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2018-08-11

崇導神社

ご祭神は崇道天皇(早良親王)。京から見て鬼門の方角に當るので、こちらの地に崇道天皇をお祀りし都の厄災を鎭めようとしたのだらう。貞觀年間(八五九年~八七七年)に創建されたさうだ。貞觀年間は、貞觀大噴火と言ふ富士山の噴火、伴善男が起こしたとされる應天門事變があつたり、播磨國地震、貞觀地震などの地震が多發、朝鮮人が亂暴狼藉の限りを盡く非道な振る舞ひをした(とは言へ朝鮮人は拉致したり慰安婦合意無視などいまだに碌なことしないが)貞觀の入寇がおこるなどの厄災が立て續けに發生したので、これを崇道天皇の祟りとみたのであらうか。
なほ、こゝは小野氏の本貫地であり、小野妹子と小野毛人をお祀りする小野神社や伊多太神社と言ふ地緣の神樣をお祀りするお社があつたやうで、大正に入りこれらを合祀し、これらは境內攝社となつてゐる。
また、隣接する山の山頂に小野毛人のお墓がある。このお墓から墓誌が發見され、この墓誌は國寳に指定されてゐる。

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▼長い參道の奥にご本殿があります。
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▼出雲高野神社だつたと思ひます。
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▼出雲高野神社の隣のこちらが伊多太神社だつたと思ひます。
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▼拜殿です。
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▼小野神社
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▼この山の上のはうにお墓があるさうです。山登りの用意がなかつたので、お墓まではまゐりませんでした。
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2018-08-09

三宅八幡神社

「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出ずる處の天子、書を日沒する處の天子に致す。恙無しや、云々)

これ、支那人は抹殺したいみたいですね。でも事實ですからね、歷史の書き換へはダメですねえ。
今囘の話はこの話ではなくこの親書を攜へた小野妹子が隋へ渡る途中の筑紫で病氣になり、宇佐八幡宮をお參りしたところ病がなおつたので、歸國後に本貫地に宇佐八幡宮を勸請したと言ふのが當社の創建の由緖とのこと。こゝから少し北に上がると先日ご紹介した補陀落寺、通稱、小町寺がある。
また、吉野朝忠臣の兒嶋髙德は當社を篤く崇敬してゐたさうだ。だが、當社の境內には高德の像では無く大楠公の騎馬像があつた。あれ?

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▼大楠公像。
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▼八幡樣の神使ですので、狛犬が鳩になつてをります。
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▼この狛犬さんは、なにか由緒があるのかな。
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▼拜殿です。
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▼なにかみャ?オレっちは野良だから關係ないみャ。えつ?
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▼寺社佛閣をお參りしてをりますと、ご高齢の方の常識の無さに驚かされます。この日も、舞殿に荷物を置くし、帽子は取らないし、まともに拜殿でお參りもしないで神使の鳩を追いかけるし、騒がしいしで、何故なんでせうか。若い人のはうが寺社佛閣での作法や常識を知つてをります。本來はご高齢の方が若い人に作法や禮儀を教へるべきなのに、嘆かはしいものです。
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2018-08-07

更雀寺

かくとだにえやはいぶきのさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを(後拾遺六一二戀)

こちらは、百人一首に選出されてゐる藤原實方の歌です。今日ご紹介のお寺は實方所緣のお寺です。
淨土宗に屬し、山號を森豐山、寺號を更雀寺と稱す。境內に雀塚と言ふ塚がある。この塚、京に歸りた實方の思念が雀となり勸學院に辿りつき觀智法印と言ふ人がこの雀を供養したのがこの雀塚だとされる。勸學院は四條大宮邊りにありましたが後に當地に遷り、その時に雀塚も移設されたとのこと。
さて、實方はなぜ雀になるほどの望鄕の想ひをもつたのか。それは、實方が一條天皇から「歌枕をみてまゐれ」と言はれたからだ。「歌枕をみてまゐれ」とは隨分風流な敕命ですが、その實は左遷である。何故左遷されたのかと言ふと、まあ、それは實方が惡い。そんなことをしては誰でも怒ります。ではなにをしたのかと言ふと主上の御面前で藤原行成と和歌のことで口論となり、かつとなつて行成の冠を奪つて投げ捨てると言ふ暴擧をしたからだ。
そんな次第だから陸奧守となつたが、この人、歌人の割にはがさつな面が多く笠島道祖神の前を通る際に下馬しなかつた爲に、道祖神の怒りに觸れ落馬し絕命したとされる。名取市には中將實方の墓と呼ばれてゐる實方の墓所がある。

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▼門がこの状態ですので、入つて良いものか惱み。結局、境内には入らず遠目からズームで寫眞を撮りました。
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▼手前の木の根元の塚と言ふか供養塔みないなものが雀塚かな。上記の通り境内には入つてゐないので、不明です。
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▼ズームにした畫像。これつぽいな。
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2018-08-05

頼光橋

叡電の京都精華大前を降りて直ぐの長代川に架かる橋の名前は「賴光橋」。小野の里と源賴光の緣は聞いた事がない。渡邊綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武の四天王は小野氏とは違ふし、藤原保昌は藤氏だし、賴光と言へば土蜘蛛と酒吞童子、茨木童子で、それらは小野の里との關はりを聞いた事がない。勿論、賴光自身は多田滿仲を親に持つ淸和源氏だから小野氏ではない。橋が架かる長代川になにか傳承があるとは思へない。
なぜ、賴光と言ふ名が付いてゐるのでせうか。それもと、この「賴光」は源賴光のことではなく別の何かなのだらうか。

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▼道しるべのやうな何かだと思はれるが、これでは文字が讀めない。
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2018-08-04

蓮華寺

天台宗に屬し、山號を歸命山、寺號を蓮花寺と稱す。ご本尊は釋迦如來。元々は七條鹽小路(七條鹽小路と言ふことは鐵道博物館の近くと言ふことか)に時宗の寺院とし寺號を西來寺と稱してゐたさうだが、いつの頃からか今の場所に遷るも荒廢、寬文二年(一六六二年)に、加賀前田藩の家臣の今枝近義が再興し、その時に天台宗の鞍替へし寺號も蓮花寺と改めた。天台宗に改宗したのは今枝が實藏坊實俊と言ふ延曆寺の僧を開山に招ひたからである。また、再興に當り石川丈山や狩野探幽が盡力したとされ、こちらのお庭は美しい。然も創建(再建)のころのまゝのお庭ださうだ。恐らく丈山が造園したのだらう。
こちらのお庭は一見の價値あり。見事でした。

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▼鐘楼
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▼冬だつたので、葉がなくやゝ殺風景ですが、これ、深緑のころだとほんたうに綺麗なんだらうな。
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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