2017-11-21

龍潭寺

臨濟宗妙心寺派に屬し山號を萬松山、寺號を龍潭寺と稱す。本尊は虛空藏菩薩。開基は行基とのこと。當初は「地藏寺」と稱したさうだ(と言ふことはご本尊は地藏菩薩だつたのだらう)が、井伊家初代の井伊共保が葬られた時に自淨寺と改められたとのこと。寺號は共保の法名から取られた。月日が流れ、井伊直盛が葬られた時に直盛の法名を取つて「龍潭寺」と更に改稱した。
また、南溪瑞聞や傑山宗俊、昊天宗建等「おんな城主直虎」に登場する僧達が住職を務めた。境內には、お靈屋があり歷代の井伊家の當主の位牌や小堀遠州のお庭等があり井伊谷の觀光名所になつてゐる。それ以外にも、祐椿尼が餘生を過ごした松嶽院の跡や井伊直政と母が植ゑた椥の木が植ゑられてゐる。この椥の木はドラマで虎松と母のしのが植ゑてゐたあの木です。あれ、史實だつたさうで、トロとクロがご本尊の虛空藏菩薩樣に手を合はせてゐたら、ボランティアの方が手招きして「ご本尊をちやんとお參りして下さつたので、色々、境內の說明をさせて下さい」と仰られ、敎へて戴きました。史實だつたんですね、吃驚しました。
井伊谷で一番人氣の觀光名所で團體の觀光客が溢れかへつてをりましたが、椥の木や小堀遠州のお庭、井伊家やその重臣の墓所など見所滿載ですので、やはり井伊谷に行つたら外せない名所ですね。

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▼こちらの左手の木が虎松としの(史實ではひよ)が植ゑた椥の木。
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▼祐椿尼(井伊直盛室)が餘世を過ごした庵の址。
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▼小堀遠州作のお庭。
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▼奥に見える建物はお靈屋。
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▼左が直盛、右は初代の共保。龍潭寺は、直盛から始まるお寺なので正面に陣取つてゐる。
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▼井伊氏累代墓所
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▼右から二番目が直虎で、その隣が直親。感慨深い配置ですな。
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▼小野玄蕃墓所
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▼解りづらいですが、眞中の低めの塔が竝んでゐるのは、桶狭間戰歿者の供養塔。
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▼氣に入らないかもしれませんが、墓所の奥の一等地に近藤康用の墓所があります。しかもこんなに立派なのが。
史實の近藤樣は、あんなに厭な奴ではありませんでした。三方原の戰ひで荒廃した井伊谷や龍潭寺の復興に盡力したと思はれます。しかも、家康の遠江侵攻時には相當な高齢に加へ槍働きで拵へた疵の爲に歩行困難になつてゐたさうで、家康の遠江侵攻時は子の秀用が參加してゐたさうですよ。
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▼ボランティアの方から「良い猫だね、これあげる」と言はれました二ャ。中には椥の葉が入つてゐます二ャ。
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2017-11-19

井伊谷宮/宗良親王墓所

明治五年に創建された建武中興十五社の一社で宗良親王をお祀りしてゐる。
宗良親王は、後醍醐天皇の第四皇子で足利高氏が後醍醐天皇に弓を引いた後、井伊谷の井伊氏を賴り當地で高師泰・仁木義長らと對峙、高師泰・仁木義長らに井伊谷を攻め落された後は越後、越中、信濃等を轉々とし正平六年(一三五一年)に鐮倉に入り征夷大將軍に任命された。然しながら程なく北朝側に鐮倉を奪はれ信濃等を轉戰したのち、吉野の長慶天皇の元に戾り餘生を過ごし、元中二年(一三八五年)に井伊谷で薨去されたとされる。
井伊谷宮の本殿の裏には宗良親王の御墓がある。

▼トロ、クロの先に見えるお店。井伊谷宮へのお參りは、朝から降る雨が少しやみさうな感じになつたころで、しかもお昼時。
その爲、雨宿りを兼ねて、この先のお店で昼食を取つた。こちらの浜松餃子はとても旨かつた。
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▼宗良親王は生涯に澤山の御歌をお詠みになれた。
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▼拜殿
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▼井伊社
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▼井伊社のご本殿の裏に宗良親王の御墓があります。
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2017-11-17

妙雲寺/井伊直虎墓所

元龜三年(一五七三年)に發生した三方ヶ原の戰ひの後の井伊氏はどうなつたのか。文獻があまりないので詳細は不明であるが、信玄が沒した後は德川家康が徐々に遠江の所領を奪ひ返したやうだ。
武田から井伊谷を奪ひ返した後、直虎は何をしてゐたのか。還俗して農婦となつてゐたと言ふのはフィクションだが、恐らく落飾して尼となつたと思はれる。直虎は濱松に移つり住んだとも、祐圓尼と名乘り母の祐椿尼と松嶽院で餘生を過ごしたとも言はれる。現在、井伊谷には妙雲寺と言ふお寺がある。こちらのお寺は祐圓尼の菩提を弔ふ爲に建立されたとされ、堂內には祐圓尼と南溪瑞聞の位牌があるさうだ。敷地の外に井伊直虎の墓とされる場所がある。建立當初は妙雲寺の境內だつたが、恐らく明治の廢佛毀釋で境內が削られたので境外になつてしまつたのだらう。

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▼妙雲時は基本非公開のお寺です。柵の外から失禮しました。
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▼妙雲時の裏手に廻り、この白い倉庫のやうな建物の脇を步るきます。
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▼少し前までは雨ざらしだつたさうだ。ドラマの放映に合はせて整備したやうだ。
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2017-11-15

天白磐座遺跡

凡そ四世紀頃までさかのぼる事が出來る古代祭祀場の遺跡。眞直ぐ伸びた巨木と巨大な石が織りなす神祕的な場所であつた。案內板によると渭伊神社と關聯があつたさうだ。渭伊神社は現在龍潭寺があるところからこちらに遷坐する際にこの磐坐の傍を撰んだと言ふことなのかな。
四世紀頃から平安期までどのやうな祭祀をしてゐたのか想像もつかないが、この場所はとても神祕的なところだつた。まあ、磐坐が目の前にある譯ですからね、神祕的な筈ですね。

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▼ご本殿の裏手に遺蹟があります。
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▼神々しくて恐れ多いので、寫眞は一枚だけにしました。
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2017-11-13

第3回さいたま国際マラソン(一般の部)

川內勇輝選手、速かつたな。速いなんてもんぢやないくらゐ。代表を辭退されてゐるが、惜しいな・・・、と正直思ふ。が、ご本人の意思が最優先だからそれはしかたがない。
さいたま國際は、女子の代表選考レースにもなつてをり、代表のスタートは9:10、一般の部は9:40からのスタート。僕はブロックが後方なので、スタート地點に立つたのが凡そ9:49頃。スタートして新都心の周りを廻り北浦和驛前を通り、駒場スタジアムを經て463號のバイパスに入ります。駒場邊りで凡そ7キロ。そこからバイパスの妙なアップダウンを超えつゝ、第一折り返しの埼玉スタジアムへと向かひます。凡そ五キロ每に給水場(エイドステーション)があるので、その脇に給食もでるのかと思ひきや、給食は22km付近までなかつた。これ、エネルギーマネジメントを失敗した。これなら10km地點で羊羹喰つとくべきだつた。それはさておき、新見沼大橋付近で、反對側から白バイが來た。「おつ、代表だな。トップは外國人の招待選手としても吉田香織選手は喰らひついてゐてくれるよな」と思つたのですが、「あれ???吉田香織がゐない」、「これ以上離れるとまずいんぢやない」と心配に。
トップからかなり遲れて吉田選手を發見。しんどさうにみえた。そしたら、つい、「がんばれー」と大聲がでた。まあ、自分でも吃驚。走つて息が切れてゐるのに。そして寫眞を撮るのを忘れてしまつた。
その後です、まるで彈丸の樣に高速で接近する選手がひとり。綠と臙脂のユニを着てる。えつ、もしかして川內選手??? 吉田選手は相當遲れてはゐるが女子の代表の10位くらいにはこの時點でゐたんぢやないかな。その吉田選手から少し遲れて走つてゐる。このひとはやはりすごい。呆氣にとられるが高速で接近する川內選手はオーラが出てゐたし恰好よかつた。
さて、川內選手に感動しながら一路埼玉スタジアムへ。埼スタ、周りになんもない(笑)。こゝから暫く(凡そ10kmくらゐかな)埼スタ近邊をうろ/\と折り返しながら再び新見沼大橋の料金所を經てゴールの埼玉スーパーアリーナへと向かひます。
22km地點のエイドステーションでは、な、な、なんと「旨い旨すぎる」でおなじみの十萬石饅頭がでてゐました。反射的に手が伸びた(笑)、そして、「旨い旨すぎる」。然しながら、僕はこの邊りから失速しはじめた。足が足裏から踵付近にかけてジン/\としてきた。もしかしたら、3ヶ月ぶりにはいたNIKEのAIRZOOM eliteの反撥が影響してゐるのかもしれない。足が妙に疲れて來た。時計をみて必死にペースを戾さうとするけど、今度はバイパスの坂が・・・。「終らない坂はない」いや/\、凡そ一か月前に奧武藏グリーンラインを走つた譯ですよ、そこから比べればこの坂は大したことはない(疲れてなければ・・・)。でも、落ちるペース。エイドステーションでは十萬石饅頭だけでなく彩果の寳石もある。彩果の寳石、疲れてゐたので味はへなかつた。でも頂きました、ありがたうございました。でも、復活しないペース。最後のはうは、「まだ○kmあるのかよ・・・」と泣き言を言ひながら走つてをりました。
そんなこんなで、完走こそは出來ましたが、記錄は四時間四十分。あゝ、最惡。確かに九月ごろからモチベーションが保てずにさぼりがちだつた。奧武藏グリーンラインチャレンジが完走出來て、モチベーション低下は拍車がかゝり、十月は二十キロしか走つてゐなかつた。その間に脂肪はたんまりと蓄積。コンディションは最惡だつた。あゝ、後悔先に立たずとはこのことをさすのですね。
とまあ、川內勇輝選手の激走を見れたし、埼玉の風を感じることは出來ましたが、とても辛いレースとなりました。

▼スタート地点及の埼玉スーパーアリーナ
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▼荷物を預ける場所になつてをります。
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▼今日のスーパーアリーナの觀客はランナーの荷物と言ふことで(笑)
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▼スタートを待つ。
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▼漸くスタートだあ!!!
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▼新見沼大橋料金所にて。コバトン、頭が・・・。
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▼おゝ、埼スタ。
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▼旨い、旨すぎる
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▼埼玉の宝石。
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▼相當飛びましてもうゴールしました。こちらは完走賞のメダル。
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▼ゴールしたらこのタオルをかけて下さいました。
エイドで給水、給食をだして下さつたボランティアの方々、誘導、警備をしてくださつたボランティアの方々、ありがたうございました。ボランティアの方々のお蔭で完走出來ました。
また、沿道で應援下さつた皆様、ほんたうにありがたうございました。その聲援はなによりも励みになりました。
そして、与野、浦和、緑區の皆樣、ほんたうにご迷惑をおかけしました。僕たちが走る爲に道を塞いでしまひ申し譯ございませんでした。
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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