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2019-07-23

尾高惇忠舘

澁澤翁の従兄弟で、澁澤翁に学問を教へた人物。弟に後に澁澤翁の養子となつた平九郎がゐる。惇忠は幼き頃より秀才だつたさうで、長じて自宅で学問を教へるやうになつたさうで、その門弟の一人が澁澤翁である。学問があつた人で郷士、名主の出身の人は倒幕に傾く人が多いなかご多忙に漏れず惇忠も倒幕に傾倒したやうで、澁澤翁らと共に高崎城の乗つ取りを計画したさうだ。が、その後、澁澤翁が一橋家の家臣となつたことも影響したのだらう佐幕派に転向し、彰義隊、そして振武隊に所属し能仁寺戦争で敗退、函館まで転戦した。
維新後は澁澤翁の縁で、富岡製糸場の初代場長となつた。
惇忠の家も残つてをり、建物に上がることはできないものの見学が可能である。母屋の裏に煉瓦作りの倉のやうな建物がある。この建物は明治時代に建てられたさうで、深谷産の煉瓦とのこと。深谷の煉瓦と言へば東京駅。東京駅の煉瓦は深谷で作られたものを使つたさうです。で、この煉瓦作りの建物。文献がないので詳細は不明ださうですが、深谷の名士の家の建物で煉瓦は明治のものとのこと。もしかしたら、東京駅を作る前の実験を兼ねたのか東京駅を作つた記念なのか、前者であれば日本初かもしれませんが、それはあくまでも推測の話ださうです。

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2019-07-21

澁澤榮一生家

澁澤榮一は、武藏國榛澤郡血洗島村で生まれ育つた。血洗島と言ふ地名はなんとも恐ろしげな名前だ。地名の由來はよく分からないさうだが、「赤城の山靈が他の山靈と戰つて片腕をひしがれ、その傷口をこの地で洗つた」や「八幡太郞義家の奧州遠征の途中に家臣の一人が切り落とされた片手を洗つた」(深谷市のサイトより)とかださうだ。八幡太郞の家臣ならこの邊りは武藏七黨の猪俣黨の所領がある地であり、まあ、さう言ふことはあつたかもしれない。
さて、澁澤翁はこの血洗島で藍玉の製造販賣などを手がかける鄕士の家に產まれた。澁澤氏は甲斐源氏の逸見氏のやうで武藏七黨ではない模樣。信長の甲斐侵攻後に歸農し血洗島に土着したらしい。澁澤翁の頃の澁澤家は、藍玉や蠶の商ひで相當な財力を有してゐたさうで、商賣を行ふために子供らに學問を習はせてをり、榮一翁も從兄弟の尾高惇忠に學問を習ふ。鄕士なので劍道も習つてゐたやうで北辰一刀流の千葉榮次郞の道場に通つたりしたさうだ。このお玉が池の道場で勤王の志士と交流を深める事となり、後に高崎城の乘つ取りを企む。この高崎城の乘つ取り計畫は、尾高惇忠の弟の尾高長七郞の賢明な說得により未然に防がれたやうだが、事が發覺したときに澁澤家に災ひが降りかからないやうにと言ふことで榮一翁は澁澤家を勘當されてしまふ。勘當された後は京に上がり、そこで一橋慶喜の家臣平岡圓四郞の推擧により慶喜に仕へることとなつた。
純粹な武門の出の人間の中に交はると藍玉の販賣などで培つた商才は異色の輝きを放つてゐたのだらう、御勘定格陸軍付調役となりパリの萬國博覽會に出席、そこで西洋の經濟を目の當たりにし、その仕組みを吸收して歸國した。歸國後に靜岡にゐた慶喜と面會し、慶喜からその異才で新しい世を發展させろ(實際は、お前の好きにしろ的なことを言はれたさうだが、慶喜は大阪から逃げ歸つたりしたもののやはり頭の切れる人物で物事の良し惡しを見極める能力は優れてゐたのだらう)と言はれ、その後は皆樣ご存じのやうに銀行、保險、各種產業を立ち上げて日本の近代產業の父と言はれる人物となつた。
さて、澁澤翁の生家は殘つてをり、建物の中に上がることはできないが見學できる。往年はもつと建物はあつたのだらうと思はれるが、殘つてゐる建物だけでも立派と言ふか豪華であることには變はりない。

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▼上皇、上皇后両陛下のご植樹。
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▼中ん家の裏手はかやうな感じの風景が広がります。
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2019-07-19

澁澤榮一の生まれ故郷を訪ねる

なんとまあ、吃驚!さう言ふことになると露知らず、埼玉が產んだ偉人である澁澤の故鄕を訪ねる旅(旅と言ふ程の距離はありませんが)をしてみようと思ひたち、平成最後の冬に深谷まで足を運びました。その後、な、な、な、なんと澁澤翁がお札になるとのニュースが!
と言ふことでこゝから數囘はお札になる事が決まる前、もう一度言ひませう(笑)、お札になる前に行つた澁澤榮一翁の生まれ故鄕を廻る旅を投稿してまゐります。

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▼道の驛おかべにて。葱三昧でした。
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2019-07-17

北海道ではありません

埼玉の嵐山「らんざん」は嵯峨野の嵐山(あらしやま)から地名を取つたが、こんどはラベンダーを植ゑてゐるやうだ。殘念なことに北海道とは品種が違ふと言ふか暑さに耐へられる品種しか植ゑられないために北海道とは違ひ色が薄かつた。

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▼こちらは池袋驛構内です。
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▼やつぱり色が薄い。
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2019-07-15

桶川で末摘花を見る

なつかしき色ともなしに何にこの末摘花を袖にふれけむ

この歌は源氏物語の末摘花の卷に出てくる歌。源氏が常陸宮の娘のことを詠んだのですが、結構失禮な歌意ですね。
さて、末摘花は現在で言ふところの紅花で、染料や口紅の素材として古くから栽培され、江戶時代中期以降は桶川が全國有數の栽培地となつたさうだ。

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▼少し早かつたのかもしれない。と言ふのも末摘花ははじめ黄色く後に赤くなるやうだ。
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▼なんか居る。と思つたら豚だつた。
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▼かなりでかい。
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プロフィール

橘右近大夫

Author:橘右近大夫
畿內の寺社佛閣を中心に、おでかけトロ&クロとお參りしたときの旅日記を綴つてゐます。

旅日記の外に、日頃思ふことなどを書くことがあります。
あくまでも個人的な日記であり、專門的・學術的な正確さを擔保するものではありません。

漢字は正字(康熙字典體)にて書かうとしてをります。どのやうな環境でも讀めるやうに氣を附けてをりますが、環境により漢字が表示されない場合があります。
假名遣ひについて、原文を引用する以外は歷史的假名遣ひで書きます。

※ご意見、ご指摘は建設的、友好的なものに限り受け付けます。建設的友好的なコメントは更新の勵みになりますので、よろしくお願ひします。
但し、間違ひを指摘し、批難するだけのコメントは承認致しませんので、ご諒承ください。しつこいと投稿禁止や閲覧禁止をする場合があります。

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