふ構圖が頭に浮かんだので詠んでみたのか。どちらにしても、ユーモアのある歌ですね、僧侶ですから禁慾しなければならないのでこの歌が成立してをります。この歌には詞書がないのですが假名序の方に遍照が落馬したとか書いてあるやうなので、それも加味するならなほ面白い。遍照は馬上で邊りを黃色く染める女郞花につい見とれてしまひ落馬した。で、お附きでもゐたのかな、照れ隱しでこれを詠んだ。禁慾を破り世俗に落ちたと馬から落ちたをかけたのだらうか。だとしたらやはり遍照は優れた歌人と言ふことですね。素晴らしい。古今集は、この遍照の秀歌の後にこの歌を載せてゐる。

女郞花憂しと見つゝぞゆきすぐる 男山にし立てりと思へば(古今227秋歌上:布留今道)

この歌には詞書がある。「僧正遍照がもとに奈良へまかりける時に、男山にて女郞花を見てよめる」。遍照がゐる奈良に行く途中に男山ですから石淸水八幡宮が鎭坐してゐる山ですね、そこを通つた時に詠んだやうだ。布留今道は、古今集に三首載る歌人であることと、官職が傳はるのみでどんな人だつたのか定かではない。が、遍照とは仲が良かつたのでせうかね、古今226番の歌を念頭に置いて詠んだと言ふのは想像に難くない。「遍照樣はかやうに仰るが僕は違ひますよ、なんせこゝは男山ですからね、そんなところに咲く女郞花は厭だな、だから手にも取りませんしまして折るなんてとんでもない。」と言ふ洒落なんでせうね。そんな平安歌人たちの洒落つ氣たつぷりの歌の應酬の次は、躬恆の歌へとまゐりませう。

女郞花吹きすぎてくる秋風は 目には見えねど香こそしるけれ(古今234秋歌上:凡河內躬恆)

女郞花の姿は見えないけど秋風に乘つてその香りがして來たと言ふ感じの意になりませうか、こゝで疑問は女郞花の花の匂ひはそんな歌にするほどの香りなのかですね。僕はあまり好きな香りではない。どことなく菜の花に似てゐるやうな。歌の中には女郞花のその香りが良いとか惡いとか詠み込まれてゐないので、まあ、香がどんな風なのかはこの歌としては關係ないとみるはうが正解なんでせう、日が落ちてから邊りが暗くなつてから詠んだんでせうかね、或いは家かお社かお寺かどこかの軒先に咲いてゐたのかな、その匂ひを嗅いでそよ風に搖らめく女郞花を思ひおこして詠んだのかもしれない。最後にもう一首。

ひとりのみながむるよりは女郞花 我が住む宿に植ゑて見ましを(古今235秋歌上:壬生忠岑)

たゞ一人きりで眺めてゐるよりは、女郞花を(持ち歸つて)自分の家に植ゑて見たはうが良いよね って感じでせうか。「まし」の意味は實際には起こり得ないこと或いは希望とは違ふ狀態がありその狀態ぢやなければ良いのにと言ふ意味があることを考へて「見たはうが良いよね」と大きく意譯してみました。
文面ではお花が綺麗なので家に持つて歸りたいくらゐだと言ふことでせうが、をみなえしの漢字を思ひ浮かべると道端で女性に逢つて一目ぼれしたとか言ふことも想像できますね。但し、想像するだけなら良いけど行動に移すのは良くない。と言ふのも誘拐ですよ。それはさておき、歌を詠んだ背景は、實際、どうだつたんでせうかね、こんな事を考へるのも和歌の醍醐味だと思ひます。平安歌人たちの歌の巧さを堪能しつゝ、次囘へ續きます。

▼女郎花は眞性寺です。
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▼この花は男郎花。女郎花に似てゐるのでさう名附けられた。
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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